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ヴァーチャル歌評 『人は右、車は左』  作者: 住之江京
◆評者5

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91/111

人は右/車は左/仏の座/雪解け水に踏まれて沈め


 人は右/車は左/仏の座/雪解け水に踏まれて沈め



 かつてある著名なキリスト教徒が「仏教は宗教ではない」と評した。彼はキリスト教徒でありながら、仏教についても造詣が深かったため、その言葉はキリスト教徒の間でも、仏教徒の間でも、無宗教徒の間でも、相応に重視された。

 ただご存知の通り、キリスト教は自分達の聖典を「本」と呼ぶような宗教であるからして、キリスト教徒のいう「宗教」とはイコール「キリスト教」、せいぜい「一神教」程度の意味に過ぎず、この一事を以て「仏教は宗教(という一般的な日本語が表す対象)ではない」ことの根拠とするのは、あまり適切でない。


 現代においても、あらゆる思想の最も強固な土台となるのは宗教だ。生物としての根源的な価値観を突き詰めて組み上げたつもりの法でさえ、大きく異なる宗教の影響下では正しく機能しない。無宗教を標榜する者ほど、意識すらできないほどに宗教に囚われている。

 歴史上の人類は、異なる宗教観と共存するために習合や教化を進め、どうしても主張が相容れなければ蹂躙して弾圧し、それが難しければ、線を引いて距離を取った。

 その三つの手段の中で、最も誠実だと言えるのは、(あまりに間の抜けた話だが)蹂躙と弾圧なのだろう。これは相手を確と見ると同時に、自分を見失わないための手段でもある。

 失望と希望を塗り重ねる覚悟の短歌。

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