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句読点の過不足

 句読点の過不足


 現代では句読点を忌避する傾向があるのでしょうか、過剰よりも不足である文を見かけることが多いような気がします。

 句読点が少ない――つまりひとつのセンテンスが単純明快に短くまとめられた文章というのは軽妙で読みやすいものですが、長くて複雑なセンテンスは逆に句読点がないと『本来の意味の通りに』読んでもらうことが難しくなります。これが句読点の不足です。

 逆に句読点を必要以上に打ち過ぎると、どれが必要必須な句読点であるのかが不明になって、やはり作者の意図したとおりに文章が再生されない。これが句読点の過剰です。

 句読点の打ち方ルール自体はネットの情報でも十分に調べることができるでしょう。しかし、そのルール通りに句読点を打つと、句読点は過剰になる傾向があります。

 例文を置きます。


『僕はこの広い空に誓った。』


 なんのことはない短いセンテンスであり、また、多くの作者が句読点なしで書いてしまいがちなパターンの文章ですね。これ一文のみでならば、さほど苦労することはなく『僕は/この広い空に/誓った』と読むことができるはずです。

 しかし何十万文字もある小説の地の文の一節だとしたら、ここまでリズミカルにスイスイと文字を追っていた視線が「ん?」と躓く場所でもあります。

 つまり、脳が一瞬の間、騙される。


『僕、箱の広い空に誓った』


 いくらなんでもそんな読み違いはしないだろうと思うのは、作者の思いあがりというものです。

 人は文章を読むとき、前後の印象的な単語を強く思い描くものです。例えば、この文章の前に『箱』の話題が出ていたとしたら、この一文の上を目が通り過ぎるときに『僕 (はこ)の~』と文字を拾ってしまう可能性の方が大きいのです。

 ですから句読点の要不要には前後の文章も関係してくる。このあたりは感覚的なものですので、ぜひ言語感覚に優れた優秀な下読みさんを探してください。


 さて、ネット等で拾い集めた読点のルール全部を完全再現するならば、この一文はこうなります。


『僕は、この、広い空に、誓った』


 明らかに読点が多すぎると感じるでしょう。

 句読点の細かなルールは『主語の後ろには句読点を』『ひらがなが連続するときは句読点を』などのパターン集にすぎません。

 こうした句読点ルールはビジネス文書などでは役にたつものですが、『言葉の裏に気持ちを込める』小説を書こうという時には、少し使い勝手が悪いのではないでしょうか。

 ネットや参考書に乗っている句読点ルールは『模範例』であり、絶対的な正解ではありません。句読点とは基本さえ押さえてしまえば、表現技法のひとつとして柔軟かつ変則的に使って誰にも責められることはないものなのです。


 こういうことを書くと、「ほら、私の文章の句読点は間違いではないんだよ!」と勝ち誇る人がいるかもしれませんね。実際に句読点の間違いを指摘しただけで怒りだす作者の方というものは、残念ながらかなりの数いらっしゃいます。特に書籍化した作者さまは天狗になるのでしょうか、プロの編集や校閲の方の意見ですら押しのけて句読点ごときにこだわる人が少なくないのだとか……

 これを読む方は書籍化した時に、そのような恥かしい行為をなさらぬように、ここで言っておきます。句読点の『絶対的な間違い』というものは存在します。

 それは句読点とはセンテンス内の情報を整理するための『記号』であり、かつその目的は『読む者に文意を誤解させないようにすること』だからです。

 単なる記号なのだから間違っていると言われたら作業的になおせばいい、何らかの意図をそこに込めたのならば作者の意図が正しく伝わるように並び替えをすればいい。正しい文意の伝わらぬセンテンスなど駄文以外の何物でもない。

 それだけの話なのです。


 さて、そのためにも『正しい文意の伝わる句読点の打ち方』というものを、本当に簡単な部分だけ説明しておきましょう。

 俺、国語の先生じゃないんで、本当に入り口の、簡単な部分だけね。


『僕はこの広い空に誓った』


 実はこの例文、係り受けの関係で見ると『僕は誓った/この広い空に誓った』の二つの文に分けることができるのです。つまり『誓った』に対して二つの係りが存在しているわけですね。

