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(これですべてはあなたの思い通りね……)

 エリシャの脳裏に彼女の居室を訪ねたジェレアクの言葉が甦る。


「シャーンの奴をおだてあげて、ちょっとした冒険に連れ出してくれればいいのさ」

 ジェレアクは、自分に何をさせたいのだと問うエリシャに微笑みかけた。

「無論、君は途中で手を引く事になる」

「あの小さな子をどこかの狼穴に置き去りにしてこいって言うの?」

 エリシャは(とが)めるようにジェレアクを(にら)んでみせる。

「おいおい、奴はおまえと十と違わなかったはずだぞ。確かに精神的にガキではあるが。

 だからといって悪戯(いたずら)(つね)に大目にみられるとは限らない事を教えてやらなけりゃな」

「エレインは悲しむでしょうね。可愛い息子の身に何かあれば」

 エリシャはシャーンとジェレアクの母の名を持ち出してきたが、そんなものに何の効力もない事は先刻承知のはずだ。

「闇の宮廷に身を置く者の定めさ。彼女はもう一人の息子に慰められるだろう」

「それで、私にどんな得があるの?」

「君はアズルに興味を持っているんじゃないのか?」

「…………?」

「アズルの民は寝台や椅子を使わずにこういう風に床で生活するという」

「彼らは絨毯(じゅうたん)じゃなく植物を編んだ敷物を使うそうだけど」

 エリシャは手近にあった(かご)からブラシを取り出し、髪を()かし始めた。

「ふふっ、お兄様もお気になさっていたのね?

 霧内海(きりのうつみ)のどこかに存在していると言われる幻の国。天まで続く晴れる事のない濃霧と強力な結界に(はば)まれて私たち闇の王族ですら、立ち入るどころか(のぞ)き見る事さえできない場所。

 建国の竜騎士セイジュのようにアズルから来たと称する者はそれなりに現れるけれど、外からあの国に行って帰って来た者は数える程。アズルについて知られている事はあまりにも少ない」

「あそこでは特殊な魔法が使われている」

「そう、アズルでは魔法の基幹のひとつである言葉がまるで違うらしいわね。

 闇の言葉、光の言葉、王国語、帝国語、小人、巨人、流浪の民(ラスティ)のそれ……ウェリアで使われている言葉は単語は違っても文法はほぼ同じ。

 すべて混沌の宮廷で使われていたと言われる言葉から派生したのだから、当たり前ね。なのに……」

「アズルは世界(ウェリア)が創られた時に国ごと異世界から(まぎ)れ込んだとか言われているからな」

「そう。あそこにはウェリアの他の場所にはない《力》がある。なのにこれまで、その《力》について詳しく調べたという記録はどこにもないわ。なぜかしら?

 まあ、私達《闇》の者が人間達のやる事にさして注意を払ってこなかったのは確かだけれど、《力》には敏感なはずよ。

 にも関わらず、記録がないというのはどう考えてもおかしいわ。意図的に記録を削除あるいは隠匿(いんとく)したか、あるいはそれ程にアズルの秘密が固く守られているのか?

