27 犬人族の女
洞窟の奥で倒れていた犬人族の女は気を失っていた。かなり衰弱しているようだが、呼吸はしている。
俺は彼女に浄化魔法とリワインドを掛ける。こういう時は、本来なら治癒魔法のほうが断然良いのだが、残念ながら俺には使えない。リワインドでも無いよりマシだ。
さて、どうしよう。女が気が付くまでここで待つか?それとも帝都に戻るか?
「こんな所に寝かせておくのも良くない。転移で赤竜亭に連れて戻ろうか」
「待てユウトよ。何やら邪悪な気配がする」
女を抱きかかえようとした俺をアスタが止めた。邪悪ってなに?神様が言うと怖さが何倍にも増すんですけど。
アスタは横たわった女の頭の方に近付く。そして、女の首に巻きついた細い金属製のチョーカーのような物を指差した。
「これじゃ。ここに小さな石が嵌っておるじゃろ?ここから呪いのような邪気を感じる」
言われて見てみると、小指の爪より小さな赤黒い石が嵌っている。
「アスタ、これが何か分かる?」
「分からん。じゃが、良くない物なのは確かじゃ。ただし、邪気は女の方にだけ向かっておるようじゃ」
「ルルも見た事ありません」
「ふーむ。下手に動かさない方が良いって事だよね?」
「うむ。何らかの魔道具かも知れんの。本人が知っているか分からんが、聞いてみるのが先決じゃろう」
洞窟の入口から差し込む陽の光は炎のようなオレンジ色をしている。もうすぐ陽が沈む。
「仕方ない。彼女が目を覚ますまでここで様子を見よう」
俺は一度洞窟の外に出て、薪に出来そうな枝を拾い集めて来た。今のところ周囲に魔物の気配はない。
洞窟の中で焚き火を起こす。一酸化炭素中毒を防ぐため、土魔法でもう一つ空気の通り道を作った。俺たちが入って来た入口には特に何もしない。この女は、恐らく数日ここで生き延びたのだ。入って来れる魔物がこの辺にはいない可能性が高い。
まぁ、入って来ても自殺行為だけど。ここにはルルと俺が居るんだから。
昨日買っておいたパンと干し肉が役立つ時が来た。マジックバッグから野営の道具を出す。焚き火の上に鍋を置き、お湯を沸かす。温かいスープを作るためだ。
ルルが「何か獣を仕留めて来ます」と言って意気揚々と出掛けようとするのを慌てて止めた。久しぶりの野営だから、キャンプみたいでウキウキしちゃったのかな?
いくらルルでも夜は危ない。夜行性の魔物は更に大型で強力だからな。
大丈夫。こんな事もあろうかと、ちゃんとスープの素の他、乾燥野菜、具になる干し肉なども買っておいたのだよ。
あと、お菓子なら売るほどあるしな。
スープの素は、中身は良く分からないが、味はコンソメのようだった。冒険者の必需品だそうだ。乾燥野菜も味はいまいちだが無いよりマシだ。干し肉は良い具合に戻されて柔らかくなっている。味はあんまりしない。固いパンをスープに浸しながら食べる。
たまにはこういう食事も良いものだ。これで酒があれば文句はないが、もちろん今はお預けだ。マジックバッグには一応入っているけどね。
「命に別条はなさそうです。そのうち目覚めるでしょう」
ルルが女を見ながら呟くように言った。色々聞きたい事もあるだろう。
「彼女を見つけたのはルルのおかげだな。ありがとうな、ルル」
「いえ、アスタ様の魔法があったからです」
「そうじゃ!我が居なければ見つける事は叶わんかったわい!」
「もちろんそうだ。アスタ、ありがとうな」
「おう!存分に感謝するが良いぞ!わーはっはっはっはー!」
アスタがいつもの高笑いをしていると、女から動く気配がした。
「んん・・・」
女が武器を持っていないのは、既にルルが確認済みである。もし隠し持っていても、ルルなら苦も無く取り押さえるだろう。
「気が付きましたか?」
「あなた達は・・・ゴホっ!ゴホっ!」
ルルはコップに入れた水を手渡した。女はそれをゴクゴク飲むが、すぐに咽てしまう。
「慌てないで。水はいくらでもあります。簡単な食事もありますから」
優しいルルの声に、女も次第に警戒を解いているようだ。差し出されたパンとスープをゆっくりと味わうように食べている。
女が落ち着くのを見計らい、ルルが自己紹介する。
「ルルはルルと言います。あちらはアスタ様と、えーと、その・・・夫のユウト様です」
「私はマーラ・・・」
「マーラさん。ルル達は、マーラさんや囚われた獣人の子供たちが襲われた場所からここまで来ました。何があったか教えてくれますか?」
ルルの問いにマーラが俯く。
「あの子達は・・・あの子達はどうなったの?」
「皆無事ですよ。全員、親の元へ送り届けました」
マーラが両手で顔を覆う。「良かった・・・」と呟きが漏れ、嗚咽が聞こえて来る。俺たちはマーラが落ち着くまで黙って待った。
「はぁ・・・ごめんなさい。どこから話せば良いのか・・・」
「最初から話してくれるかい?」
俺は出来るだけ優しく問い掛けた。マーラが、俺の目を見ながら答える。
