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サンドボックスウォーズ  作者: 黒瀬雷牙
第三章 アメリアの物語

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第十五話 箱庭の外

 朝の光は、思っていたよりも早く訪れた。


 カーテン越しに差し込む淡い日差しに、阿里亜はゆっくりと目を覚ます。

 隣を見ると、玲華はすでに起きていたらしく、静かに身支度を整えていた。


「おはよう」


「……おはよう」


 少しだけ、照れくさい。


 昨夜あれほど話したのに、朝になるとまた距離感が微妙に戻るのが不思議だった。


「よく眠れた?」


「……途中までは」


「私も」


 短く笑い合う。身支度を終えると、玲華が言った。


「朝ごはん、外に行きましょうか」


「外?」


「名古屋の、いいところ案内したいの」


 そう言って、鍵を手に取る。


 朝の空気は澄んでいて、車の少ない道は驚くほど穏やかだった。

 少し走った先にあったのは、年季の入った喫茶店。


「ここ、地元の人がよく来るの」


 ドアを開けると、コーヒーの香りと、トーストの焼ける匂いが迎えてくる。


「いらっしゃい」


 カウンター越しの声も、どこかのんびりしていた。

 席につき、玲華が当然のように言う。


「コーヒー二つと、モーニングお願いします」


 阿里亜は首を傾げる。


「モーニングって……?」


「名古屋式」


 運ばれてきたトレイを見て、阿里亜は目を丸くした。


 厚切りのトースト。その横に、小倉あんとバター。ゆで卵に、サラダ。小さなデザートまで付いている。


「……これ、コーヒーのおまけ?」


「そう」


「嘘でしょ」


 玲華は楽しそうに笑った。


「名古屋だと、わりと普通」


 トーストにバターを塗り、小倉あんを乗せる。

 半信半疑のまま一口かじると、甘さと塩気が思った以上に合っていた。


「……おいしい」


「でしょ」


 さらに、店のおすすめだという値打ちセットも追加される。

 コーヒー一杯の値段で、トーストに卵、サラダ、ヨーグルトまで付いてくる。


「サービス精神、すごい……」


「朝は、特にね」


 店内を見回すと、新聞を読む常連、静かに会話する老夫婦。誰も急いでいない。


「名古屋って、派手じゃないけど」


 玲華が、コーヒーを一口飲んで言う。


「こういうところ、いいと思うの」


 阿里亜は頷いた。


「……なんか、落ち着く」


 観光地じゃない、生活の延長線。でも、それが妙に心に沁みた。

 食べ終えるころには、胸の奥の緊張が、少しだけ軽くなっていた。


「今日は、このあとみんなと合流だね」


 玲華が言う。


「うん……」


 不安が消えたわけじゃない。それでも、小倉トーストの甘さと温かいコーヒー。そして、向かいに座るメリッサの穏やかな表情が、阿里亜にとって、この街を悪くないと思わせていた。


 喫茶店を出ると、午前の名古屋はすでに人の流れを持っていた。


「集合場所、ここから少し歩くの」


 玲華が示した先にあったのは、商業ビルと公園がゆるやかにつながる一角だった。

 ガラス張りの低層施設で、外にはベンチと植え込み。待ち合わせには都合がいい。


 施設の名前は、フロラリエ庭園。


 中には軽食店や雑貨屋が並び、騒がしすぎない。

 オフ会向けという言葉が、妙にしっくりくる場所だった。


「ここなら、落ち着いて話せるから」


「……うん」


 阿里亜は周囲を見渡しながら、無意識に背筋を伸ばす。


(ついに、か……)


 ディスコのアイコンでは何度も見てきた名前たち。

 でも、現実ではまだ誰もいない。


「あっ」


 玲華が小さく声を上げた。


 ベンチの端に、ひとり座っている人物がいる。


 小柄で、少し丸まった姿勢。パーカーのフードを浅くかぶり、手元の端末を指でいじっていた。


 視線が合った瞬間、その人はぴくりと反応して、立ち上がる。


「……もしかして、メリッサさん?」


 声は高すぎず、低すぎず。

 どこか控えめで、けれど柔らかい。


「はい。catさん?」


「はい!」


 その瞬間、ぱっと表情が明るくなる。


 catは、まさにイメージ通りだった。少し跳ねた髪。落ち着きなく揺れる視線。猫みたいに警戒しながら、でも近づきたい、そんな雰囲気。


「……アメリアさんですよね」


「うん。阿里亜です」


「本物だ……」


 思わず、という声だった。

 二十歳。まだ大人になりきっていない、けれど子どもでもない。


 その少し後。


「お待たせしました」


 落ち着いた声とともに、背の低い女性が歩いてくる。黒髪をきれいにまとめ、シンプルな服装。

 立ち居振る舞いは大人びているが、よく見ると顔立ちは幼い。


「さつきです」


「……え?」


 阿里亜が思わず声を漏らす。


「高校、まだ卒業してないんです」


 さらりと言われて、さらに驚く。


「え、年下!?」


「よく言われます」


 微笑みは余裕があって、どこか達観している。


 その少し後ろで、もうひとり。制服姿の少女が、さつきの影に隠れるように立っていた。


「……ゆり、です」


 声は小さく、視線は床。人見知り、という言葉では足りないほどだった。


「よろしくね」


 阿里亜が声をかけると、ゆりは小さく頷くだけで、何も言わなかった。


 その空気をまるで壊すように。


「……で?」


 振り向くと、そこにいたのは太った中年の女性。汗をかいているのに、どこか他人事のような顔。


「ミロクさんはいないの?」


 その一言で、空気が一瞬、止まる。


「……まだですね」


 玲華が答える。


「ふーん」


 ももはそれだけ言って、興味を失ったようにベンチに腰を下ろした。周囲を見回すこともせず、誰かと話そうともしない。


 catが、ちらりと阿里亜を見る。阿里亜は、小さく肩をすくめた。


(……こういう人、だったな)


 ディスコでも、似た空気はあった。そのとき。


「……すみません」


 遅れてきた声。振り向いた先にいたのは、ひとりの青年だった。


 三十代くらい。スーツは着ているが、どこかくたびれている。メガネの奥の目は少し疲れていて、背中は自然と猫背になっていた。


「ミロク、です」


 その名を聞いた瞬間。


「あ!」


 ももが、急に立ち上がった。


「遅いじゃん」


 さっきまでの無関心が、嘘のようだった。ミロクは苦笑いする。


「すみません。電車、乗り間違えて」


「まぁいいや。来たなら」


 それだけ言って、ももはまた座る。ももは、女性たちには最初から関心がないようだった。

 他の面子は、ほっとしたように息を吐いた。


「これで、全員だね」


 玲華が言う。拍手する者はいない。でも、誰も帰ろうともしない。

 画面の向こうだった名前たちが、今、同じ場所に立っている。喜びと、違和感と、静かな緊張。


「……集まれたね」


 阿里亜のその一言に、catが大きく頷いた。

 ももは、相変わらず興味なさそうだったが。

 それでも、一行は確かに、合流していた。

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