3話 ある程度知らなきゃ生活できない。
異世界生活、初日。
サジは今、ポタルの店――「召喚屋ギムズ」のダイニングで、朝食の席についていた。
この異世界に召喚されたのは、早朝だったらしい。
だが、サジは特に寝不足を感じることもなく、体は快調だった。
女神ギムの言う通り、「現実世界で夢を見ながら」とは、生物としての睡眠は取れている、ということなのかもな、とサジは思った。
ポタルに連れられ、サジが階段を降りると、パンの香ばしい匂いと、スープの湯気が立ち込めていたのだった。
目をこすりながら状況を確認し、改めて「ここが異世界なのだ」という事実を飲み込むことになった。
そこには、サジにとっても、特に違和感のない木製と思われる四つ足のテーブルと、こちらも四つ足の、背もたれのある木製のイス。一つのテーブルに対してイスが四つ置いてあり、ポタルに促され、そのうちの一つに座る。
「じゃーん!ゲスト向けに、朝ご飯も準備してありまーす!」
ポタルは手早く皿に盛り付けを済ませ、テーブルの上にはシンプルな朝食が並べられた。丸いパン、ハーブの香るソーセージ、野菜たっぷりのスープ。
「なんだ、これ、普通にうまそうだ。いただきます……って、これ、どこで仕入れてるんだ?」
サジはソーセージを口に運びながら、ふと疑問を口にする。
異世界の食事ならもっと粗野だろうと想像していたサジの口に、意外にも、その食事は合っていた。ソーセージの塩味、パンの柔らかい食感、スープの優しい温かさ、その全てが体に染みる。
「ふふふ、ちゃんとした市場があるんだよ!ここは王都のすぐ南にある街でね」
パンをかじりながらポタルが続ける。
「王都から一番近い幹線道路沿いの街で、商業エリアでもあるし、食材の流通も安定してるんだよ」
(なるほど、異世界とはいえ、文明レベルは意外と高いらしい。少なくとも、俺が想像していた「異世界=不便な中世世界」というのとは、少し違うようだ。)
「召喚屋ギムズっていうのは……つまり、召喚魔法を専門に扱う店ってことで、いいのか?」
「そう! 依頼があれば、召喚にまつわることならなんでもするよ!召喚魔法関係の道具を売ったり、道具を運んだり、召喚獣を呼んで戦わせたり、お仕事させたり、呼び方をレクチャーしたり、」
「たまには王都のクエストをしたりね!」
どうやら、商店と工務店とコンサルとその他色々と、そのちょうど間くらいのことをしているようだ、とサジは受け取った。
「一番最近やった仕事はね、なんだったかな……。あぁ、そうそう。王都で召喚術に苦戦している学生くんの家庭教師をやったかな。」
「まぁ、普段は店先に立ちながら、空いた時間で研究したり……。自慢じゃないけど、お金に困らないくらいのお仕事と収入はあるよ!」
サジが思いついたままに問う。
「人間も今回みたいに召喚するのか?」
「まさか!」
(さらっと否定されたか。俺が店の商品リストに載ることはなさそうで安心だ。)
ポタルは一通り食べ終わったようで、さらに、近辺の地理について説明する。
「一気にわーっと言われてもわからないだろうから、いちいち名前まで覚えなくてもいいけどね」
「ここはエンデュラン王国の領土、イニシアの街!ここから北に少し行くと、王都オルタナピアがあるよ!」
「イニシアは、田舎ってほどでもないし、かといって都会でもない。暮らすにはちょうどいい場所だよ」
田舎でも都会でもない街、というところに、サジは親近感を覚えた。
彼の現実世界での故郷、兼昨日までの住居は、それと同じように、都会ではなく、日当たりが良く、人も温かい、のんびりした街だったからだ。
厳密には、大きく区分すれば田舎判定されることの方が多い街ではあったが。
なんにせよ。
(異世界とはいえ、どうやら生活水準は思ったより高そうだ。しばらくはここで暮らしても、それほど辛くはないかもしれない。)
そうポジティブに感じながらも、サジは一旦ポタルの話を止める。
「ちょ、ちょっとだけ待ってくれ。なにか、こう、メモ帳や手帳みたいなものと、それからペンはないか。聞いたこと、学んだこと、自分の頭以外の外部の媒体に載せておかないと、何度も聞いてしまうことになりそうだ。」
サジにとって、メモ帳は、記憶媒体であると同時に、言う事がコロコロ変わる上司や、自分で言ったこともロクに覚えていない同僚を対策するための、いわば武器であり防具でもあった。
部署異動やアップデートの対応で、業務用パソコンを交換する機会があれば、まず真っ先にやることは、電子メールのバックアップ設定だったほどである。
「え?そう?何度だって聞いてくれて構わないけど……。じゃあ、後で渡すね。」
「今話したことは、もう一回話してあげるから♪」
◇◇◇
食事を終えたあと、サジはポタルに案内されて店の裏手にある浴場へ向かった。
「異世界の風呂って、どんなもんなんだ……?」
ポタルに促され、サジが期待半分、不安半分で扉を開けると──。
