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04

 《月の谷》は人間達が《魔の山》と呼ぶ《闇》への扉口を懐に抱く岩山と《竜使いの王国》――もう何百年も単に《王国》と呼ばれる事の方が多いが――の北端との間に位置する大地の割れ目である。

 上空から見ると広大な荒れ野の一部を三夜月形の菓子型でくり抜いたように見える。中央部で幅一ラスタ、東西約十ラスタ、深さはほぼ一様(いちよう)に六十ヴァズマール。

 中央にそびえる城に安置された《月の(しずく)》なる巨大な魔石と谷の周囲に配置された十二の子供石から(しょう)じる結界で護られ、白い幹と銀緑の葉の月香樹(げっこうじゅ)――魔除けの力を持つ香木――に(おお)われた谷は雪を知らず、多くの人々は谷の側面の固い岩壁に住居を掘り抜いて暮らしている。

 

「ふ――ぅ……」

随分(ずいぶん)お疲れのご様子ですね?」

「まぁっ……ラヴィン!」

 露台(ろだい)手摺(てすり)にもたれたまま振り返ったミルディンは、月明かりの中に竜騎士の正装に身を包んだアルスラヴィンの颯爽(さっそう)とした姿を認めた。

 金色の縁飾りと、左寄りに仕立てられた合わせに沿って並んだ金ボタンのある濃紫のチュニック。黒革の長靴に白いズボン。金の留め金のある黒革のベルトの右前には膝の辺りまで背中を覆った、上衣と同色の布の端が挟んである。その光沢のある幅広で薄い布がずれないように右肩に留められたピンは竜を(かたど)った黄金製。

 正式にはこれに羽根飾り付きの濃紫のベレーをかぶるのだが、それは紫水晶の()め込まれた金の柄を持つ剣と一緒にどこかに置いてきたようだ。

「嫌だわ、さっきの溜め息を聞かれてしまったのね?」

「失礼しました、陛下。退席のお許しをいただこうと思いまして」

 膝を折って頭を垂れたアルスラヴィンの仰々しい謝罪にミルディンはあわてて彼の手を取り、立ちあがらせた。

「そんな真似はやめてちょうだい。接待を放り出して(うたげ)を逃げ出してきたのは私の方なのに。あなたが謝る事はないわ。

 それに大広間を出るのに私の許可なんて必要ないでしょう?」

「ですが、陛下はもう姫君ではなく、月の谷の女王におなりになられたのですから……」

「それをおっしゃるならあなたこそ王国では王族と同等の扱いを約束されている竜騎士。私の事をミルディンと呼んで、お好きな時にお好きな所へおいでになる権利があります」

 ミルディンは細い顎をあげて、銀色がかった青い瞳を真っすぐにアルスラヴィンの黒曜石の瞳に向けた。

 両耳の脇から垂れるように結い残された長い白金の髪が、幾重(いくえ)にも重なった透けるほど薄い銀色のドレスの裾と共に風になびく。

「でも、もしあなたの大切な竜が待ってくれるなら、少しお話しできないかしら?

 この前あなたが谷にいらしてから随分たつし、さっきまでは儀式や式典に追われてゆっくりお話しする暇がなかったんですもの」

 ミルディンの言葉にラヴィンは一瞬、遠くを見つめるような顔つきをしてからこう言った。

「ヴァルガスなら極上の祝い酒を十(たる)ばかりも頂いて上機嫌ですよ。谷の方々の心遣いで、周りに特大の篝火(かがりび)をいくつも()いてもらって、炎の精気も頂いていますし」

「うらやましいわ。あなた達はどこにいても心が通い合っていて」

 ミルディンは露台に置かれた青銅製の小さな腰掛けを見やった。

 すかさず、ラヴィンが肩に掛けていた布を外してそこに敷く。

「そんな事をしなくてもいいのに」

 言葉とは裏腹にうれしそうに微笑んで、ドレスの(ひだ)を整えながら腰をおろした。

 ラヴィンはその腰掛けに座ろうとはせず、石の手摺に背中をあずける。

「ご家族はお元気?」

「おかげさまで、妻も息子も息災(そくさい)です。息子はまだ七歳のチビ助のクセに竜騎士になるんだと生意気を言っていますよ」

「頼もしいわね。奥様はアズルの王家の出身でしょう? その彼女と《稲妻(レイプト)》のアルスラヴィンの息子なら素質は充分ですもの」

「だといいんですが」

 肩をすくめたラヴィンはニヤリと笑い、

「私もいっぱしの親馬鹿ですね」

 と付け加えた。

「お会いしたかったわ、あなたのご家族に。ヴァルガスならお二人をいっしょに乗せて飛ぶ事もできたでしょうに」

「そのお言葉を聞けば二人も喜ぶでしょう。

 今回は急な事でしたし、ブライス王の名代(みょうだい)として出席する以上、お祝いに列席されているお歴々との外交上のつき合いで、あれ達の面倒を見てやれないだろうという思いもあってご遠慮させていただいたのですが、次の機会には」

