26 アスタの力
俺たちは、つい五日ほど前に獣人の子供たちとアスタを見つけた場所に来た。二頭の大猿と馬車を引いていた馬たちの死骸は消えている。大方他の魔物が食い尽くしたか、別の場所に引き摺って行ったのだろう。
馬車の残骸とひしゃげた檻はそのままだ。それで、ここが間違いなくあの場所であると分かった。
「次元の神ディアスタシスの名において命じる。『再現』」
アスタが厳かな声でそう告げると、エメラルドグリーンの瞳が薄っすらと輝きを放つ。すると、風景が二重に見え始めた。現実の風景に、微妙に違う風景が重なっているように見える。
南の方角から檻を積んだ馬車が来た。御者はフードを被った女のようだ。その周囲には武器を携えた男が五人。そして左右にあの大猿がいる。その胸には、赤い従魔の紋章が輝いていた。
その光景が、現実より薄い色で現在の風景に重なっている。それらは動いていた。音は聞こえない。
突然、左右にいた大猿が馬車の周囲にいる男たちを襲う。胸の紋章が消えている。御者が馬車から飛び降り森の中へ駆け込んで行く。フードが脱げ、恐怖に歪んだ顔が見えた。獣人族の女だ。
男たちは必死で大猿たちから逃れようとしていたが、一人、また一人と掴まれ、大猿の顎に飲み込まれて行く。ある者は投げ飛ばされ、ある者は身体を引き千切られ、あっという間に誰もいなくなった。
檻の中にいた子供たちとアスタ、そして二頭の大猿以外は。
「ふぅー。どうじゃ?何か見えたか?」
俺とルルは固唾を飲んで見守っていた。どうやらアスタ本人には見えていないらしい。
「ああ・・・見えた。あれは過去なのか?」
「まあそうじゃな。我がこの場にいたから再現できたのじゃ」
ルルは今見た光景に衝撃を受けた顔をしている。御者は獣人だった。獣人が同じ獣人の子供を攫う事に協力していたように見えた。ルルにとってはショックだろう。
「ユウト様・・・あれは、犬人族の女性のように見えました」
「ああ。種族までは俺には分からなかったが、獣人族のように見えたな。なあアスタ、今の映像が間違っている可能性は?」
「ああ、今のはここにある魔素に働きかけて、過去に起きた事を再現したものじゃ。お主等が見たままの事が起きたと思って間違いないじゃろう」
俺はマジックバッグから貴族街で買ったおやつを出した。アスタが力を使ったから、糖分を補給する必要があると思ったから。俺とルルも食べる事にした。ちょっと落ち着いて考える必要がありそうだったから。
倒木に座り、強力な魔物が生息する森の中でティータイムと洒落込む。水魔法と青白い火魔法を併用してお湯を用意し、ティーポットで紅茶を準備する。人数分のティーカップも出して優雅に紅茶を飲む。
こういう時こそ落ち着かねばならない。さっき見たのは五日前の出来事だ。今焦った所で過去に手出しは出来ない。
アスタに今見た事を伝える。御者が犬人族だったらしいと知ると、アスタも目を丸くして驚いた。心配そうにルルを見遣る。
「ルル、お主、大丈夫か?」
「はい、アスタ様。少し驚いただけです。獣人族が、すべて良い獣人ばかりとは限りませんから」
「ルル、辛かったら、この先は俺とアスタで調べるから無理しなくて良いんだぞ?」
「いえ、大丈夫。ルルも何があったか、ちゃんと知りたいです」
「そうか。でも本当に辛かったら遠慮するなよ?」
「はい、ユウト様。あの・・・ありがとう」
さて。あの日、俺とルルが来る前にここで何が起こったのかは分かったが、あの御者の女以外、生き残りはいない。あれから五日も経っている。森に逃げ込んだ女はどこかに逃げ延びただろうか?或いはとっくに魔物に殺されてしまったか?
