家族
国見の家を見た人間は必ず「豪邸」という言葉を使って表現する。
元々は昭和の総理大臣が所有していた物件だったが、その政治家が汚職で没落し売りに出される情報を掴んだ亮が実勢価格の何倍の金を出して買い取ったのだ。
その家の外観は変えず、セキュリティやネット環境を現代風に改築して家族を招き入れた。
敷地は広大で車が何台も停められる駐車場があったり、鯉が泳ぐ池があったり、広い邸宅を持て余して慣れるまで時間を必要とした程だ。
改築費用は父親が出した。
総てを息子に負担させたくない親のプライドだ。
厨房の隣にある大きな食卓テーブルに亮が頼んだケータリングサービスのスタッフが給仕をしていた。ケータリングといっても銀座の有名老舗料理店から出張して貰っている人達で、ある程度は顔見知りだ。通常はこんなサービスをする店では無いが、亮や綾子、慧がよく利用する店であり破格の出張料で引き受けてくれた。
セッティングが終わったところで家族全員が席に触り、一緒に「いただきます」と言って食事が始まった。
父の表情は読みにくいが、全員が笑顔でホームドラマの1シーンの様だった。
「卒業おめでとう!」と皆がジュンに向かって言葉を掛け、ジュンも笑顔で応えていた。
「皆に報告をしろよ。」
リョウがビールに口を付けてジュンに促した。
ジュンは料理を食べようとしていたが箸を置き、咳払いをしてから話始めた。
「ハーバートを無事に卒業出来ました。経済的にもそれ以外でも支えてくれたパパ、ママ、姉ちゃん、兄ちゃん、それに綾子さんのお陰です。本当にありがとう。感謝してます」
ジュンが立ち上がって頭を下げるとリョウが拍手を始め皆も拍手をした。
「これから将来何をするか考えるから豊富みたいな事は言えないけど、恩返しみたいな事が出来たら良いなと考えてますので、宜しくお願いします」
ミアとリョウが照れた様にニヤリと笑い、アキラは無言で頷いた。
ケイも笑顔で視線を送りアヤコは「素晴らしい!」と言って拍手した。
「実際には何か考えてるのか?」
アキラが父親らしく低い声でジュンに尋ねた。
「やりたい事がイマイチ分からないんだ。言っちゃ悪いけどパパみたいに世界の発展に寄与したいと思わないし、リョウ兄みたいに大金持ちになりたいとも思わない。ケイ姉みたいに日本の未来に貢献したいとも思わない。自分に何が出来て何をしたいのか考えたくて戻って来たんだ」
ジュンが答えるとアキラとリョウの表情が少し曇った。
「やりたい事が分からないってのは深刻ね」
ケイが食卓の上の料理をツツキながら呟いた。
「まぁ時間はある。じっくり考えればいいよ。いざとなれば強制的にオレの会社に入れるし」
リョウが笑いながら言うとケイも
「いや、私の政策秘書にしてもイケると思う。で何年か勉強したら政治家になればいい」
アヤコは笑いながら
「ジュン君ならルックスも良いから芸能界でも成功するよ」
確かに以前渋谷でスカウトされた事は何度もあった。
けれどテレビ出演に興味は無いし、なりたいと思った事は無かった。
だいたいジュンはあまりテレビ番組を見ない。
そればかりか、家族でテレビ番組を見るのはミアとアヤコだけなのだ。
「リョウ兄、ケイ姉、ありがとう。でも申し訳無いけどもう少しパパのスネをかじらせてよ。一か月以内にはハッキリさせるから」
ジュンはアキラに向かって頭を下げ、アキラは目を閉じて頷いた。
「何をするかではなく、何をして結果を出したいか・・・だからな」
そう言ってアキラはビールを飲んだ。
「何でも出来ちゃうと、確かに色々と迷うかもね」
「何でも出来るなら、何でもやればいいのさ」
アヤコとリョウが話している。
「知識欲を満たす為に勉強して結果を出した。今度はどんな欲に動かされるかね・・・贅沢な奴。」
ケイがため息をつきながら漏らした。
するとミアが
「ジュン、あなた高校生から人生やり直しなさい。」
全員が顔を上げてミアを見た。
「普通の人間の倍以上のスピードで人生を進んだから、多分大事な事を見逃してしまったと思うの。
だから自分が何をしたいかなんて簡単な事が分からないのよ。
もう一度学校に通って同年代の人達と自分と比較してみなさい。
だいたい、私の知る限りジュンは友達と呼べると人間だっていないんだから」
いきなり飛躍した発想だったし、話のベクトルが変わった。
母親が普段から感じていた子供に対しての不安を吐露したといった印象も強いが、根本的な問題点でもある様に全員が感じてしまった。
家の中では母親が一番強い事を確認できる強い口調だったからだ。
「え?・・・学校?・・・高校生?・・・・」
ジュンが目を大きく開き、ミアを見て口をアングリしていた。
天才と言われていても自分の予想の範疇を飛び越えているからだ。
「だいたい、中学校も高校も1年づつしか行ってないでしょ?
