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07

「どいてっ!」

 谷の結界が破れたまさにその瞬間、《裂け目》から飛び出してきたエリシャが恐ろしい勢いでジェレアクのすぐ脇を駆け抜けていった。

 そのまま谷へ身を躍らせ、見事な手綱さばきで垂直に近い崖をかろやかに駆け下りていく。

「フギっ!」

「承知しております」

 ジェレアクの一声に応え、大鴉が一羽ピタリとエリシャの後をついていった。

「待てっ! エリシャ、一人では危険だっ」

 軍勢を率いたシャーンが叫ぶが、エリシャは既にその声が届かぬほど先行してしまっている。

「俺が行く! シャーン、おまえは軍を進めろっ」

 シャーンと並び現れたヘルヴァルドが隊列を離れてエリシャの後を追い始めた。

「ジェレアク! 退路を確保しておけよ」

 すれ違い様、念を押す。

 ランドグリーズが《月の雫》に突き立っている今、結界の開かれた部分から谷へと《闇の気》が流れ込んでいるが、槍が抜かれれば、女王の魔力が再び魔石に働き、結界が閉じてしまうだろう。

 そうなれば、彼らの魔力は半減し、苦しい戦いを強いられる事になる。

「ヘルヴァルドっ!

 ちっ、エリシャは俺が守るって約束したんだよっ。――ガスコイン!」

 シャーンは鎧姿(よろいすがた)の従者の一人を呼び寄せた。

「後の指揮はおまえが()れ!

 何、俺達が引き返してくるまで適当に暴れてりゃいいんだ。俺はエリシャを追う」

 否やを言う(いとま)を与えず、闇の貴族であるガスコインに采配(さいはい)を押しつけると乗獣グランの腹を蹴る。

「アンタの裏切りで俺の身に何か起こったら、《冥府の鍵》を使うからな!」

「勝手にやってくれ」

 自軍の兵達を残して飛び去ってゆくシャーンの捨て科白を軽くいなしたジェレアクは自分の兵に指示を与え、ランドグリーズを引き抜くべく向かってくる敵に備えて、陣形を整え直した。





『近づいてくる。地を走っているとは思えぬ程の速さだ』

 (はがね)よりも固い、青みがかった銀の(うろこ)。頑丈な骨格に張られた薄膜のような翼。付け根は太く、先は細く、先端が(やじり)状にとがった力強い尾。鋭い鉤爪(かぎづめ)を持つ四肢と長い首、(つの)のある頭。

 《月の谷》の上を飛ぶ巨大な竜がその牙の並んだ口を開ける事なく、心で背に乗ったアルスラヴィンに語りかける。

 竜には魔法を()ぎ分ける能力があり、臭跡を三次元的に(とら)える事も可能なのだ。

「闇の王族……か?」

 ラヴィンの方は心話と併せて肉声も使っていた。竜達が音楽同様その相棒の声を聴くのを好むのは知られている。

『おそらく』

 《裂け目》出現の報を聞くや(いな)や、通常、竜の(くび)の付け根に装着する鞍も着けずにヴァルガスに飛び乗ったラヴィンは《月の谷》の兵士達が非常に迅速(じんそく)に行動したにも関わらず随分と先行していた。

 今宵(こよい)は礼装ではなく、上質ではあるがくだけた普段着に慣れた靴を履き、飾り気のない幅広で短い剣を帯びている。

『おお、また一騎……いや、すぐ後にもう一騎続いているな。空を飛んでくる』

「どうする、ヴァルガス?」

『妖魔とは格が違う。この三人はディアン殿達には少々荷が重かろう』

 ラヴィンはニヤリと笑ってベルトに付いた帯革の留め金を外し、束ねた細縄をつかんで、()り戻しの先に付いた羽根付の刃を鞘から抜き出した。竜の牙を()ぎだしたと言われる厚みのある刃は乳白色の半透明で、長さは(てのひら)ほど。縄の反対側には小さな三つ又の鉤が付いている。

「俺にはおまえのような翼はないからな」

『空の敵は引き受けよう』

 言い終わらぬうち、ヴァルガスは下降を開始し、可能な限り飛速をおとして地面すれすれを滑空する。

 ヴァルガス程の巨竜になると一度降りたってしまえば再度飛び立つのにある程度の広さの場所と多少の時間が必要だ。

 その暇を()しんで、ラヴィンは月香樹(げっこうじゅ)の木立に開けた小さな芝地へと飛び降りた。魔法の風を操って、上昇していくヴァルガスの巻き起こす風から身を守り、更に着地の一瞬前に身体を浮かせて、足を着く。

 ヒュルルンッ――!

 アルスラヴィンの通り名の元になった《稲妻(レイプト)》が風を切った。大地の炎と小人の魔法によって(きた)えられたしなやかな金属の縄の先で蒼白く輝く刃が円を描く。



 ラヴィンを降ろしたヴァルガスは巨大な翼を羽ばたかせて一気に谷の上縁より高く舞い上がった。獅子の胴体に鷲の頭と翼を持った妖獣にまたがった大男が、背負っていた莫迦(ばか)でかい剣を抜き放つのが目に入る。

「ガアッ!」

 身をくねらせて反転、半ば翼をたたんだ状態で男に向かって急降下しながら火球を吐く。

 避けきれぬ、と判断したのだろう、男は大剣を正面に構えて念を凝らした。

 ズバッ!

