第十七話 過疎サーバー
水曜日の昼休み。
オフィスのざわめきの中、灯は書類を小脇に抱え、一直線に部長のデスクへ向かった。
「部長、今日こそログインですよね!」
開口一番、これだ。
周囲の同僚たちは思わず顔を見合わせる。
彼女の押しの強さは、社内でも有名だった。
「う、うん? ログイン……?」
いつもは誰よりもフレンドリーで、部下思いの上司。だが、今日のその笑顔はどこか曇っていた。
「前のギルバトも来てませんでしたよ? ダークキング討伐、次こそ勝ちましょうって言いましたよね!」
「いやぁ……最近ちょっと、なぁ……」
曖昧に笑いながらマグカップを口に運ぶ部長。
灯は机に身を乗り出して畳みかけた。
「まさか、もう飽きたとか言わないですよね?」
「飽きたってわけじゃないんだけどさ。あのダークキングとか、キリキリバッタとか、エターナルの揉め事見てたら……なんか一気に冷めちゃって」
「うわぁ~それ、わかりますけど! でもだからってログインしないのはナシです!」
灯は身振り手振りで力説する。
彼女の営業トークは、いつもこんな調子だ。
押しが強く、テンポがよく、相手を笑わせながら本題に持っていく。
その結果、営業成績は常に社内トップクラス。
「部長いないと、ギルチャも静かなんですよ! おじサムライロスって感じです!」
「ロスて……はは、そこまで言われると弱いなぁ」
観念したように苦笑しつつも、部長の視線は机の上のスマホに落ちた。
ログイン通知は三日分溜まったまま。
戦力ランキングには、《4位:おじサムライ》の文字。
上にはカノン、黒王、オニッシュ。
かつて肩を並べたライバルたちの名が光っていた。
「……抜かされてんのか。あいつら、相変わらず強いな」
「だからこそ、今がリベンジのチャンスですよ!」
灯の勢いに押され、部長は肩をすくめた。
「三國くん、ほんと押し強いなぁ……」
「営業でもそれで結果出してますから!」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
立ち上がる灯は、指をピッと突きつけた。
「今日、ログイン! 約束ですよ!」
「……わかったよ。久しぶりに、おじサムライ復活させるか」
部長は笑いながらも、ほんの少しだけ、燃え尽きた心に火が戻るのを感じていた。
夜21時過ぎ。
《サンドボックスウォーズ》、第32サーバー。
ギルド〈キリキリバッタ〉の拠点チャットは、珍しく盛り上がっていた。
【ルミナ】「うわっ、ほんとにログインしてる!」
【クルス】「おじサムライさん、おかえりなさい!」
久々に表示されたその名前に、ギルド全員が色めき立つ。
三日ぶりの再会。
ゲーム内の空気が、少しだけ明るくなった。
【マルメン】「ようやく来たか。待ってたぞ!」
【金糸雀】「ログイン通知きたとき、思わず声出ちゃいました!」
【おじサムライ】「はは、そんな大げさな。ちょっと仕事で疲れてただけさ」
いつもの穏やかな調子。
ギルメンたちが一斉に「おかえり!」と返す。
その笑い声に、シャインも自然と笑みを浮かべた。
【シャイン】「おじサムライさん、戻ってきてくれて嬉しいです」
【おじサムライ】「おう、シャイン。しばらく離れてたら腕鈍ったかもしれんな」
【マルメン】「問題ない。俺がリハビリ付き合ってやるよ」
その時だった。
全プレイヤー共通チャットのログに、嫌な文字が流れる。
【黒王】「お、サムライ生きてたのか。てっきり引退したと思ったわ」
【まろん】「3日もログインしてなかったし、あのまま消えりゃよかったのにな」
一瞬で空気が凍る。
ギルチャの文字入力欄が、次々に点灯した。
【マルメン】「……おい、今の聞いたか?」
【金糸雀】「何あれ!? 最低!」
【クルス】「人の楽しみを踏みにじって何が楽しいの……?」
怒りのコメントが次々と流れる中、シャインの指が震えていた。
ただのゲーム。けれど、仲間を侮辱されたことが、どうしても許せなかった。
【シャイン】「……やめてください。あなたたちは何のつもりでそんなことを言ってるんですか」
【カノン】「本当のこと言っただけ。3日も来ないやつ、もうやる気ねーだろ」
【まろん】「泣くなよ、新人さんw」
チャット欄が荒れる。
マルメンは怒りに任せて打ち込んだ。
【マルメン】「テメェら、いい加減にしろ! ゲームでも礼儀くらい持て!」
その瞬間、ギルド拠点のチャットが一瞬だけ静まる。そして…
【おじサムライ】「……もういいよ、みんな」
彼の文字は、どこまでも静かだった。
【おじサムライ】「楽しいはずの場所で、こんな連中と同じ空気吸いたくない。ゲームは、笑うためにやるもんだろ? だから、俺は降りるよ。」
【シャイン】「部長、待ってください!」
【マルメン】「おい、おじサムライ!」
次の瞬間、システムログが無情に表示された。
《おじサムライがログアウトしました》
……二度と、戻ることはなかった。
直後、全チャにまたも黒王の文字が流れる。
【まろん】「おじサムライやめさせてやったわwww」
その言葉が、引き金だった。
第32サーバーの雰囲気は一気に冷え込み、チャットは荒れ、離脱者が続出。
「嫌な奴がいるから」という理由で、仲間ごと姿を消す者も多かった。
そして三日後、32サーバーのアクティブプレイヤーは当初の3割にまで減少。
サーバー設立2週間という、離脱者が多い時期ではあったが、《サンドボックスウォーズ》第32サーバーは、“過疎サーバー”と呼ばれるようになった。
残された仲間たちは、ただ静かに、ログアウトしたおじサムライの名を見つめていた。
絶対にダークキングは許さない。
夜のギルドバトルに向け、一同は燃えていた。




