24 魔王との戦い
ガルムンド帝国最南端。二千メートル級の山々が国境となっているこの地帯。山脈を隔てて二つの国が隣接している。西にパエルマ王国、東にリネル王国。
パエルマとリネルは更に南の魔族領、ベルーダ奥地から流れる大河で隔てられている。
この大河は、山脈の丁度真ん中辺りに恐ろしく急峻な谷を作り、山々を回り込んで西の方へ流れている。
ガルムンド、パエルマ、リネルの三国が接する谷の近く。ここに「魔王城」はある。
その城は、大陸中央部の七つの国々が帝国に統一されるより前、今から三百年ほど前にその地に存在した小国の王の居城であり、魔王が現れる前はガルムンド帝国南方のとある貴族が所有していた城であった。
帝都からは離れ過ぎているし、隣国に近すぎて防衛拠点にも適さない。地理的に帝国の南の辺境の果てなので、半ば打ち捨てられた城だったのである。
そこに「魔王」を名乗る者が棲みついた、という事らしい。
帝都から魔王城までの距離、およそ九千キロ。馬車で移動すると、三か月近くかかる距離である。
幸いにも、俺は一年前に帝国南部で最大の都市「ザウリンド」で召喚された事がある。その記憶が鮮明だったので、俺とセルジュさん、リア、そして十五名の帝国騎士団の精鋭はザウリンドに転移で移動した。そこから魔王城までは馬車で二週間の距離だ。
ちなみに、俺に掴まってもらう必要があるので転移は三回に分けて行った。俺以外に転移魔法を使える人がいれば楽なのになあ。しかし、これまで転移を使える人には会ったことがない。
俺たちは、ザウリンドで魔王城までの行軍に必要な準備を整え、途中の集落で宿を取り、時には野営をしながら南へ向かった。
ザウリンドを経って四日目、リアとゆっくり話をする機会があった。
「ユウト様、本当にお久しぶりですね!えーと、五年?六年?」
「六年近くかなぁ。リアはすっかり大人っぽくなったね。宮廷魔術師とは、さすが俺の魔法の師匠だよ」
長く伸ばした美しい青髪を一つに纏め、宮廷魔術師の濃紺のローブを纏ったリア。金色の瞳は昔と変わらずキラキラと輝いているが、そこに思慮深さが加わったようだ。
「ユウト様こそ、素敵な大人の男性になられましたね。お元気でしたか?」
「うーん。元気と言えば元気だけど」
「何かあったのですか?」
機微に敏いリアが問う。俺は誰にも言えずに心にしまい来んでいた思いをリアに打ち明けてみようと思い立った。そんな事が出来たのは、異世界という非日常で、懐かしい人に再会して心の鎧を脱ぎ捨てられたからだろう。
「もう四年前なんだけど・・・両親が死んで、俺は一人になってしまったんだ」
俺の知る限り、両親は孤児院で出会った幼馴染で、そのまま結婚した。だから、両親が死んでも頼れる親戚は一人も居なかった。
「まぁ・・・なんて悲しい事・・・」
リアは俺の頭を優しく抱いてくれた。
十六の冬。突然両親が死んだ。
俺は、その時の記憶が今でも曖昧だ。高校の授業中、いきなり教頭が教室に来て俺を呼んだ。別室に連れて行かれ、両親が交通事故で死んだと言われた。
その後の記憶は、二つの骨壺を胸に抱き、火葬場のがらんとしたロビーで立ちすくんでいた事。
父さんと母さんの友達何人かが、俺の肩を叩き、抱きしめ、涙を流しながら「いつでも頼って来い」と言ってくれた事。
他の葬式はどうなのか知らないが、彼らが取り仕切ってくれた両親の葬式は、同じ職場の人々と友達、合わせて十人ちょっとしか来なかった事。
それくらいしか覚えていない。
そして、俺は泣けなかった。泣きたいのに涙が出なかった。
葬式が終わって一か月くらいして、初めて泣いた。一日中泣いた。なぜこんなに涙が出るのか分からないってくらい泣いた。
父さんと母さんはもういない。
俺を守ってくれる人はもういない。
俺を愛してくれる人たち、俺が愛する人たちはもういない。
そして、高校を中退し働くことにした。両親が残してくれた生命保険。事故の加害者側から支払われた賠償金。それらは手を付けなかった。そのお金を使うのは、両親の死を利用してるような気がしてどうしても手を付けることが出来なかった。
俺はユルムントで生きたいと考えるようになった。俺が異世界に行っても、心配を掛ける人はもういないのだから。
俺は、その時の気持ちをリアに話していた。リアの両目から涙が流れていた。
