第十二話 ワクワクする日々
日取りは、決まった。
次の土曜日。
メンバーそれぞれの住んでいる大まかな地域を出し合い、地図の上で指を寄せていく。
結果として選ばれたのは、誰にとっても「少しずつ不便で、でも一番現実的」な場所だった。
全員が日帰りできる。
ただし、アメリアだけは例外だった。
現実の阿里亜にとって、その場所は泊まりがけになる距離だった。
画面の中では、条件や時間の確認が淡々と流れていく。
【cat】「じゃあ昼過ぎ集合で!」
【さつき】「解散は早めがいいですよね」
【ゆり】「私、門限あるので……」
【ミロク】「了解」
誰も、阿里亜の事情には触れなかった。アメリアが判断すると決めた以上、それを前提に話は進む。
私だけ、泊まりか。
その言葉を、心の中で転がす。
週末。仕事はいつも通りだった。
マンションの外壁。ローラー。刷毛。
塗料の匂いと、乾ききらない空気。
仕事を終え、シャワーを浴び、髪を乾かす。
ノートPCを開くと、いつもの紅の庭園が広がった。
ログイン直後。アメリアの画面に、ひとつのメッセージが表示される。
メリッサからだった。
【メリッサ】「少し、いいですか」
【アメリア】「ええ、どうしたの?」
返事は、少しだけ間があった。
【メリッサ】「……この前のオフ会の提案、驚かせましたよね。巻き込んでしまって、すみません」
アメリアは、すぐには返さなかった。
庭園の噴水を眺めながら、言葉を探す。
【アメリア】「謝ることじゃないわ。でも、理由は聞いてもいい?」
しばらくして、メリッサの文字が浮かぶ。
【メリッサ】「正直に言いますね。私、アメリアさんに……一度、会ってみたかったんです」
一瞬、時間が止まる。
【メリッサ】「だから、あんな言い方をしました。自分の気持ちを、正当化した形で」
画面の前で、阿里亜は小さく息を吐いた。
ああ、やっぱり。
驚きよりも、腑に落ちる感覚の方が強かった。
【アメリア】「……少し考えさせて」
数秒。ほんの数秒の沈黙。
【アメリア】「でも……私も、あなたには会ってみたかったかもしれないわ」
メリッサから、すぐに返事は来なかった。
やがて。
【メリッサ】「……ありがとうございます」
それ以上、踏み込むことはしなかった。話題は自然と逸れて、他愛のない雑談に移る。
庭園の装飾の話。最近追加された家具の色味。次の季節イベントの噂。
その流れで、アメリアはふと思い出したように打つ。
【アメリア】「あ、当日なんだけど。距離的に、泊まりになりそうなのよね」
少し間が空いて。
【メリッサ】「それなら、よかったら私の家に泊まりませんか?」
画面の向こうで、阿里亜は目を瞬いた。
【アメリア】「……いいの?」
【メリッサ】「もちろんです!ホテルより、安心でしょうし」
阿里亜は、キーボードの上で指を止める。現実が、また一歩近づいた気がした。
それでも、不思議と嫌な感じはしなかった。
【アメリア】「……考えてみるわ」
【メリッサ】「はい。無理はしないでくださいね」
紅の庭園は、いつも通り静かだ。けれど、確実に何かが動き始めている。
週末に向けて、阿里亜は自分でも驚くほど落ち着かなかった。
朝、作業着に袖を通すとき。
自転車に跨るとき。
ローラーを手に取る、その一瞬。
胸の奥に、微かな高鳴りが残っている。
「なんか今日、機嫌いいな」
昼前、足場の上で親戚のおじさんが言った。
「え、そうですか?」
「うん。いいことでもあった?」
「まぁ、ちょっとだけ」
それ以上は言わず、ローラーを動かす。
塗料は均一に伸び、壁はいつもよりきれいに仕上がっていく。
帰り道、ホームセンターに寄った。
本来は現場用の買い出しだが、視線は自然と別の棚へ向かう。
歯ブラシ。
ミニサイズのシャンプー。
折りたたみできるトートバッグ。
「……別に、旅行じゃないし」
小さく呟いて、必要最低限だけをカゴに入れた。
それでも、選ぶ時間は妙に楽しかった。
平日の夜。
シャワーを浴び、髪を乾かし、ノートPCを開く。
ログインすると、すでに何人か集まっていた。
【cat】「今日も素材周回いこー」
【さつき】「週末に向けて、今のうちですね」
【ミロク】「了解」
普段は箱庭に籠もるスカーレットが、珍しくまとまって素材集めをする夜。
戦闘は最小限。効率重視。
誰かが倒し、誰かが拾う。
いつもと変わらないはずなのに、チャットはどこか弾んでいた。
【cat】「オフ会前夜のテンションってやつ?」
【ゆり】「なんか修学旅行みたいです」
【さつき】「わかります……」
アメリアは、少しだけ距離を置いて眺めていた。
浮かれてはいけない。そう思いながらも、口元は緩む。
【アメリア】「無理しないでね。素材は逃げないわ」
【メリッサ】「はい。でも、楽しいですね」
その一言に、胸の奥がくすぐったくなる。
夜が更け、ログアウト。
布団に入っても、すぐには眠れなかった。
当日の服装。電車の時間。メリッサの家。
考えるほど、現実味が増していく。
木曜日。
現場では、再び声をかけられた。
「阿里亜ちゃん、最近ほんと調子いいな」
「そうですか?」
「仕事も丁寧だしさ。なんか、雰囲気違う」
阿里亜は、曖昧に笑った。
違うのは、壁の色じゃない。自分の内側だ。
金曜日。
朝から、時間の進みが遅かった。
刷毛を洗いながら、何度も時計を見る。
夕方。
最後の片付けが終わる。
「阿里亜ちゃん、今週もお疲れ」
「お疲れさまでした!」
ヘルメットを脱ぎ、深く息を吸う。
塗料の匂いと一緒に、緊張も吐き出す。
ここまで来た。
自転車に跨り、夕焼けの中を走る。
胸の奥で、確かな実感が芽生えていた。




