表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/165

虹色の春

春の訪れを知らせる朝日が、柔らかな光を差し込ませた。

ミナは目を覚まし、ゆったりとした幸せな気分に浸っていた。そう、今日は特別な日なのだ。20年の年月を経て待ち望んでいた日が、ようやく巡ってきたのだ。


ミナはベッドから起き上がり、ゆっくりと準備を始めた。シャワーを浴び、ささくれだった手足の肌を丹念に磨いた。ドレッサーの前に腰を下ろし、なじみ深い香りの化粧品で顔を伊達する。そしてドレスを丁寧に着用し、ハイヒールを履いた。


30年も前に購入したこのドレスは、色あせてはいたがまだ着られる。ミナは鏡の前で自分の姿を見つめ、満足げな表情を浮かべた。


ミナは部屋を出て、廊下を歩いた。施設の中は朝の光で柔らかく照らされていた。一人ひとりの部屋から、それぞれの朝の営みが聞こえてくる。


レストランに着くと、テーブルが並べられ、スタッフが笑顔でミナを出迎えた。


「おはようございます、ミナさん。きれいな服装ですね」


「ありがとう。久しぶりに思い切って着てみたの」


ミナはテーブルに着き、メニューを手に取った。


「本日は何をご注文なさいますか?」


スタッフが尋ねると、ミナは明るく答えた。


「フルコースをお願いしますわ。20年ぶりのデートなんですから」


そう言ってミナは小さく口元を引き上げた。スタッフもまた、ミナの言葉に合わせてほほ笑んだ。

しばらくして、前菜が運ばれてきた。香り高いスープと、カラフルなサラダを前に、ミナの心は踊り出した。


20年前、ミナの夫ジョージは認知症になってしまった。当時2人で有名レストランに通っていただけに、ジョージが徐々に記憶を無くしていく様は心痛むばかりだった。


介護が一人では限界に来た頃、2人はここの施設に入居した。ジョージのための専門的なケアを受けながら、ミナも一緒に暮らすことにしたのだ。


けれどいくらミナが寄り添おうとしても、ジョージとの思い出が遠のいていく現実が悲しかった。

ある日、レストランで食事をしていると、ジョージが唐突にミナに向かって、


「君は私の妻?君の名前は?」


そう尋ねた。ミナは笑顔を作ろうと必死で、涙が込み上げてくるのを堪えた。


「私はミナよ。君の妻のミナ。20年も一緒にいるのに、わかりますか?」


しかしジョージは首を横に振るばかりだった。その時ミナは決心した。ジョージにとって思い出が大切なのなら、思い出を作り続けることだ。ジョージの記憶を尊重し、一期一会を心がける。そうすれば、またジョージと出会えるかもしれない。


それからミナはその日その日を、デートをしているかのように過ごすようになった。ジョージにとってこの施設は、デートするレストランなのだと。


ある時はジョージが花束を渡し、ある時はミナが手づくりの料理を持ってきた。時にはプロムのように踊りもした。


ジョージの認知症は進行し、最近ではミナさえ見分けられない日が増えた。でも気にしないことにした。ミナはそのたびにジョージを新たな人として出会い直し、デートを重ねていった。


やがてジョージは98歳で亡くなった。しかし、ミナはこの20年を後悔したりしなかった。ジョージに寄り添い、ジョージと出会い続けられた時間は、かけがえのない宝物なのだ。


そしてついに今日、20年目のデートの日が巡ってきた。目の前にメインディッシュが運ばれてきた。


「ごちそうさまでした」


ミナは口々に呟きながら、ナイフとフォークを手に取った。きっと元気なジョージなら、こんな風においしそうに食べただろう。


ミナは施設のレストランで、ひとりでゆったりと食事をした。心に浮かぶのは、あの頃のジョージの笑顔と、20年に渡る思い出の数々。幸せなデートの連続だった。


窓の外、春の訪れを告げる梨の花が揺れる朗らかな風に吹かれていた。ミナの目からは、虹色の一滴が伝った。

面白かったらぜひ、評価・コメント・ブックマークをお願いします!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