「そんな辛い事があったなんて・・・」
「ああ、リア。聞いてくれてありがとう。俺は、独りぼっちになった向こうの世界では居場所を見つけられなかった。でもこっちなら、居場所を見つけられる気がするんだ」
リアは泣き続け、言葉に出来ない。リアを泣かせてしまって申し訳ない気持ちもあるけど、心の内を曝け出した俺は少し気分が軽くなっていた。
「リア、他の人には内緒にして欲しいんだけど、出来れば魔王を殺したくない。殺さずに悪い事をしないように説得したいんだ。この世界に留まるために」
リアはただうんうん、と頷いてくれた。
俺は、機会を見てセルジュさんにも「可能なら魔王を殺さずに説得したい」と自分の思いを伝えた。セルジュさんは最初難しい顔をしていたけど、最後には納得してくれた。
「そうなったら、私が他の皆を説得します」
セルジュさんはそう言ってくれた。その目を見た時、俺には分かってしまった。もし皆を説得できなければ、仲間を殺してでも魔王は死んだ事にしようとしてくれていると。その中には、リアと、セルジュさん自身も含まれていたのかも知れない。
セルジュさんの覚悟は心から嬉しかったが、俺のために他の人が犠牲になる事は許されない。魔王を殺さずに説得できた場合、騎士団の精鋭十五名をどうすれば納得させられるか。そんな事を考えているうちに、魔王城まで目と鼻の先まで来ていた。
道中に魔王が行ったと言われている事を聞いた。
これまでに分かっている範囲で、魔王は帝国南部の七つの村を滅ぼしている。滅ぼすという言い方は生温いだろう。それは虐殺以外の何物でもなかった。
魔王は常に一人だ。魔王に心酔した人族と魔族、少数の物が周囲にいるようだが、戦いには加わっていない。
七つの村は、人族の村、獣人族の村、それらが共存する村。特に変わった村ではない。老若男女が暮らす、どこにでもある村であった。そこに突然厄災が訪れたのだ。彼らは兵士ではない。農業や酪農を営む普通の人々だった。
そこに現れた「魔王」は、まず男たちを殺した。手に鋤や鍬を持って村を守ろうとしたから。そして成す術のない村人たちを集め、子供を殺した。それも、その子の親の目の前で。そして、子の目の前で親を殺した。最後には皆殺しにした。
剣で斬り、突き殺す。魔法で焼き、凍て殺す。素手で殴り、引き千切り、殺す。
目的は、村の物資でも、金や女でも、他の集落に恐怖を与える事でもなかった。ただ「殺す」事が目的だった。
その「魔王」は、己の嗜虐心を満たしたいだけの狂人だった。しかも、それを残虐に実行する力を持つ狂人だ。
村々からの要請で帝国軍が出征した。最初は千五百人。二度目は一万人の兵士。その悉くが返り討ちに会った。たった一人の「魔王」の手によって。
皇帝は、次に五万人の兵を送ろうとしていた。数の暴力で魔王を圧倒せしめんとするために。その前に、帝国の政を司る者たちから召喚者を呼んでみてはどうかと進言があった。その結果呼ばれたのが俺、という訳だ。
俺たちの目の前に、その「魔王」が居るという城が聳えていた。
その城は、およそ人の気配というものがなかった。それほど大きい城ではないが、数百年前に建てられた城にしては手入れが行き届いている。所々に置いてある花瓶には生花まで生けられている。
俺は、騎士団員たちに城の外で待つように頼んだのだが、彼らは頑として聞き入れない。止む無く十八人全員で先へ進む。
しん、と静まり返る城の通路に響く、騎士たちの鎧がカチャカチャという音。途中、敵の妨害や罠すらなく、俺たちは玉座の間に到着した。
玉座に足を組んで座り、片方の肘掛に肘をつき、手に頬を乗せた恰好でこちらを見る少年。黒髪に黒い瞳。面白がるような目で俺たちを睥睨している。
高校に入ったばかりのように見えるその少年が口を開いた。
「今度はえらく少人数で来たな。何か話でもあるのか?」
少年の顔。口調。雰囲気。俺は試しに日本語で話し掛けた。
『君は日本人かい?』
『へえ。あんたもか。じゃあ召喚者なんだな』
少年の顔をした魔王が答えると同時に、玉座の間の扉がバタンっ!と音を立てて閉じられた。俺以外の全員が扉に気を取られる。
その一瞬の隙に、魔王は姿が霞む程の速さで、一人の騎士の背後に回る。「しまった!」と思った次の瞬間、騎士の胸から魔王の鮮血に塗れた手が突き出していた。
(くそっ!)