ちゃんと高校生らしい生活なんてしてないんだからやり直した方が良いのよ!」
ミアの言葉を聞いてケイが笑っている。
「面白い意見だけどワタシはどうかと思うわ。人よりリードした人生を進めているのに何故戻らなきゃいけないの?時間の無駄じゃない?もっと人より先へ進める可能性を生かすべきだと思うけど」
リョウは
「いや、良いかもしれない。
社会に出て管理職に就けば部下に指示を出す事が仕事になるが、他人の感情を理解していなければ作業の効率も成果も大きな差が出る。
友達がいないって事はジュンにとって他人の感情や価値観は未知の世界って事だ。
人間社会で生きていく上で一番重要な部分が抜けているなら重大な問題だぞ」
「ちょっと待って!」
ジュンが慌てた。
「いや決まりだわ。お義母さんが言うなら絶対よ。頑張ってねジュン君」
アヤコがニコニコしながら言う。
「それなら学校は私が選ぶわ。帰国したばかりのジュンじゃ選択出来ないでしょ?自分のやりたい事さえ判断出来ないんだから」
そう言ってケイがトドメを刺した。
正に電光石火の速さで話が決まってしまった。
ハーバートまで出た自分が何故もう一度高校生からやり直さなくてはならないのか?
そう思ったが、「ま、いっか」と思った。
元々興味の無い事に対しては、どうでも良いという性格だ。
今回の事は、時間もあるし何をするかも決まっていない。
取り敢えず的な気持ちが大きい。
ジュンの中で納得したと感じたミアは満足そうに頷き、持っていたワインを一口飲んだ。
「このワイン美味しい!なんてワイン?」
「アメリカのカリフォルニア、ナパバレーのオーパスワンだよ。ジュンが産まれた年の生産で探すの苦労したんだゼ!」
リョウが答えた。
もう高校生になる事がアッサリ決まって、話が違う話題に移ってしまった。
「オレの人生なのに判断速すぎ」
ジュンは思ったが言葉に出さなかった。
ジュンにとって家族は自慢だった。
世界一の科学者である父、NYでナンバーワンモデルだった母、女性ながら剛腕政治家である姉、天才実業家と呼ばれる兄、人気美人キャスターだった義姉、皆頭の回転が速く優しい。
なので皆が自分の事を考えてアドバイスをしてくれた事は素直に受けようと思っている。
それにしても、姉が選ぶ学校は何処になるのだろう・・・
そう思いながら久々に食べる生魚を美味しいと食べていた。
ケイが携帯で誰かと話出した。
何回か言葉を交わし「それでは宜しくお願い致します」と言って電話を切りジュンに「決まったわよ」と顔を向けた。
「え?」
「明後日、四葉大学付属高校の転入試験を受けなさい。帝国大付属も一瞬考えたけど、ジュンは一度あそこを卒業してるからね」
「え?・・・え?」
ビックリした。
もう学校が決まってしまった。
「四葉大学っていうと、あの四葉グループか?」
リョウがケイに尋ねた。
「そう、その四葉。大戦後に当時の四葉総裁が国の未来を見据えて創立した教育法人よ。
総理大臣を始めとした政治家、政府の中央官僚、東証一部上場の会社社長なんかを沢山輩出してる超エリート学校よ。ダメ?」
ケイがジュンとリョウに向かって聞き、ミアの顔色を伺った。
ミアは笑顔で応え、リョウも驚きと共に安心した顔になった。
アヤコは驚いていた。
「よく簡単に四葉の編入試験なんて受けられますね」
「四葉の現会長が私を支持してくれていて、仲良くして貰ってるのよ。
仲良くすると四葉の広報機関から徹底的な身辺調査をされるから、私の家族の事も良く知ってると思うし、問題無いと思ってるんじゃない?」
そう話しているとケイの携帯が鳴った。
携帯に応答しながら、ケイは席を立ち部屋の外で会話を始め2分くらいで戻って来た。
「四葉大学の理事長からだった。皆さまに宜しくってさ」
ケイは再び箸を持って料理を食べ始めた。
「四葉の理事長って、リコちゃんか?」
「そうリコ!帝国大で一緒だったあの綺麗だった子、リョウも綺麗って言ってたじゃない」
リョウの問いにケイは当然といった表情で答えた。
「凄いな、確か俺たちと同い年だよな?なのに四葉グループで〝長"のポジションにいるとは」
「あの子、凄い優秀で会長に贔屓されてる孫娘なのよ」
「一度、ここに遊びに来た事あったわね?」
「うん、ママのファンで握手とかしてたよね」
ミアとケイが懐かしそうに笑っていた。
するとアキラが
「ママは未だにファンとかいるんだ、凄いね」
「世界で一番ママのミリョクを実感してないのはパパだよ」
ケイの言葉に全員が笑った。
「そんな事ないぞ!今だってメロメロなんだから」
「まぁ・・・」
父と母が少し照れながら反応した。
ケイがジュンに向かって
「リコはジュンがハーバートを卒業した事を知っていて、何故復学するのか不思議だったから連絡してきたの。人生のやり直しって答えたら、事情は理解できないけど歓迎するって。良かったね」
ジュンは、「なんだろう?このスピード・・・」と思いながら刺身を食べた。
でも刺身は美味しい。
「このお刺身って、何ですか?」
「北海道産のソイという魚です。お気に召しましたか?」
ジュンは給仕スタッフに聞いた魚の名前を覚えようとした。
「スタッフでも即座に答える事が出来るなんて流石ね。ワタシもお店に行ってみたい」
ミアが言うとアキラが
「おいおい、安月給なんだからあまり虐めないでくれよ」
「あら、年間80万ドルを稼いでも日本では安月給というのかしら?」
ミアの言葉にリョウが驚いた。
「オヤジってそんなに貰ってるの?オレとそんなに変わらないよ。日本じゃ一番なんじゃない?」
日本円に換算すると約8300万円。
研究所所属の研究員にしては異例の高給だ。
「まぁ色々あるからな」
アキラは苦笑いをしながら
「藪蛇だった。素直にお店に連れて行くよ」
全員で笑った。
「ジュンの入学祝いになるかな?」
アキラがジュンを見て微笑みながら言った。