「アスタ、森に逃げ込んだ犬人族を追えるだろうか?」
「うむ。やってみるしかなかろうな。そのために、大量の甘い物を持って来たのじゃ」
アスタが使った魔法「アナパラ」は自身がそこに居る過去を文字通り再現出来る魔法だった。そして、そこに一度現れた生物なら、アスタが過去にその場に居なくてもある程度再現できるらしい。
「凄いな、アスタ。こんな事を言うのはなんだが、見直したぞ」
「うわーはっはっはっはー!もっと褒めよ」
アナパラで再現できる時間は約一分三十秒。犬人族の女が森に入った地点から追跡を開始する。わずかな時間とは言え相手は獣人。森の中を走る速度は早い。見失わないように、アスタを背負って過去の幻影を追う。
一分半の再現が途切れるごとにおやつタイムを挟まなければならないので遅々として進まん。なんせアスタが満足するまでおやつを食べるのに五分は掛かるのだ。
こんな事を繰り返すこと四時間半。そろそろ陽が傾いてきた。犬人族が移動した後をおよそ一時間弱追った計算になる。このペースでは、女の一日分の足取りを追うのに一か月近くかかってしまうぞ。
そうは言っても他に手掛かりらしき物もない。アスタはずっと俺がおんぶしてたけど、魔法を連発したからだろう、その顔に疲労が見える。今日はもう戻って休もう。
周辺に目印になるような物を探す。森の中って景色が変わらないから、転移で確実にここに戻って来れるようにしなければ。しかしそう都合よく目印など見つからない。
仕方ないので、俺は土魔法を使って高さ十メートルの土の塔を作った。明日はこれを目印に転移しよう。
また赤竜亭に戻る。アルさんの家に行こうかとも思ったんだけど、アスタのおやつを手に入れるには帝都の方が都合が良い。リンさんの手作りのお菓子も美味しいんだけど、お世話になりっぱなしだからなぁ。
夕食を終え、作戦会議を行う。明朝は早くから出発したいので、今日は酒はなしだ。
「このまま、あの犬人族の女を追うしかないのかなぁ?」
「今のところ、他に手だてもありませんしねぇ・・・」
「うむ。ここは大船に乗ったつもりで我に任せるが良いぞ」
アスタは今日大活躍だったので鼻高々である。しかし、もう眠いのだろう、声に疲れが出ている。
「アスタ、今日は先に休んでくれ。あんな凄い魔法を連発したから疲れただろう?」
「うーん・・・そうじゃな。悪いが先に休ませてもらうとしよう」
「アスタ様、おやすみなさい」
「おやすみ」
「ああ、お主等も大儀じゃったな。おやすみ」
アスタが部屋を出て行き、ルルと二人で明日からの事を話し合う。
「このやり方で良いのかなぁ。アスタに負担が掛かるし、何より効率が悪い」
「そうですね・・・もう少し進めば、もっと痕跡が見つかるかもしれません。今日も少し見つける事が出来ました」
「そうなの?」
「はい。匂いはもう消えてますけど、草や枝が折れた跡や、深く地面を蹴った足跡は見つかりました」
ルルってば凄い!全然そんなのに気付かなかったよ。さすが、狩りを生業とする狼人族だな。
「もっとはっきりした痕跡が見つかれば、アスタの魔法がなくても跡を追えそう?」
「たぶん・・・」
ルルにしては自信のなさそうな口ぶりだ。自信がないと言うより、本当に見つけたいのか分からないのかもしれないな。
「ルル・・・あの犬人族の女が生きていて、見つける事が出来れば子供たちを救えるかも知れない。未来の誘拐も防げるかも知れない」
「そう・・・そうですね!」
「うん。でも無理はしなくて良いからね?」
「・・・はい!」
俺たちも明日に備えて休むことにした。
早朝から調査を再開する予定だったが、あまり早い時間だとお菓子を売っているお店が開いてない。仕方ないのでゆっくり朝食を取り、昼食用の弁当まで作ってもらった。
お菓子も扱っている食品雑貨店が開店して、すぐに大量のお菓子を買い込む。昨日の分もまだ余っているが念のためだ。万全を期して、パンや干し肉も買っておく。そして昨日の土の塔を目指して転移した。
今日は調査のペースを上げるために、アナパラを使った後に俺のリワインドをアスタに掛けることにした。もちろん本人(柱)も承諾済みだ。本当は、神様を馬車馬の如く働かせるためにリワインドを使いたくはないのだが。
「ほぉー!これは良いな!補給なしで連続で使えるぞい!」
アスタが喜んでるようだから良しとしよう。リワインドは対象の時間を巻き戻す魔法だから、アスタの魔力も使用前に回復する。それでも、あまり無理させるのは大いに気が引けるので、一時間ごとにおやつタイムを入れる。
しかしペースは各段に上がった。タイムロスは一時間ごとの休憩だけだからな。
犬人族の女は、ここまで休みなしに走り続けていた。馬車が襲われた地点から、最初は西の方へ、そして次第に南西の方角へ逃げているようだ。