「私は、十二年前に帝国で攫われたんです」
マーラはぽつりぽつりと話し始めた。
「十歳の時、帝国の北西部にあるクルールという村に住んでいました。ある日、友達のカラと遊んでいる時、突然男たちに攫われました」
マーラ達は馬車の荷台に乗せられた檻に閉じ込められた。檻は外から見えないように覆いをされていた。そこには、他に四人の子供たちが居た。
それから、三か月も馬車で運ばれた。与えられるのは、朝と晩にコップ一杯の水とパンのみ。檻の中の木の桶で用を足す。週に一度、縄で手首を縛られたまま、川で水浴びをさせられたと言う。
「帝国を出た時、檻には十三人の子供が居ました。到着する前に四人死にました」
子供は六歳から十歳。幼い子は過酷な環境に耐え切れず、道中で命を落としたそうだ。
「今思えば、途中で死んだ子たちは幸せだったかも知れません」
後になって知った事だが、マーラ達が運ばれたのは「ガラム」という街だった。それは共和国中央のやや南部にある比較的大きな都市。その中心部に近い大きな屋敷が目的地だった。
「まるで罪人を閉じ込めておくような、高い塀に囲まれた大きな屋敷でした。私たちを攫った男たちは、この屋敷の主人『リュウ』という人族の雄に雇われていました」
「リュウ?どこかで聞いた気がする」
「あの従魔術を使う召喚者が、ルルにその名を言ったと思います」
そうだ。あの女は、あの時確かにルルに尋ねた。
『あなた、リュウの所から逃げ出して来たの?』
同じ人物なのだろうか?
「済まない。続けてくれ」
「リュウは・・・恐ろしい雄でした」
そのリュウという男は、ガラムの街を治める立場だったようだ。街の住人はリュウに頭が上がらず、駐屯する兵士たちもリュウの言いなりだった。
「リュウは、私たち獣人を・・・いえ、獣人の子供を・・・自分のおもちゃにしたかったのです。その、欲望の捌け口として」
何て事だ。俺の予想が悪い方に当たってしまうなんて。
ケモミミを愛する者の一人として、そういう界隈がある事は知っているし、人の性癖に文句を言うつもりもない。何に欲情しようが、それは本人の自由である。
しかし、言うまでもなく、誰かを犠牲にして力づくでそれを満たそうとするのは論外である。
「リュウの強さは常軌を逸するものでした。誰も逆らえません。そして、リュウが興味があるのは・・・幼い獣人の子供だけ。十五歳を越えた獣人には興味を失い、奴隷のように使われるか、処分されました」
地獄を耐え抜いても、待っているのは地獄。精神に異常を来してしまう子も少なくなかったそうだ。そういう子は、十五歳を超えると魔物の餌にされた。リュウが屋敷の地下に飼っている、馬鹿でかいミミズの魔物「ワーム」の餌に。
それは、鋭い牙が円周状に何列も並ぶ口を持った、体長十メートルを超える魔物だ。
「言いなりにならない子も生きたままワームの餌にされました。私たちの目の前で。私たちは恐怖で逆らう気力も起きませんでした」
マーラの声は落ち着いているが、その目から溢れる涙は止まらなかった。
「私は、十五歳を越えてから、他の子供たちを攫う手助けをさせられていました。同じ獣人の方が警戒されないから、という理由で」
新たな不幸を生み出す手助けを七年にも渡ってさせられて来たと言うのか。どんな辛い事が待っているか知った上で。それは想像を絶する苦しみだっただろう。
マーラは、目が覚めてすぐに子供たちの心配をしていた。無事と知って涙を流していたのだ。自ら進んで協力していた筈がない。
「何度も死のうと思いました。でも勇気が出なかった。それに、これのせいで逃げる事は不可能だったんです」
マーラが自分の首に嵌ったチョーカーに触れる。
「それは・・・何かの魔道具なのかい?」
「はい。普段は、屋敷の外に逃げ出せないように着けられている物です。屋敷の敷地から出ると、この輪が締まります。首が千切れるまで」
なんて残虐な。
「今はどうして大丈夫なんだい?」
「今は、恐らく国境を越えていないからだと思います。国境を越えると、護衛の男たちからあまり離れないように言われていました」
マーラが屋敷を出る時は、首輪に嵌った魔石を交換していたらしい。
何かの映画で、決められたエリアから出ると爆発する腕輪を着けられるヤツがあった気がする。あれと同じ仕組みだろうか。
魔石はある種の魔力を受信しており、その魔力の圏外に出ると首輪を締める力が働く。アスタは「邪気」と言っていたが、それは首輪が人殺しの道具として、マーラの自由を奪う恐怖の象徴としてのみ存在しているからではないだろうか。
「アスタ、どう思う?」
「ふむ。お主の馬鹿力で引き千切れんか?」
「それは余りにも力業過ぎない?」
見たところ、継ぎ目のない細い金属で出来ているようだ。俺なら簡単に千切れそうにも見えるんだけど、爆発とかしないかな?
