12 シエラ、黒竜に会う
俺の分を平らげてもまだ足りなそうだったので、結局さらに二人分を追加した。まるでどこかの食い倒れたお姫様のような食いっぷりだ。
「はあー、お腹いっぱいです」
約四人分を平らげたシエラが宣った。俺たちは食後のコピオをゆったりと飲んでいた。コピオは元の世界のコーヒーに似た飲み物で、ブラックでもほのかに甘味がある。香りはコーヒーそのものだ。
毎日コーヒーが欠かせなかった俺がユルムント定住を決めたのは、このコピオの存在を知ったからと言っても過言ではない。コピオが無ければ迷っていたかも知れない。
「さて、落ち着いたかな?じゃあ話の続きを聞かせて欲しい。どうして黒竜に会いに来たんだい?」
「助けを求めるためです」
シエラが訥々と話し始める。
ここ数か月、アナトリ山脈に暮らす若い竜族が何人も姿を消していた。族長の指示の元、何人かの竜族の者がその件を調べていたらしい。シエラもその内の一人だった。
一週間程前に、シエラは山の麓で怪しい女を見付けた。竜族の若い女性を連れている。何かで繋がれて無理矢理連れられている訳ではない。離れて観察していたシエラだったが、竜族の女性の胸に赤い紋章が浮き出ているのを見て取った。
「その竜族は従魔術を掛けられているように見えました。我々竜族は、人族より遥かに大きな魔力を持っています。ですから、人族の従魔術で竜族を従えたなどという話は今まで聞いた事がありませんでした」
自分で見た物に確信が持てず、シエラはそのまま女の後を尾けることにしたそうだ。山の麓に広がる森に入ると、竜族の女性が竜化し、怪しい女を背中に乗せて飛び去ろうとした。
シエラも慌てて竜化し、その後を追った。しかし竜の姿では目立ち過ぎる。前を行く竜の背に乗った女は、こちらを振り向きもせず魔法を放った。飛んでいるシエラに対し、従魔術を使ったのだ。
目の前に現れた巨大な魔法陣を避けることが出来ず、シエラはそのまま突っ込んでしまう。次の瞬間には、シエラの胸元にも赤く光る魔法陣が浮き出ていた。
「私は従魔術の支配に抵抗しました。そのまま森に落ちてしまいましたが」
シエラは竜族の中でもかなり魔力が大きい方だったらしい。様々な魔法にも精通していた。
「おそらく、私の魔力と術者の魔力は拮抗していたのだと思います」
従魔術は確かに効力を発揮していたが、シエラの魔力と意志の力で無理矢理それを抑えつけたようだ。
「私は仲間の元に戻り、周辺の竜族に危険を知らせるように頼みました。そして、そのまま最強の竜である黒竜様に助けを求めるため、こちらに向かったのです」
遥か北の山脈から、一週間飛び続けたというシエラ。
「あと少しで黒竜様のお山、という所で意識が途切れてしまいました・・・」
いかに竜が強大な生物とは言え、一週間も飲まず食わずで二万キロ近く飛び続けたのだ。疲労が極限に達して意識を失うと同時に、従魔術に支配されてしまった。
それで暴走したのだろうが、街も人も襲わなかったのは、シエラの深層意識がそれを押し止めていたのだろう。
「しかし、俺にはブレスをぶっ放してたけど?」
「おそらく命の危険を感じたんだと思います。それで、その、反射的に。すみません」
反射的に致死性の攻撃を繰り出すとは。
「まあ、誰も怪我しなかったんだから気にするな。それで、今はその従魔術は解けたって事で間違いないの?」
「はい、なぜ解けたのかは分かりませんが。今は支配を全く感じません」
「ユウト様。ルルはジャンお婆ちゃんから聞いた事があります。パンゴルに掛けた従魔術は、強いショックを受けると勝手に解けてしまうんだとか」
強いショックか。確かに物理的に強いショックを与えたが。
「じゃあ、拳骨で従魔術が解けたって事なのかな?」
俺の問いに、ルルもシエラも首を傾げる。
「まあ、何にせよ解けたんだろ?それで良いじゃないか」
アーロンが前向きな意見を披露する。確かにそうだな。分からない事をいくら考えたって答えが出るわけじゃないし。もう一度確かめる訳にも行かないしな。
「ところで、その怪しい女が向かった先は?」
