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08

 鞍を滑り降りたアイシャは積もった朽ち葉に足首まで沈み込んだ。

 《王国》東部。《賢者の塔》の所領と接するエーリアル公爵の領地に広がる深い森。

 夜も深い。今宵(こよい)は新月であったけれど、例え煌々(こうこう)と月が輝いていたとしてさえ、その光は数多(あまた)の枝葉に(さえぎ)られ、真の闇を見通す瞳を持つ魔族ででもなければ、足を踏み入れる事はかなわなかっただろう。

「本当にここでいいの、ムニ?」

「間違いございません」

 黒猫姿のムニが一角獣の鞍に乗ったまま伸びをする。闇の一角獣は誇り高く、主であるアイシャが手綱を持っていなければ変幻獣などすぐに振り落とされてしまうのだろうが。

「ジェレアク様が選ばれたのは(まさ)にこの場所で」

 一角獣が気むずかしげに身体を揺すり始めたので、どうにも居心地が悪くなって、手近な木に飛び移り、しっかりした枝の上で前足を()める。

「そう、わかったわ」

 手綱を放したアイシャは目を閉じて掌を合わせ、ジェレアクに教えられていた呪文を唱えた。

 ザ――ッ

 突然巻き起こった旋風が眼前の大地から木の葉を吹き払い、ジェレアクが密かに描いておいた魔法陣が現れる。

「これは……?」

 闇の中にあってなお黒々と、常人の目には映らぬ線で描かれたその図形を見てアイシャは身内に震えが走るような感覚を覚えた。

「これは、一体何? 見た事ないわ、こんな形」

「それはもう、ジェレアク様が考案された力作ですから、そんじょそこらの魔法書に載っている代物とは訳が違いますよ。

 ですから、しっかりとあの方のおっしゃった手順を踏んで儀式を進めてくださいよ。くれぐれもおかしな事をなさいませんように。何が起こるか保証の限りではありませんからね」

 ゴクリと唾を飲み込んだアイシャは腰に着けていた小物入れを開け、小さな革袋を取り出した。袋の口を縛っている紐を解き、卵形をした黒い物体をあらわにする。

 彼女には変わった形をしたただの石に見えるが、ジェレアクはそれを彼の望みをかなえてくれる魔石だと言った。

「暗黒の方陣よ 選ばれし者 闇の姫御子たる我に扉を開け

 我が名はアイシャ 汝の創り主たるジェレアクの妹なり」

 閉じられていた空間が開くのが感じられ、ジェレアクから託された石を捧げ持ちながら歩を進める。ゆっくりと一歩一歩。

「――!」

 図形に足を載せた瞬間、ビリビリとした刺激が走った。が、なんとか取り乱さずに切り抜け、中央に記された定位置へと慎重に石を安置する。

「上出来ですアイシャ様。後はそのまま後ろ向きにさがって入った時と同じ場所から出てください」

(うるさいわね。おまえなんかに言われなくてもわかってるわよ。

 面白い子だと思ってたけど、最近態度が大き過ぎるわ。自由に話せるようになったら言って聞かせてやらなくちゃ)

 魔法陣を出、その直近にひざまづいたアイシャは必要な呪文を唱えながら、ジェレアクからの合図を待った。





「うわあぁっ!」

「ぎゃあっ!」

 剣を振るうたび、悲鳴が起こり、血しぶきが飛ぶ。

 そのほっそりとした体つきからは想像もできないような力で重い長剣を自在に操るエリシャは見事な手綱さばきで《月の谷》の兵士達をかわしながら城を目がけて突き進んだ。

 既に《月の城》は目前。月香樹の木立に囲まれた芝生の上に松明や剣、槍をかざした兵達が馬に乗り、あるいは歩行で彼女の行く手を(はば)もうと待ち構える。

『そろそろ、よろしいようですよエリシャ様』

 鴉姿に戻って、こっそりとシャーンとラヴィンの戦いの様子を見守っていたフギが心話を送ってきた。

『そう、こちらも限界だわ』

 今はシャーンの部下ガスコインが指揮する軍勢はシャーンとヘルヴァルドの「手出し無用」の命令によって魔王子達と竜騎士達との戦いの場を行き過ぎ、近くの詰め所から出動した月の谷の兵士達と交戦中。

 ジェレアク軍も《月の(しずく)》から魔槍(ランドグリーズ)を抜く為に派遣された一団と戦闘の最中。

 速さを最大の武器として、ここまでたどり着いたエリシャだったが所詮(しょせん)は単騎。次々に現れる兵達に囲まれて逃げ出す事すら困難になりつつあった。

 だが、彼女にはまだやる事が残っている。

「私はディスファーンとレダニアの娘エリシャ。出てらっしゃい、月の谷の女王!