「楽しみだわ。ミツキおばさまのおかげで私達が縁続きである事、とても誇りに思っているのよ。だからあなたの小さな竜騎士さんの夢がかなえば、また自慢できる親戚が増える事になるわね」

 しばらく四方山話(よもやまばなし)を楽しんだ後、ミルディンはフッと表情を(くも)らせ、黙り込んだ。

「ねぇ、ラヴィン……」

 立ち上がり、ラヴィンの傍らへと歩み寄ったミルディンは手摺をつかんで、満月に照らされてぼんやりと輪郭を浮かびあがらせている辺りの景色を見やった。

 月香樹の木立の合間や谷の両側面の岩壁にまたたいている灯火(ともしび)は、彼女の即位を祝う宴の為の篝火や松明(たいまつ)なのだろう。

 平和で豊かな、けれど常に闇からの侵入者に悩まされる、彼女が受け継いだ国。

「なぜ、月の女神(セグラーナ)は母の子供の中でも最も年若く、未熟なわたくしを女王に定められたのでしょう?」

 それは呼びかけとは異なり、彼に向けられた問いではない。

 ラヴィンは再会以来初めて不安をあらわにしたミルディンの細い肩を見下ろして口を開いた。

「晩年近くなるまで母君に男のお子しか、おできにならなかったのは……」

「セグラーナのご意志だ、なんておっしゃらないで!

 どうして男子には《月の雫》を操る事ができないのでしょう? どうして、その能力を持つ者しか谷を統治する事が許されないんでしょう?

 私は父の顔さえ覚えていないというのに、どうしてお母様までがこんなにも早くお隠れになってしまわれたの? どうして?」

「ミルディン……」

「ごめんなさい、私ったら……。

 でも、谷の人達にはこんな話できなかったの。お兄さま方や長老達は運命だからとしか答えてくれないし」

「もちろん、国外からの使節の方々になどできるお話しではありませんしね」

 ラヴィンはミルディンにやさしく頷きかけた。そして、何かを決意したように両手をミルディンの肩に置き、正面から彼女の顔を見つめる。

「私……いや、俺はこうやって君に本心を語ってもらえたのをうれしいと思う。だから友人として……谷に縁のある一人の人間としてはっきり言おう。

 君には谷を護る力がある。だから女王にならなくちゃいけない。血筋とか本人の意思とかは関係ない。それはその力を持って生まれた者の義務だ」

「私にはそんな力……」

「ある! 君も知っているだろう。竜騎士アルスラヴィンの人物鑑定眼には定評があるんだ。間違いなく、君は《月の谷》の女王に相応(ふさわ)しい器だ!」

「ラヴィン……」

 しばし、目をみはって呆然としていたミルディンはやがてクスクス笑いだし、すぐにラヴィンの笑い声がそれに重なった。

「わかったわ。あなたを信用します、竜騎士アルスラヴィン。

 もう、自分が女王の重責に耐えられないんじゃないかなんて悩むのはやめて、良い君主になれるように努めるわ」

 ミルディンは腰掛けに置いたままだったラヴィンの肩掛けを取り上げるとたたんで腕に掛けた。

「だけど私、とても嫌な予感がするの。あなたがお忙しいのはわかっているわ。評判の綺麗な奥様と可愛いお子さんが待っている事も。

 でももう少し、せめて次の新月が終わるまでここにいてちょうだい。それまでこれは預かっておくわ」

「おっしゃる通りに致しましょう、女王陛下」

 ラヴィンは最前と同じように深々とお辞儀をしながらも口元に笑みを浮かべ、茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。

 

 

 

 

「《月の谷》の新女王に挨拶(あいさつ)に行く?」

「そうよ」

 鸚鵡返(おうむがえ)しに繰り返すシャーンにエリシャは事もなげに言ってのけた。

「《月の谷》は《闇の王国》と《囲い地(じんかい)》を繋ぐ最大の《裂け目》に接して太古から闇の侵入を(はば)んできたわ。

 その為に一部の光の一族が《光の原》から移住した、それも《光の原》を離れれば、その恩恵に与れなくなって人間並とは言わないまでも、ずいぶん寿命を縮めてしまう事がわかっていながらそうしたぐらい、あの谷を重要と看做(みな)したから……」

「歴史の講釈(こうしゃく)はいいよ」

 シャーンは瞬間、子供のように頬をふくらませてエリシャの言葉をさえぎった。

 まっすぐな闇色の髪、深い夜の瞳。両親が同じだけあって男にしてはやや線の細い整った顔立ちはジェレアクにそっくりだが、その表情にはまだ幼さが残る。幼い、といっても年齢はエリシャと十ばかりしか違わないから、これは性格の問題だろう。

