第十九話 とある男の心の闇
戦線布告から数分後。
サーバー32全体が、まるで火薬庫のような緊張に包まれていた。
《ダークキング》は全員、ディスコを使用しており、ボイスチャットでやり取りをしている。黒王の低い声が響く。
「戦うぞ。五ギルド同時だ」
その言葉に反応するように、メンバーリストが続々と点灯していく。
嫌気がさして抜けた者もいたが、同時に“ダークキング”という名の強者集団に憧れ、流れ込んでくる新参も多い。
ギルドの人数はむしろ増えていた。
しかし、その多くは寄せ集め。
黒王は、そんな現実を誰よりも理解していた。
「主は動かせねぇ……。となると、金・銀区画は動けん。雑魚どもはそこを守らせろ」
淡々と指示を飛ばしながらも、瞳の奥には苛立ちの炎が宿っていた。この状況を招いたのは、間違いなく自分とカノンの軽率な発言。
「フッ……くだらねぇプライドのツケってわけか」
小さく吐き捨て、再び作戦表に視線を落とす。
画面上では、敵対ギルドの名が並んでいた。
《サンドウォール》《フローライト》《ブルーアーチ》《エターナル》《斬々抜断》。
それぞれの実力、特徴、傾向。
すべてが頭の中に入っている。
黒王は短く考えたのち、的確に指示を出し始めた。
「サンドウォールには俺と、シン、鬼朱雀だ。相手のギルマスはすなっち。五位とはいえ、周りは弱ぇ。速攻で潰す」
続いて、画面をスライドする。
「フローライトにはカノンと椿とRainを行かせる。オニッシュはもちろん、中堅のココアとWhiteもいるだろ。手を抜くな」
「了解」
カノンは、まるで命令するなというような態度の返事をする。
「ブルーアーチ戦は防衛側の戦場になる。そこにはまろん、お前を置く。ランキング四位の力、見せてみろ」
「了解っす、黒王様♡」
明るく答えるまろん。その声には、黒王に対する憧れが滲み出ている。
「残りはエターナルとキリキリバッタ……か」
その名を口にした瞬間、黒王の指がわずかに止まった。
マルメン、シャイン…あの、煩わしい連中。
だが、黒王はすぐに感情を押し殺した。
いま必要なのは怒りではなく、勝利だ。
「……あの二人の相手は、運に任せよう。いずれ潰す」
そう呟いた声は、冷たく、乾いていた。
画面の中で、ダークキングの主力二十人が配置されていく。
それぞれの戦場に、光と闇が散らばっていく。
五つの戦線。
五つの大区画。
そして、サーバーを揺るがす最大規模の戦争が、今まさに始まろうとしていた。
「では、仕事にいく。また夜に」
そう言って黒王はログアウトし、ヘッドホンを外す。身なりを完璧に整え、彼は職場へと向かう。
都内・新宿。
昼下がりの高級カフェラウンジ。
穏やかな音楽が流れる中、黒羽怜王は柔らかな笑みを浮かべていた。
「お待たせいたしました、アイスティーでございます」
完璧な所作。
目線の高さ、声のトーン、カップの置く角度…どれも教科書のように美しい。客の女性は少し頬を赤らめ、「ありがとう」と微笑んだ。
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
怜王は深く一礼し、カウンターへと戻っていく。
その背筋には一分の隙もない。
“黒王”という名で知られる彼の、もう一つの顔。
昼間は一流ホテル内のバリスタとして働く。
常に笑顔を絶やさず、接客評価は五年連続トップ。
同僚たちからも「黒羽さんは理想の社会人」と讃えられていた。
だが、彼の心の奥底には、
誰にも見せない“黒いもの”が静かに積もっていた。
客の無茶なクレームにも笑顔で対応する。
上司の理不尽な指示にも「はい、承知しました」と頭を下げる。
努力をしても、結果は“当たり前”と扱われる。
どこまでいっても、報われない。
怜王は、そんな現実を、
まるで冷たい水の中に沈んでいくような気持ちで受け止めていた。
夜。
静かなマンションの一室で、彼はヘッドセットを装着する。ログイン画面が浮かび上がる。
《サンドボックスウォーズ》
その瞬間、彼の表情から笑みが消える。
彼はこのためだけに、土曜日は早く仕事を上がらせてもらっている。
そして、仕事で貼りつけていた「完璧な仮面」が、剥がれ落ちた。
「……ようやく、息ができる」
モニターの中では、黒王のアバターが無造作に剣を背負って立っている。
眼差しは冷たく、鋭く、現実の怜王とはまるで別人だ。
彼は稼いだ金を惜しげもなく注ぎ込み、
最強装備を揃え、最速で育成を進めた。
そして、力でねじ伏せることでしか得られない優越感に溺れていった。
現実での理不尽を、
この仮想の戦場で叩き潰す。
ダークキングのギルドマスター・黒王という名は、やがてサーバー中に響き渡った。
だが、その名声が高まるほどに、怜王の心の闇も深くなっていく。
彼は気づいていた。
自分が楽しんでいるのではなく、憎しみを燃料に動いていることに。
それでも、やめられなかった。
もう、これしか自分を保つ方法がなかった。
「さぁ、俺を楽しませろよ…クソども!!」
つぶやきながら、黒王は静かにログインボタンを押す。画面の向こうで、再び“王”が目を覚ます。