 闇の王女が直々に即位を祝いに来てあげたわよ!」

「これはまた、随分と乱暴な訪問だな。魔族という(やから)は礼儀作法もわきまえぬのか?

 例え戦を始めるにもまずは槍を投げる【宣戦を布告する意の慣用句】ものだろう」

 呼ばわるエリシャに応えたのは白馬に乗り、白い鎧に身を包んだ騎士。きらめく剣を抜き放ち、緑のマントをひるがえす。

「これはこれは。女王のお身内とお見受けするけれど?

 おっしゃる事はわかりますけれど、まずは名乗って欲しいわね。それとも魔族などに教える名はないとでも?」

 白馬の騎士は兜を脱ぎ、金色の豊かな巻き毛と金緑の瞳を現した。

「私はディアン。先の女王の長子」

「ご尊顔を拝せて光栄ですわ、ディアン様。一言申し述べさせていただくと、槍は投げられましたのよ。口上はありませんでしたけれど」

「《月の雫》に向けてな」

「多分、手元が狂ったのでしょう。ジェレアクはあの槍の扱いに慣れているとは言えませんもの」

「過ちだったと言うのか? ならば早々に槍を引き抜いて帰るがいい」

「帰りますとも、新しい女王陛下に拝謁(はいえつ)の栄を(たまわ)りましたらね」

「馬鹿な。陛下は……」

「わたくしの顔さえ見れば剣を引くとおっしゃるの?」

 突然、天から声が響き、大きな額飾りのようにも見える白金の冠を戴いたミルディンが二人の間に現れた。

「ミルディンっ……!」

 取り乱したディアンが女王ではなく、妹に呼びかける。

「案じないで、大丈夫です」

「影を送ってきたのね? お辞儀はしないわよ。影は影でしかないんだから」

 それでもエリシャは隠しから取り出した手布(しゅきん)で刃をぬぐって剣を鞘に収めた。

「闇の王のご息女、エリシャ様」

 ミルディンの影は女王の威厳を保ったまま堂々とエリシャに向かってお辞儀した。

「わたくしが《月の谷》の女王ミルディンです。

 今宵はわたくしの即位を祝いに来てくださったとか。お礼を申します」

「随分お若いのね。あなた方が普通の人間より長命なのは存じてますけど」

「お若くとも陛下のお力は絶大だ。見くびらぬ方がよいぞ」

 影を守るように進み出たディアンがエリシャを()め付ける。

「私も一族の中では若輩(じゃくはい)。決して陛下を(あなど)ったりはしませんよ。

 ――ではミルディン様、私の挨拶は受け入れられたと思ってよろしいのね?」

「もちろんです。不幸な行き違いで多くの血が流れましたが、あなた方がこのまま剣を収めてくださるというなら、一切追撃はしません」

「陛下! それは……」

 今回の闇の軍勢は小勢、不意をつかれた谷側は多大な被害をこうむったが、そろそろ態勢も整い、反撃に転じかけていた矢先である。が、谷の民とラヴィンの身を案じるミルディンはきっぱりと言い切った。

「女王の名にかけて保証いたします」

寛大(かんだい)なお言葉、感謝しますわ。我が軍の兵達も直ぐさま退かせましょう。それでは」

 谷全体に響き渡る心話によって全軍撤退の命を下したエリシャは、一角獣を後足で立たせるとそのままクルリと反転させて駆けだした。

 その刹那――

 ――――!

 衝撃が走った。

 それは魔法を使えぬ者には感じられぬ(たぐい)のものだが、あまりの凄まじさに一角獣ですら足を止め、エリシャは急激な停止に鞍から投げ出されそうになる。

「シャーン……」

 エリシャの唇から弟の名がもれ、その双眼からほんのわずか、涙がにじみ出した。


※隠し(ポケット)

手巾ハンカチ


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