理解不能
父と母と三人で食べた夕食の席で父に試験合格の報告をした後、
何をするでも無く部屋のパソコンで動画を見ている。
時計を見るともう9時で、姉の帰りが遅い事を気にしていた。
10時を少し過ぎた頃、コンコンとノックする音が聞こえた。
ドアを開けて入ってきたのは姉だった。
「合格したんだって?落ちるとは思って無かったけど、取り敢えずおめでとう!」
「帰ってきてたの?学校を紹介してくれたお礼を言おうと思って待ってたのに」
「いま帰ってきたのよ。満点合格だったんだって?凄いじゃない!」
「なんで知ってるの?」
「璃子から、優秀な生徒を紹介してくれてありがとう、って連絡がきたのよ」
「そうだったんだ。慧姉、紹介してくれてありがとう」
「どう致しまして。ちゃんと通わなきゃダメよ」
と言って、姉は笑っていた。
「ねえ、淳。ママがなぜもう一度高校生をやり直せって言ったかわかる?」
「オレがこれからの事で迷ってるから、高校生をやって考えろ!って事でしょ?」
淳が答えを聞きながら、慧は淳の机に身体を向けてベッドの上に腰かけた。
「それもそうだけど・・・。
ママはね、前から心配していたんだよ。淳の勉強がドンドン進んでいって、内容も高度になっていって、ご飯とお風呂以外はずっと勉強してるか本を読んでるか、だったでしょ?
あの子は学校でちゃんとやれているのかしら?って。
友達はいるのか?周りの生徒と仲良くやれているか?好きな女の子はいるのか?って。」
慧の話は少し説教めいてきた。長くなるかも知れないと淳は覚悟した。
「ママはね、人より賢い事はとても良い事だけど本当に大事なのはソコじゃない、って言ってた。
心許せる友達を作り、共に笑い、泣き、怒り、励まし合ったり、喧嘩したりして人という生き物を理解する事が一番大事な事だって・・・。
なのに淳は友達を作る暇もない、それはあの子にとって不幸な事だ。
なぜなら、人間という生き物は群れていなければとても弱い生き物で殆ど何も出来ずに生きた成果を残せないから。
あの子はとても優秀で、将来きっと皆の役に立つ人間になると思うけれど、周囲に理解されないのは不幸だわ、って。」
淳は黙って聞いていて、慧は淳の反応を見ながら諭す様に話をしている。
「だから、ママは淳に人の群れの中に入って人間という不思議な生き物を知って欲しいと思ってるんだと思う。」
実際、淳は慧の言う通り友達なんていない。
周囲に年齢の近い人間がいないせいかも知れない。
他人からすれば、自分より年下の子供が自分よりもずっと良い成績なのだから素直に認めたくない気持ちもあるだろうし、年齢が違う為に何を話して良いのかも戸惑うのだろう。
淳に話掛ける人間は自分に余裕のある優しい年上に限られた。
例外的に、興味本位でかなり上から話てくるオジサンやオバサンもいたが・・・。
恋愛感情も持った事が無い。母や姉は大好きだし兄の婚約者である義姉も好きだが恋愛とは違う。
慧は話を続けた
「ママはこんな感じだと思うけど、私はちょっと違うのよね・・・。
淳は確かに勉強や知識量は凄いし私なんて全然適わないと思う。
でも、それ以外は全然ダメダメで世間知らずもいいところよ。
一般常識を知らな過ぎるし、このままじゃマトモな人間にならない。
だから今の内に色々と世の中の仕組みとか、本当の意味で人を大事にするって事を覚えて欲しいの」
「うーん・・・ちょっと難しい」
淳の漏らした言葉に慧が笑った。
「当たり前よ。難しくて大人でも出来ない人間は多いんだから。
だからちゃんと學校へ行くの!分かった?」
淳は苦笑いをして頷いた。
「もうすぐ亮も帰ってくるわ。ちゃんと一言言っとくのよ」
「え?なんで?」
「それを知る為に学校というコミュニティに通うんでしょ?」
そう言って、慧はドアを閉めて下のリビングに行ってしまった。
淳は慧の言う事を殆ど理解出来ていなかった。
それでも黙って聞いていたのは、今まで姉の言う事に間違いは無かったからだ。
いま理解出来なくても、後々理解出来ると思ったからだ。
取り敢えず、兄に一言何か言え、と言われたが・・・何を言えば良いのか分からない。