俺は転移で魔王の背後に回るが、魔王はそれに反応し、殺した騎士から手を引き抜いて大きく飛び退る。魔王が訝し気な顔で俺を見ている。
扉が閉じられてから二秒の間に起きた攻防。セルジュさんと他の騎士たちはようやく剣を抜いたところだった。
魔王は再び別の騎士の後ろに回る。今度は殺さずに、別の騎士に向けて火魔法を放つ。俺は魔法を放たれた騎士にシールドを張る。
魔王は次々と移動し、騎士を盾にしながら魔法を放つ。俺に向けてではなく、セルジュさんやリア、他の騎士に向けて。俺は皆を守るために次々とシールドを張った。攻撃する暇が与えられない。
そして、魔王は特大の炎魔法を床に向けて放った。玉座の間は瞬時に炎で埋め尽くされ、城の上半分が吹き飛んだ。
俺はセルジュさんとリアを抱きかかえ、城の外に転移した。ばらけた騎士団員たちは既にシールドで守られている。魔法や城の瓦礫からはダメージを受けない筈だ。これだけ守る者が多いと、こちらから攻撃を繰り出せない。
俺は抱きかかえていた二人を目視で出来るだけ遠くに転移させた。約一キロ離れた北の林の手前だ。そこから魔王城までは所々に木が生えた草原になっている。
魔王は誰かの剣を使って騎士に張ったシールドを叩き壊そうとしていた。咄嗟に多くの者に張ったシールドだから脆い。今にも破られそうだ。
俺は、皇帝から貸し与えられた国宝の剣を抜いて転移する。シールドが壊された瞬間、騎士の前で魔王の剣を剣で受け止めた。衝撃でその騎士と共に周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。
見える範囲にいる騎士団員のシールドを解除し、東の開けた場所に転移させた。
魔王は、ロケットのような速さの飛行魔法でセルジュさんとリアの方へ向かっている。ここから魔法を放つと二人を巻き込んでしまう。二人の元に転移で移動すると、魔王は地面に特大の炎魔法を放った。爆炎と吹きすさぶ砂埃が目眩しになる。
魔王の攻撃に備え構えるが、一向に来ない。俺はこの間にセルジュさんとリアにアルティメット・シールドを張った。そして東の騎士たちの元に転移で向かう。
俺が現れる事を見越した魔王は、既に極大炎魔法「フレア」を放っていた。俺もろとも騎士団員たちを皆殺しにするつもりで。
シールドが間に合わない。俺は重力魔法「黒点」を放つ。着弾の直前で、炎の海が小さなブラックホールに飲み込まれて行く。すぐに自分自身と騎士団員たちにアルティメット・シールドを張った。
全ての炎が消える前に黒点と自分のシールドを解除。魔王の姿を探す。奴が黒点に飲み込まれていないことは分かっている。もし飲み込まれていれば、俺はオーダー達成で転移の間に戻されるからだ。
姿を隠せるのは瓦礫となった城の辺りくらいだ。転移で移動すると、すぐにフレアに襲われる。シールドを解除し、爆風の中に目を凝らす。そこから魔王が飛び出して来る。俺の顔に奴の貫手が迫る。
俺はその手首を掴み、飛び込んで来た勢いを利用して地面に叩きつけた。
「ドゴオォォォォォォォォォォォン!!」
隕石が落下したような衝撃で地面に巨大な窪みが出来る。魔王はすぐさま立ち上がり、腰の「黒刀」を抜いた。俺も借り物の剣を構える。
お互いの姿が霞む速さで剣と刀が打ち合わされ、その度に甲高い金属音と共に盛大に火花が上がる。攻撃が躱されると、周囲に残った瓦礫や木々が吹き飛び、地面が抉れる。上段の攻撃を受け止めた衝撃で、次第に俺たちの立っている地面が窪んでいく。
一撃でも当たれば確実に死ぬ。そんな攻防の最中で、魔王は嗤っていた。死と隣り合わせの状況を楽しんでやがる。
刀で斬りつけ、近距離で魔法をぶっ放して来る。決まった型がなく変幻自在。非常に戦い慣れており、やっかいな相手だ。
でも、俺も目が慣れた。
徐々に俺の方が魔王を押し込み始めた。たまらず間合いを空けて魔法を放とうとする奴の背後に転移する。
そして、幅広の剣の横っ腹で、奴の脇腹をフルスイングした。
肋骨が何本か折れる感触がして、魔王は城の残骸まで派手に吹っ飛ぶ。石壁に身体がめり込むと同時に、俺は奴の喉元に剣先を突きつけた。
『もう降参しろ。命は助けてやる』
日本語で告げる。オーダーを達成しないために、とは言わない。魔王は口から血を流しながら、まだ嗤っていた。
『くっそ。十八回目の俺より強いとはなぁ・・・』
魔王は左手を掲げた。降参かと思ったが違った。奴は重力魔法を使い、周辺の巨大な瓦礫をセルジュさんとリア、騎士団員たちの上空五十メートルの位置に浮かべた。
『そんな事しても無駄だよ。あのシールドは壊れない』
くくくっ、と嗤い、魔王は自ら俺の剣に喉を突き刺した。口から夥しい血が溢れる。呆気に取られた俺の腹に、魔王の黒刀が突き刺さる。
まずい。俺が死んだらシールドが消えてしまう。皆が瓦礫に圧し潰され死んでしまう。
俺は魔王の首を刎ねた。奴は真っ白な眩い光に包まれる。俺はそれを確かめもせず、腹に黒刀を刺されたまま、落下を始めた瓦礫に向かって二つのフレアを放つ。
瓦礫はフレアによって跡形もなく蒸発した。気が抜けて両膝を地面に着く。こちらに向かって走って来る皆を見ながら、俺は真っ白な光に包まれた。
転移の間に戻った時、腹の傷は消え、魔王の黒刀が俺の隣に落ちていた。
やっとバトル回に漕ぎ着けました!過去のお話ですけど・・・
次回、騎士団の調査の結果・・・!?
また明日の19時に公開します。宜しくお願い致します!