16 怒れるおっさん
女まで百メートル程の距離に近付いて、隠蔽のシールドを解除した。俺は森の少し奥へ移動し、ルルはわざと気配を知らせるように女に近付く。
ルルがあと五十メートルの距離まで近付くと、女が立ち止まり、ルルの方を振り返った。
俺はルルと女の中間くらいの森の中、やや大きな木の下生えの草に身を潜めた。草の隙間から女を注意深く観察する。
年齢は二十代後半から三十代前半か。長い赤毛をポニーテールに結び、黒いマントを着ている。瞳は緑色、白い肌には雀斑が浮かんでいる。
緑色の目は、何の感情も浮かべず近付いて来るルルをじっと見ている。
「こんにちはー!実は迷ってしまって」
ルルが明るい声で話し掛ける。女は訝し気に小首を傾げる。
「あなた、リュウの所から逃げ出して来たの?」
「リュウさん?それは誰―」
ルルが女の間合いに入った時、女の右手がわずかに動いたような気がした。
次の瞬間、それまでルルが居た空間を女の剣が横薙ぎに払った。剣の衝撃が周囲の木々を大きく揺らす。
「あら?」
女が不思議そうな声を出す。
女が剣戟を繰り出す寸前に、俺はルルを転移させていた。今ルルは俺の横にある木の後ろできょとんとしている。
俺の背筋には冷たい汗が伝っていた。同時に、頭は怒りで沸騰していた。
ルルの胴体が真っ二つになる幻影が見えた。転移が僅かでも遅れたら現実になっていただろう。
女はルルを完全に殺す気だった。何の躊躇いもなく。邪魔な魔物を殺すように。
俺は黒刀を抜き、女の目の前に転移した。突然目の前に現れた俺に一瞬驚きながらも女は反応していた。ルルが居た空間を振り抜いた所から最短距離で俺に剣を振るおうとする。
だが遅い。黒刀を左下から右上へ一閃する。俺が剣を振るった衝撃が、女を起点に森を切り裂く。
木々が薙ぎ倒され、地面が抉られて行く。突然の凶事に、鳥たちが一斉に空へ飛び立った。衝撃はおよそ三キロ先まで届いた。
黒刀が、女の右脇腹から左の肩口まで逆袈裟懸けに両断していた。
「あんた、何者・・・」
女がこの世界における最後の言葉を絞り出す。
「ただのおっさんだよ」
俺が答えると同時に、女は目も眩む白い光に包まれる。これから転移の間に行き、地球のどこかに帰るのだ。
「ユウト様ー!」
ルルがたたたっ!と駆け寄って来る。俺は思わずルルを抱きしめた。耳がぴんっ!と立ち尻尾もぼわっと広がって立っている。突然の事でルルの体は棒のようになっている。
ルルの体温が伝わって来る。ちゃんと生きてる。その温もりで冷静さを取り戻す事が出来た。
「ユ、ユウト様?」
「あ、ああ。ごめんルル。怪我はないかい?」
我に返り、ルルの両肩に手を置いて少し距離を空け、ルルに異常がないか確認する。
「ルルは大丈夫ですよ?それより、あの女の人はどこへ行ったのでしょう?」
そこへ、竜化して飛んできたシエラも合流した。
「ユウトさん!なんか向こう側の森が大変な事になってますけど、大丈夫ですか!?」
「ああ。二人とも、今から説明する。その前に、頭に血が上ってやらかしちまった。あの女から情報を聞き出す筈だったのに。済まない」
赤毛の女がルルを殺す所だった事、怒りに任せて女を殺した事、力が入って森までちょっぴり削っちゃった事、女は召喚者だったから、死んで元の世界に戻った事を説明した。
「ルルちゃんがそんな事に・・・ユウトさんが怒るのも無理ありませんね」
「ユウト様はルルを守って下さったんです。ルルはとっても嬉しいです!だから気にしないで下さい」
若い女の子二人から慰められてしまった。我ながら情けないぜ。
もっと冷静だったら、殺さずに無力化して情報を引き出す事も出来たかも知れない。シエラの仲間たちの居所を突き止めるのが目的だったのだ。
さて、どうしたものかな。
SIDE:ジブラルの砦
コンクエリア共和国南東部、ジブラル辺境区は、南の森に強力な魔物が多数生息している事から、元来人が住む場所ではなかった。先の戦争の後、北の七か国が併合された際に南からの他国の侵攻と魔物の侵入を防ぐために設けられた区域である。
