海虹
頭の中に降って湧いただけのものです。
好きに読んで下さい。
その人は、海の底にいる。
そこを歩いていたら、見つけた。
人じゃないかもしれない。
生き物じゃないかもしれない。
でも、そんな形をしているように見えたし、そうだったらいいなって思って、人という事にしてる。
その人は、泡まみれだった。
沢山の泡が、人の形をとっていた。
はじめて視界に飛び込んできた時、あまりにびっくりして、その人をひっかいてしまった。
当たってはいなかったと思う。少し離れていたから。
でも、その人の左腕から先はなくなっていた。
泡が、だけども。
体温が、いっきに自分の周りの海と同じくらいに冷え込んだと思う。
逃げ出すこともできず、その人を見ていた。
よく見ると、首を振っていた。
たぶん、大丈夫だって言いたかったんだと思う。
そのまま固まっていると、その人は右手を出してきた。
自分と、その人の中くらいでその動きをとめて、じっとしている。
しばらくして合点がいった。握手がしたいのだと。
気のいい、優しい人だ。
申し訳ない、許して欲しい、この人と仲良くなりたいと思った自分は、その手を取った。
確かに握手をした。でも、その右手もさっきと同じ様にはぜて、なくなった。
まだ掴んでいるうちは、感触が残っている。でも、見ている分には周りと区別がつかない。
透き通った、暗い青。
この人を、海が飲み干してしまうのが怖かった。
怖くなった自分は、その手を放してしまった。
こちらからは、もうつかめない。
その人ももう、多分掴んではくれない。
全部嫌になって、そこからやっと逃げ出した。
ずっと経ってから、同じ所に戻ってきた。
するとそこには、大きな、大きな泡が、ひとつあった。
ずっとそこにいたんだ。誰にも見つからず、誰にも触れられず、ずっと一人で。
そうやって、孤独がつもりにつもって、大きなひとつの泡になったんだ。
きっと気さくなあの人は、ずっと寂しがっていたんじゃないか。
誰かに触れると消えてしまうから、誰にも触れずにいた。
せめて、誰かに見つけて欲しいから、誰にも触れずにいた。
この世界からいなくなってしまわないよう、ただじっと堪えた。
海が飲み干すのは涙の泡雫。
またせてごめんって、言いながら近づいて、手をのばす。
その泡も、こちらにむかって手をのばす。
ちょうどその中くらいで、確かに握手をした。
今度も泡は、はぜてなくなった。
水面まで上がる、涙の泡雫。