模倣者
「あのさ。髪の毛ピンクにしてみたら、どんな感じになるかな」
隣のテーブルから聞こえた声に、俺は思わず視線を向けた。
時刻は正午を僅かばかり過ぎたぐらい。大学構内にある生協食堂で、俺はいつも通り昼食をとっていた。
特に普段と変わったことのない平凡な日常が、今日もだらだらと過ぎていた。変わったことといえば、食堂が普段よりも混んでいるという事くらいだ。雨が降っているせいか、今日はどこもかしこも満席状態。あたり一面黒い頭ばかりが、まるで団子のようにひしめき合っている。だが、それだけだ。非日常的な要素なんて、何一つありゃしない。
それだけに、『髪の毛をピンクにする』だのという突飛な発言が、俺の注意をひきつけたのだ。
だが、俺の想像をあざ笑うかのように、本人の容姿は話の内容とは正反対とも言えるほどだった。
化粧っ気もあまり感じさせない、縁なしメガネを掛けた姿は、真面目そうな文学少女的イメージ。背中の中頃まで伸ばした髪の毛は、染色さえ施したことがないと思われる、緑髪という言葉が相応しいほど艶やかな黒髪。向かいに座っている女学生も、彼女とよく似た雰囲気を持つ女性である。
そんな彼女たちには似合わない発言の出どころを、しかし俺は何となく知ることになった。
要するに、居たのである。実際に髪の毛を真っピンクに染めた、ド派手な服装の女性が。テーブルを一つ挟んだ向かい側の席だったが、パステルカラーの髪の毛ともなれば、嫌でも視界に入るだろう。なるほど、彼女の髪を見て先ほどの言葉が出たというのなら、頷ける。
だが、次に続いた会話を聞いて、その仮説も壊れてしまった。
「でもね、ピンクって派手すぎないかな? もう少しおとなしめの色にした方が、私は良いと思うんだけどな」
「そうかな、私はこっちの方が良いと思うけどさ。周りが暗い色だから、控えめにすると目立たないと思うんだ。彼女は何としても目立たせないと」
……なるほど、そう言うことか。さっきの話、別に彼女たち自身の髪の毛の事を言ってた訳ではないらしい。
熱心に話し込む二人の間に積んである紙の束。首を伸ばして覗き込むと、色鮮やかなイラストが紙一面に描かれていたのがチラリと見えた。その中には、確かにピンクの髪の毛をした女の子もいた。
察するに、ピンクの女の子がヒロインの漫画でも描いているのだろう。うん、おそらく間違いないはずだ。
「じゃさ、彼氏は少し落ち着いた印象でも良いよね?」
「あ、確かに!」
「じゃあさ、こんなのはどうかな? 身長は平均より低めで、優男で、黒いジャケットに白いシャツ……」
指折り数えていく設定を、相方の女の子がデッサン画にしていく。数秒後には、一人の男性のイラストが出来上がっていた。
そう言えば、ヒロインのピンク髪の娘はモデルがいた。だとすれば、もしかして彼氏役にもモデルになった人物が居るのでは……?
うん、予想通り。 設定そのものと言っても過言ではないほどの人物が、食堂の入り口の方に立っていた。気をつけていないと見過ごしかねない程目立たない男性だったが、あの茶色がかった癖毛は間違いようもない。服装も見事に一致している。
そう言えば聞いたことがある。小説家は自分の作品に登場する人物像を、実在の人間のイメージから拝借する事があるのだ、と。彼女たちは、今まさに同じ事をやっているのだろう。
──おもしろいな。
漫画の制作過程なんて、なかなか興味深いじゃないか。もう少し詳しく話を聞いてみようと、平静を装いつつも俺は耳をそばだてた。
「ところで、この部分なんだけどさ……」
話題の中心は、何時しかストーリーへと移っていた。
なんだ、人物設定はもう終わったのか。もしかしたら、俺がモデルの人物も出てくるかと思ってたのに、残念だよ。もう少し目立つ格好でも、してくれば良かったかなあ。
「ここで、この女の子が出てくるんだけどさ、今の展開だと全く必要ないよね?」
……なんだ、人物を減らす相談でもしてるのか? 確かに、考えてみたらその通りかもな。増やすばっかりじゃ、物語もパンクしてしまうだろうしな。
呑気に考えていた俺だったが──
「そうだね、仕方ないよ。その娘はストーリーから消しておこう」
そのセリフと共に、一つ向こうのテーブルに座っていた女の子が消えた。その光景を見て、俺の思考は現実に引き戻された。
確かに俺は見た。立ち上がってどこかに行った訳でもない。まるで誰かにかき消されたかのように、居なくなってしまったのだ。
どういう事だろう、これは……。
考えている間も、彼女たちの会話は進んでいく。
「そしたらね、こっちの男の子も要らないんじゃないかな」
「あ、本当だ。名前だけしか出てこないもんね、居てなくてもおんなじだ」
その瞬間、右隣に座っていた男子学生が、先ほどと同じように消えた。跡形もなく、初めから存在していなかったかのように。
俺の背筋を、冷たいモノが流れ落ちた。すぐにここから逃げよう。
本能が警鐘を鳴らす。これ以上、このことについて考えてはダメな気がする……!
しかし、そうは思っても、頭は勝手に考えてしまう。
もしかしたら彼女たちは──
「あ、こんな所で勝手に真相に気づいちゃう子が出てきたよ」
周りを真似ているんじゃなくて──
「本当だ。これじゃ、話にならないよ」
むしろ周りが彼女たちを──
「仕方ないね」
「──この子には、消えてもらおう」
こちらの手違いで、正しく投稿出来ていませんでした。
企画小説にもかかわらずミスを犯してしまったこと、深くお詫び申し上げます。