そこには、ほぼ現代のそれと変わらない、タイル張りの清潔な浴室が広がっていた。
ただ、見慣れた給湯器や、何らかの熱エネルギーの供給源や、シャワーヘッドから壁に繋がる水源が見当たらない。そのあたりも魔法で下支えしているのだろうか。
(だとすると、もしかしたら、現実世界以上に──。)
(異世界の方が現実世界より遅れているはずだ、と考えること自体が、驕りなのかもしれないな。)
「……うん、普通に快適そうだな。」
「でしょ? 異世界からゲストを迎えるんだから、相応の準備はしてるんだー♪」
ポタルは得意げに胸を張る。
(確かに、水回りが整っているだけでなく、食材の流通も安定している。想像していたより、ずっと暮らしやすそうだ。)
「イニシアの中だって、まだまだキミが見たら珍しく感じるモノは、きっといーっぱいあるし!王都まで出れば、もーっといろんな変わったものもあるよ!」
「しばらくは、なにもせずに観光だけするっていうのも、悪くないと思うよ?」
ポタルはそう言ってウインクする。
サジは、それは魅力的な提案だ、さながら、”生きた”世界を体験出来る、どこまでも続くテーマパークだ。命の保証はないにしても──、と少し浮ついた気分になりながらも、自制して、低い声で、答える。
「……確かに、環境は快適だ。だが。うん。観光して遊んで暮らすのも楽しそうだけど……俺には、やるべきことがある、かな。」
「ふーん?」
ポタルが面白そうに見る。サジが続ける。
「とりあえず、大人として、お金も払わずにただ歓待されるだけっていうのは、ちょっと居心地が悪い。
出来ることがどれほどあるかわからないが、可能な範囲で仕事を手伝わせてくれないか。」
ポタルはふんふん、と関心している。
「おー♪いいね、いいね♪ちゃんとしてるんだねぇ? 『せっかく異世界に来たんだからラクしたーい』って言ったっていいのに」
「その上で、現代に帰るための、『やるべきこと』ってやつも見つけていかないと行けない。わかりやすく魔王とかがいるなら良かったんだけどな。」
サジの言葉に、ポタルは少し驚いたように目を丸くしたあと、ニヤリと笑った。
「ねぇそれ、順番が逆じゃない?先に帰るための方法を見つけなくていいの?」
──最もだ。サジはポタルの意見こそ真っ当だと感じたが、しかし、柔らかく否定して、続ける。
「両方やらないとな。タダ飯食って遊んでばかりって訳にはいかない、平行してやるべきことを探していかないと。」
ポタルは少し考える素振りを見せたあと、腕を組み、わざとらしく唸った。
「うーん……そうかそうか……。オトナだねぇ、立派だ──。じゃあ、わたしも協力しない訳にはいかないねぇ♪」
しばらくして、ポタルはニヤリと笑い、サジの肩をポンと叩いた。
「じゃあ、今日からキミは召喚屋ギムズの新人スタッフってことで!一緒にがんばろー♪」
「新人、か。年齢的には中途採用の方がしっくりくるくらいの感じだけどな。」
「でもまあ、呼びつけたのはこっちなんだし、見習いとはいえ、フラットな関係で行こうよ。お仕事半分、観光半分くらいの気持ちでいいから、よろしくねっ!」
楽しそうに笑いながら、ポタルはグータッチを求めた。サジは少し考え──、グータッチを返した。
◇◇◇
そこでふと、気づく。
「あぁ、そうすると、新人スタッフってことだけど、給料……は、まぁ、働いてないのにする話でもないんだが……、関連して、お金ってどんな単位なんだ?」
「王国で使用している通貨は、”リム”。ほら、こんな感じ。」
ポタルは、ポケットから、コインを取り出して見せた。1という数字の周りに、リボンのような螺旋の輪が彫り込まれている。
「これが1リム。この街のパン屋さんのパンはだいたい1リムだから……って言えば、キミの世界と比べられる?」
首を傾げて問うポタル。サジは
「そうだな……。ざっくりだけど、100円=1リムってところかな」
と呟いた。
「へぇ、すっごく細かい単位なんだねー!なんだか計算が大変そう!」
そう言ってニコニコしているポタル。
(大人になってからしばらくご無沙汰だったかもしれない。計算が立たない世界、だな。)
天を仰ぎ、ほんの少しだけ笑いながら。こうして、サジの異世界での生活が、正式に始まることに──。
◇◇◇
まだ、ならなかった。
「じゃあ、まずはイニシアを少しだけ観光しつつ、サジの服を買いに行こうー!ほら、外に出て!」
「え?お、おお、ありがとう」
ポタルに促されて外に出ると、そこには、現代のものよりも、ボディに曲線形状こそ多いが、紛うこと無き……
「え!?自動車!?なんで異世界にクルマがあるんだ!?」
「え……うん、便利だからじゃない?」
(おいおい……。こっちの世界の方が進んでるんじゃないのか……?)
ポタルの運転する自動車の助手席に乗り、この世界に馴染む”装備”を手に入れたところで、サジの異世界での生活が、始まるのであった。