森の切れ目に沿って、大陸の東端から中央の砂漠までの約二万キロに渡り、高さおよそ三十メートルの壁が東西にほぼ一直線に作られている。これは戦争終結の際、当代の共和国国王が土魔法によって作った物と言われている。
ジブラルの砦は、東端の海岸から三千キロほど内陸に入った壁沿いに作られた軍事拠点だった。ジブラル辺境区の要の施設と言える。
この砦には、約二十万の兵士が常駐していた。これら兵士を束ねる指揮官が、召喚者アンナ・リヒター。特異な従魔術者だった。
アンナは、人族では不可能と言われる大型で強力な魔物を数年かけて次々と従魔術で従わせ、魔物軍と言える程の軍勢を拵えていた。その数は二千体にも及ぶ。
猿、虎、猪、犀、蛇、亀、鰐、蜥蜴、蟷螂、蜘蛛など。体長は小さい物で五メートル、大きな物はゆうに十メートルを超える。蛇などは体長五十メートルはあった。
砦の西側には、これらの魔物を集めておく広大な場所を設けていた。逃げ出す心配がないので、壁は設けていない。ただの広大な原野だった。
ただし、アンナが最近になって従え始めた竜族だけは、人化した姿で地下に作られた鉄格子のある部屋に集められ、閉じ込められていた。従魔術が解ける事を恐れたのかも知れない。
そんな危険を犯してまで竜族を集める事に、果たして意味があったのだろうか。いや、少なくともアンナ・リヒターにとっては意味があった。
彼女は妄執に囚われていた。従魔術を極める事に。その最終目的は「人」を従える事。
だが、従えたい人物はたった一人だった。自分を異世界に召喚し、圧倒的な力で従わせているあの男。死んでも再び召喚されてしまう。どこにも逃げ場がなかった。その男の支配から逃れるためだけに、従魔術を極めたかったのだ。
その目的の一環として、自らの力を試し更なる高みを目指すために竜族に従魔術を掛けていたのだった。
そうして竜族が集められた地下の牢獄には、三十人ほどが捕えられていた。
魔物の異変に最初に気付いたのは、餌やりに来た兵士たちだった。いつも通り、牛や豚などの家畜を魔物ゾーンに運んで来た連中だ。百人がかりで餌やりを行うのだが、これだけで半日かかる作業である。なにせ運んで来る家畜もデカい。うんざりする作業なのだ。
「な、なあ。何かおかしくないか?」
アンナの命令がなければほとんど動かない魔物たちが、活発に動いている。中には魔物同士で喧嘩してる奴までいる。
やがて兵士たちは気付いた。魔物の胸にあるはずの従魔の紋章が消えている事に。そして自分たちが、決して敵うはずもない魔物の群れの中に居る事に。
魔物が犇めく原野のあちこちで、兵士たちの悲鳴が聞こえ始めた。
「俺たちは一体何をしてるんだ?ここはどこなんだ?」
従魔術の効果が消え、正気に戻った竜族の若者たち。彼等には、ここに居る理由もここがどこなのかも知る術がなかった。寝て起きたら知らない場所に閉じ込められている、としか感じられなかったのだ。
「竜族の若者たちよ。里に帰してやる。我に従え」
鉄格子の向こうから、低くて明瞭な声が響いた。若者たちは皆口をつぐんだ。
そこには、黒髪をオールバックにした金色の瞳の男が立っていた。
「我は黒竜。そなたたちの仲間に請われ、手を貸しに来た。落ち着いて我の後に付いて来るがいい」
黒竜が鉄格子の錠に手をかざすと、見る間に錆びて朽ちていく。鉄格子を開いた黒竜は踵を返し、地上へ続く階段へと向かう。若者たちは黙ってその後を付いて行った。
SIDE:ユウト
情報を得る筈だった相手を怒りに任せて殺してしまった俺は、その代わりに何か良い案がないかと一頻り頭を捻ったが、そう都合よく凄いアイディアが浮かぶ訳もない。
「ユウト様、とりあえず、砦と呼ばれる所に向かってはいかがでしょう?」
うんうん唸ってる俺を見かねたルルが代案を出してくれた。俺は光の速さでそれに乗っかった。
「そうだな、そうしよう!シエラ、悪いがまた背中に乗せてもらっても良い?」
少し陽が傾いてきている。砦に向かうなら早いうちが良いだろう。俺たちはシエラの背中に乗せてもらい、北を目指す。
眼下の森が痛々しい。土は抉れ、木々は薙ぎ倒されている。それもこれも、全部あの女のせいなんだからね!