 どちらにしても興味は尽きないわね」

「えらくご執心だな。……今度の計画にはアズルに(ゆかり)の者が一人、関係している。その者を梃子(てこ)にアズルの秘密の一部を探り出す手伝いをしよう」

「その情報はあなたも手に入れる事になるのよね?」

「否やはないだろう? その証拠に君の手はシャーンをたらしこむ準備に(いそ)しんでいる」

 ブラシを置いたエリシャはやはり籠から取り出したビーズを縫い込んだリボンを器用に髪に編み込み始めていた。

「まったく、どうしてあなたはそう自信家なのかしら? 時々ひどく腹が立つわ」

 ニヤリと笑ったジェレアクは唐突に話題を切り替えた。

「《月の谷》では年老いた女王が死に、今宵あらたな君主が立った」

「《月の谷》?」

 眉根を寄せたエリシャは話の転じ方に戸惑いながら、月の谷に関する記憶をたぐった。

「……まさかシャーンに戴冠の祝宴をメチャメチャにしようなんてもちかけさせるつもりじゃないでしょうね? いくらあの子でも、そんな話に乗ったりはしないわよ」

「まさか」

 ジェレアクは軽く肩をすくめ

「満月の夜に《月の谷》を攻める馬鹿はいない。襲撃をかけるのは次の新月。

 年若い女王が新たに負った重責に疲れ、お祭り騒ぎが終わって各国から参じた要人も帰国して警備が手薄になり、そして何より谷を護る魔法が薄れる……。

 シャーンには新しい女王の手並みを試しに行くだけだと言ってやればいい」

「本格的な戦闘ではなく彼らをからかいに行くだけだと? でも、結界はどうするの? いくら新月といってもそうやすやすとは破れないわよ」

「心配するな、結界の件は俺が片づける。おまえは俺とあいつの腕比べが見たいとかなんとか言って、うまくあいつをその気にさせてくれればいい」

「あなたの本当の目的はなんなの? シャーンにお仕置きする為だけにそんな大がかりな事を計画するとも思えないし……」

「俺はあいつに《冥府の鍵》を使わせたいのさ」

「《冥府の鍵》! 闇の王族の死をもってのみ(あがな)われる何人(なんぴと)たりとも逃れ得ぬ呪い……」

「俺もあの時、毒に(おか)されて口のきけない状態でなければ、そいつを使ってただろうに。

 誰かさんはそれも計算済みだったろうがね」

 (とげ)のある言葉にひるむ事なくエリシャは顔を上げ、まっすぐにジェレアクの双眼を見つめた。

「そんなもの使わせてどうするつもり? それにその呪いが誰に向けられるかわからないじゃないの? それともあなたは私に向けられればいい、とでも思っているのかしら?」

「アルスラヴィンという名を聞いた事があるか?」

「……? 一体何を……。アルスラヴィン? 《稲妻(レイプト)》の竜騎士アルスラヴィン?」

 ジェレアクは手をのばしてエリシャが髪を映す為に手に持っていた鏡を卓上に置かせ、指を複雑に動かして呪文を唱えた。

 鏡の中に黒髪黒い瞳の精悍(せいかん)な顔立ちの男の映像が浮かぶ。

「おまえの耳にも奴の噂が届いていたか。竜騎士共は皆人間としてはやっかいな連中だが、中でもアルスラヴィンはとびきりの強者(つわもの)だという。

 そいつが王の名代(みょうだい)として戴冠式に参列し、新女王の要請でしばらく谷に留まるらしい」

「彼にシャーンの相手をさせる、と?」

「アルスラヴィンの連れあいはアズルの王族の娘」

 指を何度かひねると鏡の映像がアズルの民の特徴と言われている、見る者をハッとさせるほど青い瞳と漆黒の髪を持つ、美しい女性の姿に切り替わった。

「十年ほど前、好奇心から霧海(きりのうみ)外縁(ふち)に沿って竜を飛ばしていたアルスラヴィンは、濃霧の壁に突然あらわれた隧道(ずいどう)によってアズルに招かれたという。

 そこで何があったかはわからないが、奴はそこから美しい娘を連れ帰った。継承順位は話にならないほど低いらしいが、王家の血を引くと言われるアイカ姫だ。

 奴がアズルに居た間、何を見、何を聞いたのか。王国に戻ってから伴侶に故郷の話を聞く事もあっただろう。

 死の間際に奴は自分の竜に別れを告げる為に魂を飛翔させるはずだ。その時ならアルスラヴィンの記憶を(のぞ)き見る事も可能だ」

「その為にも私にシャーンが後へ引けなくなるような状況を作り出せと言うのね。たとえ死んでもあなたと私の前で無様(ぶざま)に逃げ帰る訳にいかなくなるような」

「簡単だろう?」

「言葉で言う程じゃないわ。あの子だって本当の馬鹿じゃないもの。あなたと同じ両親の血を引いているのよ」

反吐(へど)が出そうな事実だな」

「で、肝心のあなたの真の目的を聞かせてもらえる?

 何の為に《冥府の鍵》を発動させたいのか?」

「そいつはこの宮殿内で話す訳にはいかないな。そう、ちょっとばかり遠出に付き合ってもらわないと」

「私を誘い出す為の罠、という訳じゃなさそうね?