母に相談したかったが、それこそ姉と同じ様に学校へ行け!と言われる様な気もする。
淳はすっかり悩んでしまった。
時計は11時を回ってすぐ、玄関の方から綾子の声が聞こえた。
直感的に兄が帰宅したと感じ、淳は部屋を出て階段を降りリビングへ向かった。
静かだった家の中が途端にバタバタと騒がしくなっている。
亮が帰宅したのは間違いなかった。
「おかえり!遅かったね」
「おおっ淳!合格したんだってな!慧から聞いたぞ!おめでとう」
「ありがとう、これから亮兄にも学校に通う事で何かあるかも知れないからその時は宜しくお願いします。」
「へー、なんか大人になったな。ちゃんと挨拶できてる」
淳が頭を下げている姿をみて、亮はビックリしながら笑っている。
声は少し大きめで、きっと少し酒を飲んで来たのだろうと思った。
後ろから綾子の声が聞こえて
「亮君、飲んできたの?」
「ああ、少し飲んだ。ブルージェイズの社長とGMと三人で」
ブルージェイズは3年前に亮が買ったプロ野球球団だ。
メインバンクの四葉銀行の専務から打診があり、成績不振だった為にかなり安い金額で大量の株式を譲り受けたのだ。
「今年も残念だったね」
綾子は亮の着ているスーツの上着を脱がせながら疲れを労う様に声を掛けた。
「残念というか、買ってからずっとリーグ最下位だからな・・・。買わなきゃ良かった」
「そんな事言わないで!私は亮君のマジックタッチで常勝人気球団に変わると思ってるのよ」
「そうだな・・・実は少し本腰を入れてトライしてみたいんだけど時間が無くてさ。
自分が関わって業績を上げれないから買って後悔してるってのが本音かな・・・」
「じゃその分野で優秀な人材を発掘してこなきゃね。亮君の意図を汲んで業績を上げられる様な」
「アヤがチアガールになって応援すれば選手も頑張るし来場者も増えると思うけどな」
「やめてよ!女子大生でもあるまいし、もう無理よ」
この二人は出会ってから2年経つが本当に仲が良い。
亮は綾子との交際が始まってから銀座に行かなくなり、仕事に真剣になった。
綾子の人柄だろうか、誰とでも仲良くなり、気遣いが細かく優しい、笑顔が明るく素敵だ。
女子アナ時代は嫁にしたい女子アナ人気投票で入社以来ずっとNo1だったというのも納得する。
ミアともケイとも仲が良く、人間関係の達人だと亮は言う。
この家で一緒に住もうと提案したのは、あの気難しい父親だった事が最大の根拠だ。
ミアも慧も大賛成で、勿論淳も嬉しかった。
なので二人のこんな光景を見るのを淳は大好きだった。
尊敬する兄と綺麗で素敵な義姉だ、誰だって微笑みながら見ると思う。
「淳、学校に通うにあたって言っておくが」
亮が淳に身体を向けた。淳も顔を上げて亮の顔を見て話を聴く態勢を取った。
「学校っていうのは人と人との関係を構築するコミュニティだ。
将来、オマエは人の上に立ち行動を指示し状況を判断し全体の意思を決定する立場になるだろう。
その時に役に立つのが学校で培う対人スキルでありコミュ力ともいうべき感覚だ。
楽しい事もあれば理不尽な事もあるだろう。
だが、それはあって当然なんだと理解して欲しい。
この経験は今後の人生において必ず役に立つ。いわば必修科目だ。
嫌な事があってもメゲずに頑張れよ。」
そう言うと背もたれに身を預けグッタリとした。
疲れが一気に出たようだ。
その姿を見て、淳は兄の何かで役に立ちたいと思った。
話が深く心に刺さったのかも知れない、兄の自分に対する気持ちが伝わってきたのかも知れない。
とにかく感謝に似た気持ちの表れだった。
「亮君、ここで寝ちゃダメでしょ?ちゃんとベッドで寝ようよー」
亮は寝てしまったようで、綾子が起こしているが起きそうも無い。
諦めた綾子が毛布を持って来て亮に掛けた。
「淳君も寝よう!そのうち起きて一人でベッドまで来るから大丈夫だよ」
綾子が笑いながら淳に言った。
「ブルージェイズの事で亮兄悩んでるの?」
「うん、最近ね・・・。なんだか経団連で他の球団オーナーに何か嫌な事言われたらしくて。
絶対に見返してやる!って言って色々考えてるみたい」
プロ野球か・・・
淳の知らない世界だ。