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消えた時計

町のはずれの小さな時計店に、一人の老人が働いていた。彼の名はアーサー・ブリストウ。ひっそりと佇むこの店は、古びた外観とぽつんと灯る店先の提灯が、時の経過を無視しているかのように見えた。

アーサーは金髪で瞳は深い碧眼。彼の穏やかな物腰と丁寧な口調は、近所の人々から親しまれていた。店の前を通る人々に向けて頭を下げ、時折店先で掃除をしながら一日が過ぎていく。


しかし、アーサーの心に秘められた物語は、誰にも知られていなかった。

長年前、若かりし頃のアーサーは腕時計職人として名を馳せていた。繊細な技術と芸術的センスを兼ね備え、高級時計を手がける職人として上京。やがて一流ブランドの専属職人となり、世界的な評価も得るまでに成功を収めた。


"この時計の動きを見なさい、時と共に生きる芸術そのものだ"


ある晩、アーサーは完成した高級腕時計を見つめながらそう呟いた。時を刻む機械仕掛けが艶やかに動き、ダイヤルが時を映し出す。まさに芸術品そのものであった。


しかし、あるとき突然すべてが変わった。新進気鋭の腕時計職人の台頭と、クオーツ時計の登場によって、アーサーの仕事は止まりかけていた。機械式時計は時代遅れと見なされ、アーサーの仕事そのものが存在価値を失いつつあった。


"俺たちの技術が時代遅れだと!? クソッたれが、機械式時計の価値が分かるか"


怒りに燃えるアーサーの言葉は、同僚たちの顔を曇らせた。時代の流れに抗うことはできず、やがて機械式時計は完全に市場から駆逐されてしまった。


それでもアーサーは諦めなかった。自身の人生を賭けた機械式時計への情熱を捨てられずにいた。やがて彼は、自らの技術の頂点を極めるべく、世界で最も精巧な機械式時計の製作に取り組むことにした。それは、単なる時計を超えた芸術作品となるはずだった。


"俺が作る最後の機械式時計は、この世で最高の芸術品となるだろう"


妻や子供たちの反対を押し切り、アーサーはたった一人でその製作に没頭した。しかし、その情熱は、やがて家族からの離別を余儀なくさせてしまう。


製作に専心するあまり、妻との離婚、子供たちとの絶縁に至ってしまったのだ。周囲の理解を得られないまま、アーサーは時計作りに人生をかけていった。


ついに10年もの歳月をかけた大作は、世界最高の機械式時計として完成した。華麗な装飾と精緻な機械仕掛け、幾重にも組み込まれた歯車とそれらが生み出す絶妙な動きは、まさに芸術品そのものであった。

しかし、その心血を注いだ名品は、高額な買い手も現れず、行き場をくれてしまった。時代が機械式時計を完全に捨てたことで、アーサーの大作は虚しく埋もれてしまったのだ。


"ついにこの傑作に値する評価は得られなかったか..."


絶望のどん底に陥ったアーサーの前に、かつての恩師から話があった。故郷の町で小さな時計店を手伝ってはどうか、と。仕事を失い、家族にも見放されたアーサーは、つるべ落としにその話を受け入れた。

彼は生まれ故郷の町に戻り、この小さな時計店で働くことになった。当初は惰性で過ごしていたが、時が経つにつれアーサーは徐々にこの仕事に魂を吹き返していった。人々の持ち込む古い機械式時計を丁寧に修理しながら、かつての情熱を取り戻していったのだ。


今のひっそりとした時計店は、アーサーの人生のすべてが宿る場所となっていた。

平穏な日々が過ぎ、時計店に訪れる人々の機械式腕時計を修理する毎日。ただ、アーサー一人が知っているのは、この店の奥に、彼が人生賭して作った芸術品としての機械式時計が、尚も蔵されていること。それはアーサーの人生そのものであり、時に追憶に浸りながら、ただただその存在に寄り添っているのだった。


時が経てば経つほど、町の人々はアーサーの存在を認め、時計職人として敬われるようになった。しかし、アーサー自身が最高傑作と呼ぶその機械式時計の存在は、いまだ誰にも知られていない。


"いつか...いつかきっとあの時計の価値が分かってもらえる日が来るさ"


そう語りながらも、アーサーは自らの過去と向き合い続けた。失われた家族、捨てられた場所と時間。そして、あの最高傑作が生み出された代償。すべてはこの店に宿り、その記憶と共にアーサーは歳月を重ねていった。


ある日、時計店を訪れた若者がアーサーに尋ねた。


「おじいさん、奥に見える金色の時計は何ですか?」


振り返ると、奥の壁掛け時計が太陽の光を受けて金色に輝いていた。アーサーの創り上げた機械式の芸術時計である。


アーサーはしばし言葉を失った。ついにこの日が来たのだと、深く実感したのだ。


"ああ、それは俺が時を越えて作った最高の芸術品じゃ。機械式時計の頂点を極めた傑作よ"


その言葉が聞き取れたのは、若者一人だけだったという。しかし、町の人々はそれきり、店先に佇むアーサーの姿を目にすることはなかった。

数日後、時計店に入ると奥の壁に掛けられていた芸術時計の姿は消え去っていた。一体どこへ行ってしまったのか、誰一人わからなかった。


アーサーについても、行方が分からずじまいだった。彼の姿を最後に目撃したのは、あの若者との一件の数日後のことだった。


「おじいさん、その時計は本当に素晴らしい芸術品でしたね」


若者がそう言うと、アーサーは精悍な表情で微かに頷いた。


「ああ、時を超えた俺の人生そのものじゃ」


その後、アーサーはいつものように店先の掃除をしながら、しばしの間ぼんやり遠くを見つめていた。そして、夕暮れ時に店を出たまま、二度と戻ってこなかったのだ。

時が経ち、アーサーの行方を探す人々の手がかりは次第に失われていった。あの芸術時計が何者かに持ち去られたのか、それともアーサー自身が持ち出したのか、誰にもわからなかった。


やがて時は過ぎ、アーサーの存在すら人々の記憶から風化していった。ただ残されたのは、その小さな時計店と、なぜか誰もが入ることのできない奥の空室だけだった。


数十年の歳月が流れた。かつてアーサーが働いていた時計店は、いつしか町の人々から"消えた時計屋"と呼ばれるようになっていた。


そしてある日、老朽化した店舗を修理しようと奥の空室を開けてみると、そこには立て掛けられた状態で、かつてアーサーが創り上げた芸術時計が佇んでいた。

金色に輝く華麗な装飾、複雑に入り組んだ歯車の数々。時を刻む針の動きがいまだ美しく孤高に揺らめいていた。時間が全く止まっていないかのように。


その傑作時計こそ、アーサー・ブリストウが人生を賭して作り上げた唯一無二の芸術品だった。時を超え、時に飲み込まれながらも、確かにここに存在し続けていたのだ。

芸術は永遠なり。アーサーの情熱が込められたその時計は、人々に永らえることを望まれていたのかもしれない。


やがて、この芸術時計は博物館に収蔵されることになり、アーサーの軌跡が歴史に記録された。

時は過ぎ去り、人々は入れ替わる。しかし、芸術はいつまでも人々の心に残り続ける。それが"消えた時計"に秘められた真実だったのかもしれない。


真実はアーサーのみしか知らない…………

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