嘘です、ごめんなさい。俺がやりました。反省しております。
よく分からない何かに謝罪しつつ、今回は地上百メートルくらいの高度を飛んでいた。三十分ほど経った頃、ルルが前方を指さしながら叫んだ。
「向こうから何か飛んで来ます!」
最初は黒い点だったものが、徐々に大きくなってくる。鳥の群れかな?何かがひと固まりになってこちらに飛んで来てるようだ。
近付くに連れ形がはっきりしてきた。あれは竜だな。先頭の黒い奴がとびきりデカい。全部で三十頭くらいいる。あのデカい奴に見覚えがあるのは気のせいだな、きっと。
シエラがその場で数度旋回し、地上に降りた。しばらくして、竜の群れも降りて来た。やっぱ黒竜じゃん。こいつ、こんな所で何してんの?
竜たちは次々と人化した。シエラは涙を流しながら彼らと抱き合っていた。抱きつかれた方は少々面食らっていたが。
そして人化した黒竜が俺に向かって歩いて来た。
「お主が動いたから、我も手を貸したぞ」
相変わらずの渋い声。
「あんたが彼らを見付けてここまで連れて来てくれたのか?って言うか、いつの間に俺たちを追い越したんだ?」
「細かい事は気にするな。約束は果たしたぞ」
黒竜はそれだけ言って竜化すると、すぐに飛び立った。あっという間に黒い点にしか見えない距離まで昇って行って、そのまま南へ飛び去って行く。あれは絶対音速を超えてる。
何なんだあいつは。言葉が足りなさ過ぎるんだよ。もう少し詳しく説明してくれても良いと俺は思うんだ。
いつの間にかルルが傍に寄り添っていた。
「シエラさん・・・良かったです、仲間が無事で。ね?ユウト様?」
「ああ。そうだね。黒竜に美味しい所を全部持って行かれた気がするけど」
うん。どうやってシエラの仲間を見付けるか頭を悩ませてたから、面倒な事は全て黒竜がやってくれたと考えればとても助かったと言える。
ただ、あいつは最初から竜族の居場所を知っていたような気がして釈然としないけど。
「まあいっか。これで解決だな」
「ユウトさん!ルルちゃん!仲間は全員無事でした!何が起こったかよく分かってないみたいですけど・・・助けてくれて、本当にありがとうございました」
シエラがこちらに駆け寄ってきて頭を下げる。
「シエラさん、良かったですね!」
「ああ。本当に良かったな、全員無事で。まあ成り行きで手を貸しただけだから、あんまり気にしないでくれ」
「これから集落に戻って、長を探して報告しなきゃ・・・ユウトさん達も来ますよね?改めてお礼もしたいですし」
「いや、俺たちはここで失礼するよ。転移で戻れるし、今はバタバタしてるだろうから、また落ち着いた頃を見計らって遊びに行くよ」
シエラは俺たちと共に集落に戻りたいようだったが、やらなければならない事が沢山あるのを思い出させると、渋々と言った感じで承諾した。
「絶対来て下さいね!ルルちゃんと二人で!約束ですよ?」
「ああ、分かった。近いうちにルルとお邪魔するよ」
シエラはようやく納得した様子で、仲間たちと竜化してアナトリ山脈へと飛び立って行った。俺とルルは姿が見えなくなるまでその場で見送った。
「さあルル、俺たちも帰ろうか」
俺がそう言ってルルの方を向くと、ルルは西の方角を見て耳をピクピクさせていた。
「どうした?」
「あっちの方で、子供の悲鳴が聞こえます!魔物に襲われてるかも知れません」
試しに耳を澄ませるが、おっさんの耳には何も聞こえない。が、ルルが言うのだから間違いない。
駆け出そうとするルルを引き留めて抱き寄せると、俺は重力魔法のアンチ・グラビティを使って空に舞い上がった。
ユウトさん、やり過ぎですよ・・・
次回、子供の悲鳴に駆け付けると・・・!?明日も19時に公開します。
いつもお読み下さり本当にありがとうございますm(_ _)m
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