 気合いと共に振り下ろされた大剣が火球を切り裂き、ふたつに割れた炎は霧となって消失する。

『私はディスファーンの長子ヘルヴァルド。貴様がウェリア(いち)の巨竜と言われるヴァルガスか?』

 ヘルヴァルドの心話がヴァルガスに届いた。闇の嫡子の名を聞いて竜の冷たい心が少しばかり燃え上がる。

如何(いか)にも』

(では、やはり下にいるのは噂に名高い竜騎士アルスラヴィンか。エリシャと言えども厳しい相手だろう)

「シャーン!」

「言われなくてもわかっている!」

 すぐ後についてきていたシャーンが叫びながらエリシャに向けて翼ある獅子グランを急降下させる。

(あやつも魔王子か。今ラヴィンの所へ行かせる訳にはゆかぬ)

「竜!」

 あわててシャーンの後を追おうとするヴァルガスに向け、ヘルヴァルドの剣が一閃(いっせん)し、衝撃波が放たれた。

「貴様の相手はこっちだ!」





 流れ去る木々、肌をなぶる風、躍動感。

 夜を裂き、軽やかな蹄の音を響かせて――疾風となる。

 馬の様でもあり、鹿の様でもあり、黒珊瑚に螺旋を彫り込んだような長い角を持つ黒い一角獣を駆ってエリシャは走る。彼女を(はば)めるものは何もない。一角獣の鋭い角がどんな盾をも貫き、どんな鎧もその蹄に踏みにじられるだろう。

 だが、その彼女の前に立ちはだかる一人の男。

 さしたる大男という訳でなく、魔法の鎧兜(よろいかぶと)に身を包んでいるわけでもない。むしろスラリとした優男がごく自然な感じで立っていた。

 新月の闇夜、魔族ならぬその男に彼女の姿が見えていたとは思えない。だが、彼は蹄の音を聞き、気配を察して真っすぐに彼女を見つめ、縄を持つ手首を軽く動かして、その武器で頭上に輝く軌跡を描いていた。

「レイプトのアルスラヴィン!」

 口の中で呟いたその言葉が聞こえたかのように頭上に付き従っていたフギが姿を変え、牛ほどの大きさの鋭い爪と牙を持つ魔獣となって身構える。

「エリシャ――っ!」

 声と共にシャーンが空から翔け下り、際どい所でヘルヴァルドの衝撃波をかわしたヴァルガスが体勢を崩しながら必死にうち振った尾の先がグランの翼をかすめた。竜の尾の先端は諸刃の剣のようになっている。

 身の毛がよだつような叫びが谺し、左の翼の一部を失ったグランがクルクルと回りながら落下していく。

 ヒュンッ――!

 唸りをあげたレイプトが一角獣を跳躍させたエリシャに向かって空を切る。

 牙をむいたフギが咆哮(ほうこう)と共にラヴィンに向けて跳躍する。

 ヘルヴァルドがヴァルガスの吐きかけた炎を避けて回り込み、並の剣では歯が立たぬ固い鱗の一枚を傷つける。

 グランから離れたシャーンが落下しながらラヴィン目がけて短剣を投げる。

 ラヴィンはフギの爪と牙、短剣を避けて大地に転がり、エリシャを仕留め損ねた。

 直前で勢いを弱めたレイプトを角で打ち返した一角獣はエリシャを乗せて《月の城》へと走り去っていく――

 エリシャを追おうとしたラヴィンに魔法を使って大地に降り立っていたシャーンが斬りかかった。ラヴィンはエリシャの走り去る音を聞きながら跳び退(すさ)る。

「ヴァルガスっ!」

『無理だ、ラヴィン! こちらも手一杯でな』

 ヴァルガスはその巨大な翼の羽ばたきでヘルヴァルドに強い風を吹き付けるのに忙しい。

「ディアン殿達に任せるしかないか。こちらも、そう簡単に放免してはもらえないようだ」

「その通り。エリシャの事など気にしている暇はないぞ。我が名はシャーン。闇の王ディスファーンの王子(みこ)

剛胆(ごうたん)のラガシュアートの子、竜騎士アルスラヴィン。稲妻(レイプト)のアルスラヴィンと呼ばれる事もある」

「フッ、貴様も人間共の間ではかなりの使い手と噂されているようだが、その評判も今夜限りだ」

 剣を構えたシャーンがじりじりと近づいてきた。

 レイプトを有効に使うにはある程度の距離が必要だ。ラヴィンは慎重に間合いを取りながら、レイプトに送る魔力を強め、刃の輝きを増した。

 わずかだが闇が薄れ、夜の中にシャーンの姿が浮かびあがる。

 切れ長の眼、細い顎、まだ少年の面差しを抜け切らぬ美しい顔。薄い唇をゆがめて、魔術文字の刻まれた黒い剣を中段に構えた様子はラヴィンを戸惑わせた。

「どうした、竜騎士? 闇の王子の高貴な姿を目のあたりにして怖じ気づいたのか?」

「驚いただけだ。あまり、綺麗で……」

「綺麗……だと?」

 シャーンの眼がすうっと細められる。

「愚かな。我々はすべてにおいておまえ達ヒトより勝っているのだ。美しいのは当たり前だろう。だが、そんな見かけに心を動かされるとは、笑止!」

 キイィン!

 振り下ろされた剣を、回転して勢いを得たレイプトの刃がはね返し、すかさず投げつけられたレイプトのもう一方の側が幾重にも剣身に巻き付いた。三つ又の鉤がしっかりと剣の刃を(くわ)え込む。

 縄を引くラヴィンと、剣の柄を握りしめるシャーン。二人の注ぎ込んだ魔力がそれぞれの武器に満ち、黒と蒼白の火花を散らす。


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