「ユウト様・・・」
ルルも心配そうな、それでいて縋るような顔をしている。
「ああ、大丈夫。一か八か試す事はしないよ。しかし、これを外さないと戻る事も出来ないしなぁ」
「恐らくこの石に魔法が掛けられておる。じゃが、石を壊せば良いという物でもなさそうじゃ」
「はい。私も詳しい仕組みは分かりませんが、無理に外そうとすれば首輪は締まると聞かされています。実際、外そうとして死んだ子も何人かいます」
うーん。一つ試してみようか。
「マーラ、俺の事を信じてくれるかい?」
「ユウト様、どうするつもりですか!?」
「えーとね、首輪を良く見ると、ぴったり首に沿ってる訳じゃなくて、指一本くらい入る隙間があるでしょ?」
「「はい」」
ルルとマーラが返事する。
「俺のシールドを、マーラの首にぴったり張る。シールドって身を守るものだから、普通は身体から離れた所に広範囲に張るんだけど、ぴったり張ることも出来るんだよ」
そう。例えはどうかと思うが全身タイツのように。実は、拳など局所にシールドを纏わせて固い物をぶん殴る時などに使っているのだ。素手で殴ると痛いからね。今までは自分にしかやった事がないが、おそらく自分以外にも出来る筈だ。
「うまく行けば、首輪が締まってもマーラの首は締まらない。その間に、俺が首輪を引き千切る」
はい、結局力業です。だって他に良い方法を思い付かないんだもん。
魔道具に関する知識が豊富な人なら、その仕組みを理解して上手く無効化できるかも知れないけど、生憎俺は詳しくないし、知り合いにもそんな人はいない。たぶんルルも知らないだろう。もちろんアスタも。
セルジュさん辺りなら魔道具に詳しい人を知ってそうだけど、もしそんな人が見つかったとしても首輪を外せる保証はない。
マーラを安心させるために、まずは俺が自分の拳にシールドを纏わせ、手近な岩を砕いてみせた。
次に、マーラの手首にシールドを纏わせてみる。俺だってぶっつけ本番でやろうとは思わないよ。その手首をぺしぺし叩く。マーラにも自分で叩かせる。
「何か感じるかい?」
「いいえ、何も。凄く不思議な感じです」
叩く方の手はちゃんと感覚があるのに、手首の方は何も感じない。それは不思議な感覚の筈だ。
「じゃあ、シールドの強さを見てもらおう。ルル、マーラの手首を斬ってくれる?」
俺がやるとシールドごと斬ってしまいかねない。ルルが凄く嫌そうな顔をしている。マーラに至っては顔面蒼白だ。
「大丈夫。俺を信じて」
ルルが細身の剣を抜き、マーラの手首に振り落とす。「ガキンっ!」と金属音がして剣が弾かれ、マーラは身動きすらしない。
「ルル、大丈夫かい?」
「はい、何か、物凄く固い物に刃が当たった感触でした」
「マーラは、手首に何か感じたかい?」
「いえ、目を瞑っていたので、剣が振り降ろされたのも分かりませんでした。音がしただけで」
よし。大丈夫そうだ。
「どうだい?これなら安全だと思わないかい?」
「「はい、思います!」」
またルルとマーラが同時に返事をする。
「アスタ?どうかな?」
「うむ。あの石に込められた魔力を見る限り、お主のシールドとやらを上回る力は到底ないであろう。結局、我が言った通りにするんじゃな」
ああ、そこが気に食わないのか。
「アスタが言ってくれたから思い付いたんだよ」
「そうか?そうか・・・そうじゃな!うむ!やるが良いぞ!」
よし。全員の賛同が得られたので実行しよう。
「マーラ、外に出よう」
俺はマーラを伴って外に出る。ルルとアスタには洞窟の中で待ってもらう。首が締まる以外の仕掛けが無いとも限らないからな。
「シールド」
先に、俺とマーラをドーム状に覆うシールドを張った。
「シールド」
今度は繊細に、マーラの細い首を一巻きする感じでシールドを張る。上手い具合に出来た。
「じゃあ行くよ」
俺は首輪に両手の人差し指と中指、親指を掛ける。指を二本入れるような隙間はない。左右六本の指に力を込め、左右に引き離す。
「ふんっ!」
その瞬間、首輪が締まろうともの凄い力で抵抗してきた。でも大丈夫。召喚二十一回目の握力を舐めるなよ。
金属が細く糸のように引き伸ばされ、遂に「プツっ」という音と共に千切れた。俺は外側のシールドを解除し、すぐさま力いっぱい遠くに投げる。
何も起きない。ふぅ、爆発するかと思ったのに、物凄く格好悪いぜ。
マーラは、自分の首を押さえながら泣いていた。
「大丈夫かい?」
「はい・・・はい、全然痛くありませんでした!全然大丈夫です・・・」
こうしてマーラは、十二年振りに首輪から解放され、自由になった。
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