最後の問い
コンビニエンスストアの夜勤が終わり、正木は疲れた表情で店を後にした。真夜中の街は人影が少なく、遠くから聞こえる車の走行音が不気味に響いていた。
正木は足取り重く、アパートに向かう途中の公園に立ち寄った。ベンチに腰を下ろすと、ポケットから無造作にたばこを取り出し、火をつけた。
はぁ、と疲れた吐息とともに、正木は空を見上げた。満天の星空が、その瞳に映っていた。
「なぜ生きているのか」
正木は呟いた。37歳を過ぎてもなお、彼にはその答えが見つからなかった。
仕事は人生を豊かにするどころか、毎日同じ繰り返しに意味を見出せずにいた。結婚もできず、独り身を重ねるうちに、そもそも人生に意味なんてあるのだろうかと疑問を持つようになった。
そんな正木の前に、突然、ひとりの老人が現れた。老人は白髪でひょろけた体つきで、正木の方を見ていた。
「おじいさん、夜遅くに一人でどうしたんですか?」
正木が老人に尋ねると、老人は笑顔で答えた。
「私は、あなたに質問があってね。それが最後の問いなんだ」
「最後の問い?」正木は訝しげな表情を見せた。
すると、老人は正装に手を伸ばし、そこから取り出したのは骨董品らしき懐中時計だった。
「この時計を見てごらん。とてもきれいだろう?」
正木は頷き、老人に促されるまま、時計の文字盤を見つめた。
すると、文字盤の上をちょうど雲が流れ、月明かりが射し込んだ。
「ほら、見えたかい?」
時計の針が、ゆっくりと逆回転し始めた。正木は目を疑った。
「なに、これは…」
「心配するな。これが最後の問いなのだよ」
老人が言うと、時計は文字盤ごと青白く淡い光を放ち出した。
正木は思わず眩しさに目を伏せた。そして、再び視線を上げると、そこには自分の過去の姿が浮かんでいた。
幼い日の自分、学生時代の自分、社会人になって働く自分。
時計の針が人生を逆回しするように、正木は自分の人生を振り返らされていった。
しかし、そこには何も気づくことはなかった。
ただ、淡い夢を見るかのように過去が走り去っていく。幸せも不幸も、喜びも悲しみも、それらはすべて無への過程だった。
少しずつ時計の針が遅くなっていく。そして、いつしかカラの文字盤に戻っていった。
「どうだった?」老人が聞いてくる。「人生の意味が分かったかね?」
正木は少し考えてから答えた。
「分かりません。ただ、走り抜けた人生がありました。しかし、その行く手には何もなかったように思えます」
老人は頷いて、満足そうな表情を浮かべた。
「そうか、よくぞ気づいてくれた。人生なんて、ただそれだけの物なのさ。行き着く場所もなく、無に還るだけの行程なのだ」
そう言うと、老人は文字盤を取り出すと、それを正木に手渡した。
「これを最後にくれ。そうすれば、あなたの最後の問いには答えが出るはずだ」
正木は戸惑いながらも、文字盤を手に取った。するとまた、柔らかな光が放たれ、視界が歪んでいった。
そして、次の瞬間には、正木の目の前は朝日の光で満たされていた。
「なん、だ?」
正木は目を疑った。そこは公園ではなく、小さな田舎町並みだった。彼は畑の脇の小道に立っていた。
いったい、どうしてこんなところに?
そう戸惑っている時、近くの民家から、ひとりの少女が走り出てきた。少女は小道を正木に向かって走ってきた。
正木はつい避けようとしたが、少女はスルリとその場を通り過ぎた。
まるで、正木が存在しないかのように。
それから、近くの別の民家からも母親らしき女性が出てきて、「待ちなさーい!」と少女を呼び止めようとするが、少女は行く手を阻まれずにいつの間にか遠くの方へと去っていった。
なんなんだ、これは?正木は戸惑った。
しかし、考えてみれば納得がいった。
これが、"人生の最後の問い"なのだ。
人生とは、やがて誰もがこのように素通りしていく道なのだということ。
少女が走り去ったあの場所に、もはや何一つ残されていないように。
正木は地面に落ちていた文字盤を見つめた。そして、夢からさめたかのように意識が現実に戻った。
「なるほど、分かりました。これが、最後の問いの答えなのですね」
老人に言うと、老人はにっこりと微笑んだ。
そして、うっすらと月明かりに照らされながら、朝日が昇ってくるのを二人で見守った。
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