 その二つのうち、主語を含むのは『僕は誓った』の方。

 実はこの文章を句読点なしで、文意を違えず読ませるつもりならば『この広い空に僕は誓った』になるんです。

 これ、小学生の時に国語でやった『係りの言葉は受ける言葉の近くに置く』の応用編です。

 そうではない、どうしても主語である『僕』を前面に押し出したいんだから並びは変えられないというのならば、こうです。


『僕は、この広い空に誓った』


 これは『主語の後には読点を入れる』ルールを適用しただけ。


 つまり「読みにくいから句読点を入れてくれ」と言われたら『、』一つ打つだけで事足りる。何しろ記号ですからね。

 どうしても読点なしにこだわりたいのならば、文章の並び替えをすればいい。

 そのどちらもせずに「この句読点は間違っていない!」だけを主張するのは、これただの怠惰というものです。


 さて、例文は説明のためにわざと用意した簡単なものです。この程度の傷は、実際に本文中にあれば指摘を受けることすらないかもしれません。

 実際に「句読点がなくて読みにくい」と言われるのは、例えば下記のようなこんがらがった文章ではないでしょうか。


『彼がコーヒーを飲みたいというから買いに行って角にあるコンビニはマシンの清掃中で一度家に戻りもう一軒先のコンビニまで歩いて行くことになった』


 これ、句読点をつけるとダントツに読みやすくなる文章。だが句読点を抜くとどこからどこまでが一つの動作であるのか混乱が起きる文章。

 しかも作者自身はどこで区切ればいいのかを把握しているため句読点をつけろと言われると「なぜこの程度の文章が読めない!」とトサカにくるところ。

 そうやって腹を立てないためにも、簡単な解説と『呼吸で句読点を打つ方法』を伝授しておこうと思います。


 まずは解説から。

 この文章、話者の『行動』が三つ、詰め込まれている。

『彼がコーヒーを飲みたいというから買いに行った』

『角にあるコンビニはマシンの清掃中で一度家に戻った』

『もう一軒先のコンビニまで歩いて行くことになった』


 いちばん簡単で分かりやすい修正方法は動作ごとに文章を終わらせて接続詞で適当につないでやるやりかた。


『彼がコーヒーを飲みたいというから買いに行った。だけど角にあるコンビニはマシンの清掃中で一度家に戻った。それでもう一軒先のコンビニまで歩いて行くことになった』


 句読点の話だからね、読点の話ばっかりでは不公平でしょ。これは『句点』で処理する方法。

 読点でこうした文章を処理するのは、どうしても文章が稚拙に見えてしまうため、お勧めはしていません。こうした文章は一度分解処理した後で並び替えや加筆をするのがいちばん見栄えがいいのですが、ここでは『呼吸で句読点を打つ方法』の説明が主目的であるため、そこはご容赦ください。

 まずは例文を音読してみましょう。

 自分がどこで呼吸を継ぐかに意識して。


『彼がコーヒーを飲みたいというから買いに行って角にあるコンビニはマシンの清掃中で一度家に戻りもう一軒先のコンビニまで歩いて行くことになった』


 訛りや世代差を考慮しても、およそ2パターンに分かれるのではないでしょうか。


『彼が/コーヒーを飲みたいというから/買いに行って/角にあるコンビニは/マシンの清掃中で/一度家に戻り/もう一軒先のコンビニまで/歩いて行くことになった』


『彼がコーヒーを飲みたいというから買いに行って/角にあるコンビニはマシンの清掃中で/一度家に戻り/もう一軒先のコンビニまで歩いて行くことになった』


 これ、どちらも間違いではなく、文章をどこで『一区切り』と判断しているのかの違い。

 人は文章を音読しているとき、自分が『ひとまとまりだ』と判断したところを一気に読み、次のひとまとまりにうつる前に呼吸を継ぐものなのです。この呼吸のタイミングに読点を打てば、自然と文章は『ひとまとまり』ごとに分けられるというわけ。

 つまり読点の打ち方の基礎中の基礎は『文章をひとまとまりごとに分ける』ということ。

 よって、息継ぎの多い方のパターンと息継ぎの少ない方のパターンでは、厳密には文章のつながり具合が変わってきますね。

 読点の多いパターンでは『彼が』が一つの文節として成立しているから『コーヒーを飲みたいと言った彼』が主体であるのに対し、読点が少ないパターンでは前置きがすべて修飾として扱われるゆえに『歩いて行った』という結論に重きが置かれた文章。

 これ以上の文法的な話は、読み手である俺よりも作者である皆さんの方が詳しいだろうから、細かな説明は省かせてもらいましょう。

 大事なのは、『彼』を書くつもりならば『彼が』を独立した文節として扱うために読点を、逆に『歩いて行った理由』を語るならば『彼が言ったから』というひとつなぎの文節として扱うために読点はその後ろに、といった具合に作者が読ませたい文意に沿って読点で誘導をかけることができるということ。それによって読者は『呼吸』という無意識の行為によって、どこからどこまでをひとつなぎとして読めばいいのかを判断するのです。


 問題は、これを『理解しきっているつもり』になっていると、他人から指摘されたときに腹を立てる羽目になるということでしょう。今だって、この説明を読んで『そんなことはわかっている』と思ったのではないですか?

 わかっているのに『できていない』から読者に小さな違和感を与える、それが句読点なのです。

 つまり句読点の指摘とは『小さな違和感』を感じた場所に対してされるものであり、その違和感の正体とは何かというと『ここで区切ると文章がどこからどこへつながっているのかわかりにくい』とか『ここに句読点を打つと話の流れとは違う意味が生まれてしまう』という、間違いなく句読点の不正解部分であることが多いのです。


 また、「お前の文章は読みにくい」と言われがちな人も、『俺の意図を読み取れないお前の読解力』を罵り倒すよりも先に句読点を見直してみましょう。

 句読点が多すぎたり、または少なすぎて『どこからどこまでをひとまとまりとして判断すればいいのか』がわかりにくい文章になっていませんか?

 同じ文章でも句読点の打ち場所を変えて『ここからここまでがひとまとまりだよ』と指定してあげるだけで、文章は見違えるほど誤解の少ない、読みやすいものとなるのです。


 そのために役にたつのが音読。

 実際に口に出して読みあげて、自分がどこで呼吸を継いでいるのかを確認して、『どこからどこまでをひとまとまりの文節として読ませようとしているのか』をしっかりと把握するところから始めてみましょう。


 たかが句読点、されど句読点――この小さな記号をいかに制御するかによって、あなたの文章はきっと、見違えるほど読みやすいものとなることでしょう。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  当たり前だけど見落としがちかもですね。
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