「北の方角でした」
コンクエリア共和国って事か。国が絡んでいるとは限らないが。
「なあ、アーロン。もし国が絡んでいるとしたら、コンクエリア共和国は竜を従魔術で従えて何をするつもりなんだ?」
「そんな事俺に聞かれてもさっぱり分からん。普通に考えたら、ガルムンド帝国を攻める準備にも見えるが、ここはパエルマ王国の中でも帝国から一番離れた南の果てだ。そんな動きがあるにしても、ここまで情報が届くには随分と時間がかかる」
何気なく聞いた俺だったが、アーロンの言葉は思った以上に深刻だった。
戦争か。嫌な響きだな。
俺は面倒な事に自分から首を突っ込むタイプでは断じてない。むしろ全力で避けたいタイプの人間である。
なので、ここは華麗にスルーする事にした。
「ま、何にせよ、この騒ぎはこれで終了だな。良かった良かった」
そう言って席を立つ俺。ルルもスッと立ち上がる。
「あっ、あのー!」
シエラがテーブルの向こうから身を乗り出し、俺の上着を掴む。
「ん?まだ何か用?」
「私を!黒竜様の所に連れて行って頂けませんか?」
「なんで?知り合いなんでしょ?」
「いえ、お会いした事はないんです!必死に飛んでいる間は考えてなかったんですけど、黒竜様って凄く怖い方だって言われてますし・・・」
竜の間でも怖がられてるのか。たいがいだな、アイツ。
「いや、そんな事なかったぞ?見た目はアレだけど、いきなり襲ってくるとか、まして同族をどうにかするって事はないんじゃない?」
「えっ?お会いした事あるんですか?」
「ああ。昨日のアイツが、多分その黒竜だと思うんだけど」
「「昨日!?」」
シエラとアーロンが同時に声を上げる。
「ユウトさん、俺は聞いてないぞ?」
「あれ?これって言わなきゃ駄目だった?」
「ユウトさん!黒竜様にお会いした事があるなら、ぜひお願いします!一緒に行って下さい!」
シエラがテーブルに何度もおでこをぶつけながら頭を下げている。
ルルの方をちらっと見やると、ちょっと嫌そうな顔をしてる。そうだよなぁ。昨日はあんなに怯えていたし。
「うーん。ルル、ルルは部屋で待っててくれる?ちょっと転移で行って来るから。シエラ、連れて行くのは良いけど、行ったからって会えるとは限らないぞ?それでも良いか?」
「ユウト様、ルルはユウト様のお供です。ルルも行きます」
「え!?行く?だって昨日は・・・」
「「大丈夫です!」」
ルルとシエラの二人が、それぞれ違う意味で大丈夫と答えた。じゃあ良いか。
「分かった。じゃあ、二人とも俺に掴まってくれる?アーロン、ちょっと行ってくるわ」
そう言い残し、俺たちは昨日の谷に転移した。
何気に記憶に頼った転移は三十年振りだ。うまく行って良かった。ルルとシエラの二人は、銀狼亭の食堂から一瞬で谷に移動したので、訳が分からずキョロキョロしている。
「ユウト様、これが転移なのですか?」
「ああ、そうだよ。大丈夫?気分悪いとかない?」
「ルルは大丈夫です!」
シエラはちょっと青い顔をしている。初めて転移で長距離を移動すると、転移酔いとでも言うのか、乗り物酔いのようになる人もいる。シエラの場合は単なる食い過ぎかもしれないけどな。
ようやく陽が昇って来たが、この谷は東西を崖に囲まれているので暗い。
「一応、昨日の場所に転移してみたんだけど。そう都合よく来る訳も・・・」
言い終える前に「バサーッバサーッ」という羽ばたきが聞こえる。昨日の黒竜が、もう頭上に来ていた。
ルルが少し身構える。さすがに剣は抜いていない。
「やあ。朝っぱらから済まない。この、シエラっていう竜族の子が、あんたに用事があるらしい。良かったら聞いてやってくれ」
人間の言葉が通じる確証はないが、シエラが人化出来るんだ。黒竜だって、言葉くらい分かる気がする。
と、黒い球が黒竜を包む。すぐに球が消え、人影が現れた。
見た目は俺より少し年上か。真っ黒い髪をオールバックにし、金色の瞳が冷たい光を放っている。
そして、シエラと同じように白いワイシャツに黒のズボンを履いている。裸足に草履も同じだ。竜が人化する時のデフォルトなんだろうか?