このままずっと南西に向かえば、やがて共和国と帝国を隔てる山々にぶつかる。どうも、共和国ではなく帝国の方へ向かってたようだな。
女の跡を六時間分追った辺りで、ルルが痕跡を見つけた。
「ユウト様!ここで休憩したと思います」
それは大木の洞だった。俺が見てもそこで休憩したとは分からないが、ルルが言うんだから間違いないだろう。丁度良いのでそこで休憩することにした。
「ねえアスタ。アナパラって早送りとか出来ない?」
「早送り?なんじゃそれは」
「時間の流れを早くする感じ、かな?」
「そんな都合の良い事が出来る訳ないじゃろう!」
「ですよねー」
休憩を終えて調査再開。その場でアナパラを行使する。一分半後、俺がリワインドを掛ける。それを二時間続けた。女は大木の洞から出て来ない。
辺りはすっかり闇に包まれている。これ以上の調査は無理だな。俺たちはまた赤竜亭に戻った。
翌日も同じ事を繰り返す。犬人族の女が洞から出て来たのはさらに三時間経ってからだった。そこからまた逃げ続けていたが、歩みは目に見えて遅くなった。さすがに疲れたのだろう。かれこれ半日分ほど跡を追った計算になる。
「痕跡を見つけました!これなら追えると思います」
ルルが知らせてくれる。その場所を見ると、確かに草が一方向に折れている。腰の辺りの小枝が折れているのも分かった。しかし、指摘されてやっと分かる程度だ。
彼我の差は一週間。女がまだ生きていれば、移動を続けている可能性もある。俺はアスタを背負い、森の中を滑るように疾走するルルの背中を追った。
再現で最後に見た時、女はかなり疲弊していた。この辺りでは、まともな食料も見つからないだろうし、魔物に警戒しながら森の中を一人で逃げ続けるのはかなりの困難を伴う筈だ。
所々で女は休憩していた。その間隔が徐々に短くなってくる。
ときたま魔物に遭遇するが、向こうが仕掛けて来ない限りスルーした。たまに空気を読まない奴が襲い掛かって来るが、先を走るルルが剣を一閃して倒してしまう。俺まで出番が回って来ない・・・
娘みたいな年下の奥さんに守られてるおっさんってどうなのよ。
まぁ、もしルルが危なそうだったらすぐ助けるけどね。本当だからね。決してサボってる訳じゃないんだから。
そうこうしているうちに、かなり南西の方へ進んだ。まだ山脈まではかなり距離があるが、この辺りの地形は起伏に富んでいる。
と、突然ルルが足を止めた。前方を指差している。指を追って視線を動かすと、少し開けた場所があり、その先は崖になっていた。どうやら小さな山の裾のような場所だ。
そこに、夥しい数の蟷螂が群がっていた。それはもう、気持ち悪いくらい。何匹いるのか分からない。そして、一匹一匹がデカい。三~五メートルある。
「マンティスの群れですね。こんな大きな群れは見た事ないです」
「なんか、崖の方に興味があるように見えない?」
数十匹のマンティスが、崖に向かって両手の鎌を振りかざしているように見える。
「ここから見える限りですが、痕跡はあそこに続いているようです」
「あそこに奴らが興味ある何かがあるようじゃな。恐らく、奴らが入れんくらいの小さな洞窟があるんじゃろう。その奥に、薄っすらと獣人の魔力が見えるぞ」
俺の肩越しにアスタが教えてくれる。目的の女か断言は出来ないが、とにかく生きてる獣人が蟷螂の群れに囲まれてる訳だ。
あー、いやだなー。俺、虫苦手なのよ。可能なら跡形もなく焼き払いたいところだが、そんな事したら洞窟にいる何者かも死んでしまうからな。えーい仕方ない。
俺は木々が途切れた場所まで歩み出た。グラビティで自分を浮かせる。目視でかなり遠くまで見渡せる位置まで。
そして、面倒だが一匹一匹のマンティスを一度目視で捉える。これは認識出来てる程度で構わない。
「転移」
この場に群がっていたマンティスを、遥か地平線の森の上まで転移させた。木の高さぐらいだから、そう簡単には奴らも死なないだろう。よし。生態系は守られた。無駄な殺生は良くないからね。決して黒刀で虫を斬りたくなかった訳ではない。
俺たちは崖に近寄った。人が一人やっと通れるくらいの隙間が開いている。小さな洞窟のようだが、光が届く範囲には誰もいない。
「確かめて来ます」
ルルが止める間もなく入って行く。俺はアスタを背中から降ろし、後に続いた。アスタも後ろから付いて来る。
ルルが倒れた人影の横に跪いていた。暗闇に目が慣れて来る。倒れているのは犬人族の女のようだった。
アスタの再現、凄い力なんですけど、持続力が・・・(笑)
次回、犬人族の女性から語られる衝撃の話!
また明日の19時に公開します。楽しみにお待ち下さってる方に心から感謝します!




