第九話 箱庭女王の現実
サーバー32のとあるエリア、「紅の庭園」。
そこに広がるスカーレットギルドの本拠地は、まるで絵画の中の世界だった。
深紅の薔薇が咲き乱れる庭園を抜けると、白大理石の回廊が続き、天井からは水晶のシャンデリアが柔らかな光を降り注ぐ。
中央の噴水は、魔法のように色を変えながら水を舞い上げ、壁一面の書棚には珍しい装飾品が隙間なく並んでいる。
誰もが認める、完璧な箱庭。その主、アメリアは、優雅に紅茶を口に運んでいた。
【アメリア】「ふふ、今日も美しいわね……この薔薇の色合い、完璧」
隣に座るメリッサが、穏やかに微笑む。
【メリッサ】「アメリアさんのセンス、本当にすごいですよね。私なんて、いつも参考にさせてもらってばかりで」
【アメリア】「そんなことないわ。あなたのリラックス空間の配置は、私も真似したいくらいよ」
二人は静かに笑い合う。 ギルドメンバーも含め、スカーレットは戦闘を一切しない「箱庭専」の集団だった。
戦闘区域には行かず、素材集めと建造だけに没頭する。それでも、サーバー全体から注目される存在の一つ。なぜなら、彼女たちの拠点は「芸術」そのものだったから。
現実世界。午後6時過ぎ。首都圏郊外の工業団地。
「はぁ……今日も疲れたぁ……」
有雨阿里亜は、作業着のままトラックの荷台から降りた。 ヘルメットの下から覗く髪は、塗料の匂いが染みついている。
手にはまだ、刷毛の跡が残った軍手。 工業高校のインテリア科を卒業し、親戚が経営する塗装屋に就職してちょうど一年。
今日も一日中、マンションの外壁塗装に従事していた。
「阿里亜ちゃん、お疲れ! 今日は早めに上がっていいよ」
「ありがとうございます、おじさん!」
親戚のおじさんに手を振って、阿里亜は自転車に乗り込む。 アパートまでの道すがら、夕陽がオレンジに染まる空を見上げながら、ぼそっと呟いた。
誰もいない道で、一人で決めポーズを取る。 両手を腰に当てて、ちょっと首を傾げてみたり、指でピースを作ってみたり。
……あの頃は、これが最高のツカミだった。
工業高校のインテリア科に入学したての頃、自己紹介の順番が回ってきた時、クラス中が静まり返る中、阿里亜は立ち上がって、にっこり笑って言った。
「私の名前は、有雨阿里亜!下から読んでもアリアメアリア!!」
一瞬の沈黙の後、教室がどっと沸いた。 男子は大笑いし、女子は「かわいいー!」と拍手。
その一言で、たちまち「面白い奴」として認識された。 以降、クラス替えがあっても、文化祭でも、部活の合宿でも、このフレーズを求められるのが恒例行事になった。
最初は照れくさかったけど、みんなが喜んでくれるから、自然と決めポーズまで付け加えるようになった。友達も増え、いつも輪の中心にいた。
「阿里亜の自己紹介見たい!」って言われるたび、ちょっと得意になって、何度でもやってみせた。
でも、卒業して就職したら、そんな機会はぱったりなくなった。
塗装屋の現場じゃ、名前なんて「阿里亜ちゃん」で十分だし、誰も下から読むなんて遊びをしない。同僚のおじさんたちにやったら、きっと「何言ってんだこいつ」って苦笑いされるだけだ。
だから、今はこうして、誰もいない帰り道で、こっそり呟くしかない。
「……ふふ、ちょっと恥ずかしいけど、やめられないんだよね」
自転車を漕ぎながら、小さく笑う。 あの頃の輝きは、もう現実にはないかもしれない。 でも、ゲームの中なら、アメリアとしてなら、まだ誰かに必要とされている。
部屋に戻ると、すぐにシャワーを浴びて、ゲーム用のノートPCを立ち上げる。 これが、阿里亜の一日の癒しだった。
ログイン。 キャラクター名:アメリア。
深紅のドレスが優雅に翻り、紅の庭園に転移する。
【アメリア】「ただいまー」
ギルドチャットに、すぐに反応が飛ぶ。
【さつき】「お帰りなさい、アメリアさん!」
【cat】「今日も新しい装飾、追加しました! 見ててください!」
【メリッサ】「お疲れ様、アメリアさん。紅茶、淹れておきましたよ」
阿里亜は、思わず苦笑いした。
(……なんで、みんなこんなに慕ってくれるんだろ)
最初はただ、「箱庭を一緒に楽しみたい」と思ってギルドを作っただけだった。
戦闘なんて興味ゼロ。 剣も魔法も使わず、ただきれいな部屋を作りたい。
インテリアが好きで、ゲーム内でも課金して家具を買ってしまう。 現実では塗装屋の作業員だけど、色や質感には人一倍こだわりがある。
それなのに。いつの間にか、メンバーが増え、拠点ランキングは一位に。
「スカーレットギルドのアメリアさん」と呼ばれ、畏敬の目で見られるようになっていた。
【アメリア】「みんな、ありがとう……本当に、嬉しいわ」
画面の向こうで、阿里亜は頬を緩める。 現実では、ただの塗装屋の新人。 高校卒業してすぐ働いて、友達も少ない。 でもここでは、みんなが自分の作った空間を褒めてくれる。 自分のセンスを、認めてくれる。
(戦うのは苦手だけど……ここなら、私にもできることがある)
ふと、今日の出来事を思い出す。 森で出会ったフローライトのメンバーたち。 特にあのリデルって人……多分、かなり強敵になりそう。
【アメリア】「フローライトさんたち……次回のコンテスト、本気みたいね」
【メリッサ】「ええ。私たちも、負けられませんね」
【アメリア】「ふふ、そうね。私たち、戦うのは得意じゃないけど……」
優雅にカップを置く。
【アメリア】「箱庭で、頂点に立つのは、私たちよ」
現実の阿里亜は、画面に向かって小さく拳を握った。
(負けないよ。私だって、塗装屋のプライドがあるんだから)
箱庭の女王。スカーレットの期待を背負う彼女は、箱庭において誰にも負けるわけにはいかない。




