第十八話 もう、好き勝手はさせない
土曜日の早朝。
窓から差し込む秋の光が、都内のマンションのリビングをやわらかく照らしていた。
三國灯は、いつものようにコーヒーを淹れながら、ぼんやりとスマホを見つめていた。
画面には、ログインボタンの並ぶ《サンドボックスウォーズ》のタイトル画面。
指先がそのボタンに触れそうになって――止まる。
「……はぁ」
息を吐いてスマホを伏せる。
この三日間、灯はずっと考えていた。
あの夜、全チャであんな暴言を浴びせられ、静かに去っていった部長。
翌日、会社ではいつも通りだった。
笑顔で部下に声をかけ、雑談にも参加し、昼食も一緒に食べた。
けれど、灯にはわかった。
あの人はもう、《サンドボックスウォーズ》の世界にはいない。
昼休み、給湯室でコーヒーを入れていた部長が何気なく言った言葉が、今も耳に残っている。
「なぁ、三國くん。最近“ワイバーンハンター”ってゲームやっててな。PVPがないんだよ。協力してワイバーンを狩るだけ。平和でいい。やらんか?」
そう言って、いつものように穏やかに笑っていた。
「俺、もうPVPはやらないよ。争うより、誰かと一緒に狩る方が性に合ってるみたいだ」
その言葉を聞いたとき、灯の胸が少し痛んだ。
もう戻らないのだと、はっきり悟ったから。
夜になっても、部長は変わらず明るく、仕事でも冗談を言っていた。
でもその笑顔の奥に、ほんの少しだけ疲れた影があった気がしてならなかった。
そして今日、土曜日。
ギルドバトルの日。
スマホの画面では、〈キリキリバッタ〉のメンバーたちがすでにログインを始めている。
マルメンからのメッセージが通知欄に浮かんでいた。
【マルメン】「今日も出るか? 俺たちで、おじサムライのぶんまで戦おう」
灯はスマホを見つめながら、小さく頷いた。
【シャイン】「……はい、戦いましょう。部長のぶんも」
再び画面に指を伸ばす。
光の中で、ログインボタンがゆっくりと点滅していた。
この日に向け、灯は着々と根回しを進めていた。
外部チャットツール《ディスコ》を使い、上位ギルドのギルマスたちと連絡を取り合い、「ダークキングを潰す」という密約を交わしていたのだ。
いま、かつての激戦地、銅大区画を守る勢力は大きく三つ。
《斬々抜断》《王国騎士団》《エターナル》
いずれも自陣防衛を徹底し、全体チャットでの発言も控えている。
そんな中で、あの口論が転機となった。
王国騎士団のギルマス・ランスロットが沈黙を貫いたことで、逆に信頼を得たのだ。
一方、ダークキング側では、黒王とカノンの暴言に嫌気がさしたメンバーが次々と離脱していく。
いまや、ダークキングが守る《銅の大区画》には新たな火種が迫っていた。
おじサムライが順位を譲り、新たにベスト5入りしたすなっちのギルド《サンドウォール》。
現在ランキング3位の猛者・オニッシュを擁する急成長ギルド《フローライト》。
そして、実力派中堅として注目を集める《ブルーアーチ》。
三つのギルドが、ダークキングの拠点を同時に叩く。灯の仕掛けた戦略が、ついに動き出そうとしていた。
侵略戦では、攻める区画に対して《戦線布告》を行う必要がある。
布告できるのはギルド単位で、一度に二か所まで。
そのため、毎週土曜日の朝七時半、布告開始の瞬間はまるで“早押し対決”のような熱気に包まれる。
今回は、ダークキングの戦力を分散させるため、すでに大区画を保有している上位ギルドは動かない。
侵略を受け持ったギルドのみが、狙いを定めて布告する。
そして、七時半。
サーバー全体が一斉に動いた。
《サンドウォール》が北西・銅大区画に戦線布告。
《フローライト》が北東・銅大区画に戦線布告。
《ブルーアーチ》が東・銅大区画に戦線布告。
三ギルドの布告はすべて成功。
その報告が次々と絶対チャットに流れる中…
ダークキングが動いた。
《DARK KING》が南西・銅大区画に戦線布告。
《DARK KING》が南東・銅大区画に戦線布告。
南西の防衛ギルドは《斬々抜断》。
南東の防衛ギルドは《エターナル》。
こうして、五つの大区画で同時に火蓋が切られようとしていた。
戦いの舞台は、整った。
サーバー全体が、ざわめいていた。
ギルドチャットにも全体チャットにも、怒号と歓声が交錯している。
その光景を見つめながら、灯はゆっくりと息を吸った。
画面の向こうで、仲間たちが声を上げる。
マルメンの冷静な指示。ココアの明るい返事。
そのひとつひとつが、心の奥に火を灯すようだった。
…ここまで来た。
おじサムライが去り、ギルドの士気が揺らいだ日から、ほんの数日。けれど、灯にはもう迷いはなかった。
ただのゲーム、そう思っていた。
だけど今は違う。
この世界で、仲間の想いが繋がっている。
それが、自分を動かしている。
指先が、魔法スロットを選び、雷光のエフェクトが走る。
静かに、シャインは呟いた。
「……もう、好き勝手はさせない」
その言葉と同時に、雷鳴が轟いた。
ーーー 第三章 シャインの物語 完 ーーー