細身だが威圧感のある佇まい。竜の時より迫力がある気がするな。
「我に何用か?竜族の娘よ」
声が滅茶苦茶渋い!低音でもの静かだが、はっきりと聞こえる。
「ああ・・・黒竜様!私はアナトリ山脈の竜族が一人、シエラと申します。黒竜様のお力をお借りしたく参りました」
シエラが人化した黒竜の前に跪いて頭を下げる。
「ほう?」
シエラは、俺たちに話した事を端的に説明した。ここは俺が口を挟む所ではない。
「従魔術で捕えられている仲間を助ける為に、黒竜様のお力をお借りしたいのです」
「なるほど、それは難儀な事よな。だが、我は手を貸すつもりはない」
シエラがガバっと顔を上げる。
「そ、そんな・・・」
「その男に頼むが良い。その男が動くなら、我も手を貸さんでもない」
はい?何言ってるの、このおっさん。
「ちょっと待て。何でここで俺の話になる?」
「ふむ。自覚がないのか。まあ良い。お主はとっくに関わっておるではないか」
黒竜はそう言うと、再び黒い球に包まれて竜の姿に戻る。金色の瞳で俺たちを一瞥し、そのまま空へ舞い上がって行った。
何なの?どういう事?
ふとシエラを見ると、また涙目になっている。
「ユウトさ~ん!おねがいじま”ず~!ながま”を~!ながま”をだずげで~」
シエラが、目と鼻から盛大に水を出しながら俺に縋って来る。
「おい、鼻水を付けるなよ!ちょ、分かった、分かったから!とりあえず離れろ!」
俺の脚にしがみ付くシエラを、ルルが引っぺがそうとしている。腐っても竜。もの凄い力である。
「だずげでぐれ”るんでずが~?」
「いいから落ち着け!こんなんじゃ、助けようにも助けられないだろうが!」
俺の言葉にはっ!としたシエラがようやく脚を放す。俺のコートの裾で涙を拭き、ちーんと鼻をかんでいる。イラっとした俺はシエラの頭を掴んでぽいっと放り投げた。
コートが涙と鼻水でべちょべちょだぜ。俺は浄化魔法でコートを綺麗にした。
「投げるなんて酷い!竜なのに!」
「竜の威厳もクソもないだろうが!まったく・・・」
ルルが俺のコートの腕をちょこんと摘まんでいる。
「ユウト様、どうするのですか?」
「う~ん、どうしようかね・・・とりあえず、ドラゴを置きっ放しだし・・・ギルドにカードを取りに行かなきゃだし・・・一度銀狼亭に戻ろうか」
それにしてもあの黒竜・・・一体何を言ってたんだ?俺に頼めとか、俺が動けば手を貸しても良いとか、訳が分からん。
落ち着いて考えをまとめたい。銀狼亭に戻ろう。
黒竜さん、「伝説」と言われてる割に意外と簡単に会えます。
さあ、ユウトさんはシエラちゃんを助けるのか!?まさか助けないなんて事があるのか!?
次回「ドラゴの意外な一面」明日もまた19時に公開します!
いつも読んで下さる皆さま、本当に感謝いたします。