 いいわ、どこへでも連れていってちょうだい。それであなたの口が軽くなるというのなら」





 つ――

 アルスラヴィンの頬に一筋、血が流れた。シャーンの放った衝撃波がかすめたのだ。

(また避けた! ……クソッ、なんて奴だ)

 歯噛みしたシャーンは新たに繰り出されたレイプトの刃を剣で弾き飛ばし、間合いを詰めようと突進

する。

 ヒュンッヒュンッヒュンッ――

 振り払う度、引き戻され、すかさず投げつけられるレイプト。

 シャーンは攻撃しては退き、退いては攻めるラヴィンに翻弄(ほんろう)され、剣の届く範囲にすら近寄れない自分に苛立(いらだ)っていた。

 かといって直接相手の身に影響を与える魔法を操るには複雑な呪文なり、身振りなりが必要で、間断ない攻撃を加えてくるラヴィンはシャーンにそれを行う暇を与えてくれない。

(冗談じゃない。《魔の山》の麓から皆がこの有様を見物してるんだぞ)

 レダニアやサーラは遠見の術に長けている。それにシグニイの幻術を合わせれば、距離も近く、結界の一部が開いている今、たった一人の人間相手に苦戦している彼の表情までが、一族の見上げる空いっぱいに映し出されていても不思議はなかった。

「ハアッ!」

 右手の剣でレイプトを払いながら、左の掌から暗黒の球と化した魔力を打ち出す。どこまでも獲物を追うように制御する事も可能なのだが、執拗(しつよう)な攻撃を避けつつ行わねばならないせいで詰めが甘くなり、またしても(かわ)された。驚くほど身軽な男だ。

 このままでは(いたずら)に体力を消耗するだけだ。既に肩で息をしているシャーンは何が何でも目の前にいるこの男を倒さねば面子(めんつ)が失われる、と危険を(おか)して強力な魔術を使う事を決意した。

 一旦、レイプトの縄の届かぬ所まで退()がろうとした、まさにその時。

『女王との会見は終わったわ。皆、退()きなさい』

 谷全体に投げかけられたエリシャの心話が届き、続いてどこからともなく響き渡るミルディンの声が、撤退する魔族軍を追走せぬようにと触れを出す。

「馬鹿な! 勝負はまだついていないんだ。なんだってそんな……くそっ!」

 あせったシャーンは充分な間合いもとらずに剣を大上段に構え、大技を使う為の唱呪にはいった。

「やめろ、シャーン! さっきの心話と陛下の声が聞こえただろう。戦いは終わったんだ」

 レイプトを束ねたラヴィンが言葉を連ねる間にも、シャーンの剣に《力》が満ちてゆく。

(くっ、このままではやられる……やむを得ん)

「《稲妻》よ! その名のごとくあれ!」

 電光石火! ひときわ輝きを増したレイプトが闇を切り裂き――

「ぐはっ!……」

 今まさに呪文を完成させようとしていたシャーンの、鎧をつけぬ胸を貫いた!

 魔法によって操られた刃は唸りをあげて反転し、更にシャーンの背に突き立つ。ピンと張られた縄を通じ、アルスラヴィンの魔力がシャーンの体内に流れ込んでゆく。

 どっくん……どっくん……どっくん……

 鼓動の音がやけに大きく、ゆっくりと響く。ゼイゼイと耳障りな音は自分の喉から出ているのか?

 両手に剣を握りしめたまま、自分の身に起きた事を信じられぬように立ち尽くしていたシャーンは、己の身体が蒼白く発光し始めているのに気づいた。

 レイプトの光と同じ色。うっすらと、だが明滅を繰り返しながら確実に強まっていく光。

「レイプトの……アルスラヴィン……」

 シャーンは死を、誇り高い闇の王子たる彼に敗北を与えようとしている男を睨み据え、苦痛と怒りに燃える魂で足下に口を開けた冥府への扉から、呪いの言葉を引き出した。

 闇を統べる一族でさえ、口にすれば望みの成就と共に自らの死をも逃れ得ない死の呪縛。

 《冥府の鍵》

 必殺の武器と化したどす黒い暗黒がアルスラヴィンを捉えた。



『ラヴィン――!』

 エリシャの合図に剣を収めたヘルヴァルドと空中で睨み合っていたヴァルガスが、心と咆哮で悲痛な叫びをあげた。



 からみつく、闇――

 最期の力を振り絞ったラヴィンが右手を挙げ、宙に図形を描いて短い呪文を唱えた。シャーンの身体が青焔をあげて燃え上がり、断末魔(だんまつま)の叫びが(こだま)する――


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