15話 それしかないなら仕方ない。
──タクシーの揺れが心地いいな。
彼は、座席に深く腰を沈め、ぼんやりと窓の外を眺めている。
車は静かに進んでいた。知らない道だが、見覚えのある景色。来たときと、同じ景色。
窓から、朝方の草原が見えている。
そして、運転席に座るのは──
「お客さん、どこまでいきますか?」
ルームミラー越しに、女神のような風貌の運転手が笑っているのが見える。
「……白々しいですよ。女神様。」
(前に直接見たのはいつだったか思い出せないが、召喚屋ギムズにはあんたの像があったからな。こっちはちょいちょいあんたの姿を見てたんだよ。)
異世界に飛ばされる前、彼を乗せたタクシー。そして、異世界から戻る今、彼を乗せるタクシー。
この運転手の正体。──女神ギム。
「ええ、おつかれさまでした。」
運転手──いや、女神ギムは、笑みを崩さずにハンドルを握り続ける。
「さて、あなたの冒険も終わりました。存分に楽しめましたか?」
「……まあ、ね。」
振り返ってみれば、色々あった。あり過ぎた。
ポタル、オン、<<薔薇と月>>、ハピサキの人たち、カーロウ、リトル・ウィンターたち、フギリ。
戦って、逃げて、悩んで、笑って、最後には魔法すら使えなくなって──。
(それでも、楽しかった、とは、胸を張れるかな。)
彼は、窓の外を見た。
景色がキラキラと輝いている。
今回も、海か川かはわからないままだが、道は水辺に差し掛かったようだ、と感じる。
世界が、平面から、奥行きが広がっていく。世界が捨てていた”情報”が、戻って来る。
「ああ、そうだ。女神様。忘れていました。」
「それで、ご褒美は?」
彼は、助手席の背もたれに肘をついて女神に尋ねた。
神に対する態度としては幾分強気だが、彼に降り掛かったことを考えれば、これくらいは許されるだろう、と踏んでいた。
「ほら、行く前にもちゃんと約束してたし、異世界モノには付き物ですよね?女神ギム様なら、結構なモノが出せるんじゃないですか?」
「ふふ、貪欲ですね。ですが、安心してください」
女神ギムは、フロントミラー越しにサジを見て、言った。
「あなたのPCに、あなた自身の感受性と能力で記した“なろう小説”として、今回の冒険譚を記録してあります」
彼は、しばらく沈黙した後。
「……は?」
一瞬。否、そう呼ぶにはやや長い時間、彼の頭は追いつかなかった。
「いや、どういうことですか?」
「つまり、あなたは、夜中に一晩で、これまでの異世界での出来事を、PCのテキストファイルに打ち込んだということになっています」
(おいおい……俺、そんなことした覚えはないが……?)
「因果律の整合性を取るための措置です。書いた記憶はないでしょうが、冒険の記憶はあるでしょう?」
女神ギムは涼しい顔で言う。
「あなたが異世界で経験したことは、"創作"として記録されました。異世界での記憶を失わないよう、かつ、2つの世界の理にも適合する形で」
「……。」
(なんじゃそりゃ……。)
(思っていたのとはちょっと違った、な。家族が病気にかからない、とかなら、素直に、全身全霊で喜べたのに。)
当てが外れたので、なんとなく、外を見る。景色は移り変わって、ぼんやりとした、朝方の街になっている。
世界に、人の営みが、感情が、時間が、戻って来る。世界は、2次元から、3次元に、巻き戻る。
相変わらず、「中」に居る彼には、わからないままだが。
「まあいいや……じゃあ、その“なろう小説”とやらを、俺はどうすればいいんでしょうね?」
「それは……、もちろん、投稿するといいでしょう」
「……は?」
「あなたの世界には、『小説家になろう』という便利な場所があるでしょう?」
「いやいや、待て待て待て、ちょっと待ってください。」
思わず身を乗り出す。
「俺、そこに投稿したことないですよ。」
「全然知らないし、半分想像ですけど。ああいうのって、いくつも作品を書いて、固定のファンがついて、腕を磨いて、みんなで成長して、みたいな感じなんじゃないんですか?」
「ええ、きっとそうでしょうね」
「それに、もし投稿してみても、あなたの文章力と感受性ですから、広大なネットの海に埋もれて終わりかもしれません」
「ひどい」
「ですが、それでいいのです。」
女神ギムは、微笑みながらブレーキを踏む。
「女神ギムの教義────覚えていますね?」
その言葉を最後に、タクシーは静かに停車した。
「お代を払っていないですが、いいんですか?」
彼はギムに聞く。ほんの少しだけ、おちょくるつもりで。
「……律儀ですね。」
ギムは、少し驚いた顔を見せる。初めてこんな顔をさせられたかもしれない。
(ここまでかかって、ようやく出来た反撃の手応えが、たったこれだけか。嗚呼、神様ってのは、本当に、大したもんだ)
「いいんですよ。私はね、楽しく見せて…読ませて頂きましたから、それで。」
「最後の最後で、人たらしみたいなことを言うんですね。」
感謝か、皮肉か、どちらとも取れるような言葉が彼の口から漏れると同時に、ガチャっと音がした。
タクシーの扉が開く。光に包まれる。
タクシーの、扉の先に、吸い込まれる感覚。
高速で、どこかに流れ落ちていくような、感覚。
彼の意識は、そこで途切れる。
◇◇◇
そして、しばらくして、また意識が戻り、彼の目が、開いた。
本来の、彼の家、彼の部屋で。
ベッドで、仰向けになった状態で。
───そして、彼は、昨日金曜日に寝たはずだったベッドに、「久しぶりに」戻ってきた。
時間は、土曜日の朝5時になっていた。