「僕が()きたいのは、なんでわざわざそんな事をするのかって事さ」

「遊びよ」

 さらりと言ったエリシャはシャーンと向き合って座っていた長椅子から立ち上がって、シャーンが身を預けている椅子の肘掛けに腰をおろした。

「ジェレアクと(かけ)をしたの」

 背もたれに手を置いて顔を近づける。

「もし彼に《月の谷》の結界が破れたら、私は谷の女王に即位の祝いを述べてみせるってね」

「結界を破るって……一人でか?」

「これは正式な(いくさ)じゃないから呪術師達やお父様の力は借りられないわね。もちろん、私やあなたは加担しないし。血族の誰かが彼に力を貸す事はあるかもしれないけど」

「いくらなんでも一人じゃ無理だ」

「じゃあきっと誰かの力を借りるつもりなんでしょう」

「一体誰の?」

「知らないわ」

「マーカス? ……キーン?」

「あの二人は今リュートとヴィオロンの練習に忙しくてそれどころじゃないでしょうよ」

「リュートぉ? ヴィオロン?」

 シャーンはこんな文脈で聞くとは思いもよらなかった言葉に声の調子を上げた。

「ダレン候の娘のシャーリラは大の音楽好きよ。あの二人はどちらがシャーリラを落とすかを競っていて、彼女の気を()く為に楽器の練習に余念がないって訳」

「魔法なしで? わざわざ?」

「そう。魔法なし。でなきゃ努力がみえないでしょう。自分の為に一生懸命、好きでもない事に取り組んでくれてると思わせたいんだから」

「ふーん……シャーリラねェ。確かに美人ではあるけど」

「どうせどちらかが落としたとたん、二人ともあの娘に興味をなくしちゃうに決まってるわ」

「でも、とにかく今は二人とも音楽……だか恋だかに夢中、と。

 あとは……女の子達、じゃないよな。よほど特別な報酬でも約束しなけりゃ、こんな賭けに興味を示さないだろうから」

「ジェレアク贔屓(びいき)だけどアイシャじゃ力不足だし。母親達でもないと思うわ。

 ヘルヴァルドに持ちかけたら馬鹿な真似はよせって言われるのが落ちだし」

「となると、ウォデヴァー?」

「そんなところでしょうね。でも……」

 エリシャはシャーンの顔を両手で挟んで自身の方へ引き寄せる。

「ジェレアクが成功するかしないかはどうでもいいのよ。失敗すれば笑い者にして彼に私の頼みをひとつきいてもらえる事になっているし、成功すればいい退屈しのぎになるだけよ」

 シャーンはエリシャの両手首をつかんで彼の顔から離させた。ついでに彼女の右手に軽く接吻する。

「でも、君は奴が成功すると思ってる」

 エリシャは片眉を少しあげて、なぜ? と問う。

「君は新たに即位した女王に会いに行く事になると思って僕に加勢を頼みにきたんだろう?」

「ジェレアクの事だから、まるっきり勝算のない賭はしないはずよ。彼の真意がどこにあるのかはわからないけれど」

「結界を開いて君を送り出し、谷の連中に殺させるつもりなんじゃないか?」

「私がそう簡単にやられると思って? 無策でのこのこ出ていくほど馬鹿じゃないわよ。

 それに、そんな単純な計画、彼らしくないわ。彼が密かに《谷》と結託(けったく)しているなら別だけど」

「それこそ、ジェレアクのやりかねない事じゃないか。この前の事で奴は僕達を相当(うら)んでるみたいだからな」

「彼がそのつもりでも谷の住人の方が断るわよ。闇の王子の言う事なんか、誰が信用するもんですか」

「いつもながら、説得力のある言葉だな」

 シャーンは右手でクシャクシャと頭を掻きながら左手をエリシャの太股について立ち上がった。そのまま酒棚に歩み寄り、硝子の杯に酒を注ぐ。

「姉さんが思っている通り、僕はあまり物事を深く考える方じゃない」

 手の中で杯をもてあそびながら、琥珀(こはく)色の液体を見つめ――

「否定してくれないんだね。

 やっぱり、僕はみんなから甘ったれの馬鹿野郎だと思われているのかな?」

 黙したまま、わかっているわという風にただ微笑んでいるエリシャを見返してシャーンはフフッと自嘲(じちょう)的に笑うと一気に杯を飲み干した。

「だから今回もあれこれ詮索(せんさく)するのはやめて、力を貸すよ。

 エリシャ――君への好意の(あかし)として」 


※一ラスタ(約十二キロメートル)

※六十ヴァズマール(約90メートル)

露台(ろだい)(バルコニー)


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