第8話 ひとり暮らし
ひとり暮らし。
その言葉に憧れを覚える高校生は多いだろう。
自分のやりたいように、自由に生活できる。
家族のしがらみがない解放感。
毎日食いたいもんが食えるし、好きなときに風呂入れるし、勉強しろって言われないし。
好きな異性は連れ放題。あんなことやそんなこともやりたい放題。
ああ、ひとり暮らしって――
「ほんとにきつい……」
誰だよ、ひとり暮らしは良いぞ~って言ったO先生のやつ……。
少しでも気が抜ければメシはカップ麺になるし、なんなら一番豪華なおかずがもやしと豚肉の炒め物になるし、浴槽にお湯貯めるのがもったいなくてシャワーだけになるし、勉強しろって言われないから本当に勉強しなくなるんだよなあ……。あと金がない。
家事全般をひとりでこなすことになるから、自分がやりたいことをやる前にやらなきゃいけないことが多すぎる。
これが、仕事が忙しくて趣味に時間を使えないサラリーマンの気持ちなんだろうなあ……。
そのまま漫画もラノベも読まなくなって、ゲームもしなくなって、昔の娯楽は良かっただのなんだのほざく懐古厨になるんだ。
挙句の果てに、仕事が趣味ですとか言っちゃうんだ……。
嫌な人生である。
社会に洗脳されないように気を付けなければ。
というわけで、僕は今部屋の掃除中だ。
ひとり暮らしを始めて一年ちょい。
最初こそ苦戦していたけれど、今ではほとんどの家事を無難にこなせるようになってきた。
両親のありがたみを感じる毎日だ。
その両親――家族がいない生活の寂しさ? 静けさ? みたいなものにも慣れてきている気がする。
あとは、すぐに部屋が散らかるのをなんとかしなければ。
油断すると床がなんでも置き場になってしまう。
まあこの一週間濃かったからな……。
仕方ないと言えば仕方ない。
充実してたとは絶対に言わないけれど。
「あっ……」
新学期だし隅々まで掃除してみるかとあちこち整理していると、家具と家具の隙間にコンパクトミラーを見つけた。
中学のときに常備していた癖でこっちに来るときにも持ってきてしまっていた物だ。
大沼先生に言われたこともあり、恐る恐る鏡をのぞいてみる。
「えぇ……」
先生の言った通り、僕の目つきは以前の僕よりも悪くなっていた。死んだ魚の目、までとは言わないけど、生気がないように見える。
というか、顔全体的に気力や活力が感じられない。
髪とか結構ぼさぼさだし。
顔周辺のケアも、意識しないと散らかるということだ。僕の部屋みたいに。
人は簡単に変われると、中学の経験から学んではいたけれど、たった一年でここまで変わってしまうんだな。
高校に入って身長もぴたりと伸びなくなったし(172㎝)、客観的に見たら僕ってただの地味なぼっちじゃないか。
「…………」
なんだ最高じゃん。
なんかテンション上がってきたぞ。
今すぐスーパーに安いお肉を買いに行こう。
今日の晩ご飯はもやしと豚肉の炒め物だ。
鏡と掃除用具を放り捨てて、僕は外に出た。
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【倉持さんのおりうり一回くらい食べてみたいです】
【間違えマシた!】
【倉持さんのお料理一回くらい食べてみたいです】
連続で来た三つの文章に僕は苦笑する。
夕飯を美味しくいただいたあと。
ベッドで横になりテレビを観ながら、僕は柚希ちゃんとLINEでやり取りしていた。
――柚希と関わってみてください。
そう南に言われたあと、僕からLINEを送り、ぼちぼちやり取りが続いている。
僕は返信が遅いほうだし、チャットの内容も他愛もないことばかりだが、柚希ちゃんは丁寧に返信をくれていた。
間違いをいちいち直すあたり大変微笑ましい。
スマホ越しではあるけれど、そういう一面が知れたのは良いのではないだろうか。柚希ちゃんにとっても南にとっても。
まあ、関わるとは言ったものの、僕は積極的にアクションをするつもりはないけれど。
あくまでぼっちのスタンスだ。
柚希ちゃんとLINEしてるのは、うん、例外ってことで。
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寝る前に漫画を読んでいると、スマホがぶるぶると震えだした。
LINEの通知は切っている。てことは電話の着信だ。
こんな時間に遠慮なく電話をかけてくるやつはあいつしかいないな。
いやいやスマホを手に取る。
『あ、もしもしお兄ちゃん? ちゃんとご飯食べてる? お風呂入ってる? 勉強してる? カノジョできた?』
「うるせえうるせえ、お前は僕の母さんか。ご飯はたまにカップ麺になるし、お風呂はシャワーだけだし、勉強はしてないし、カノジョはできていない」
『よかった~、ちゃんと生活してるんだね~』
「……僕が言うのもなんだけれど、お前は僕の話を聞いていたか? そんないい加減な心配をする母親は僕の家族にはいない」
『よかった~、ちゃんと息してるんだね~』
「もういいや、で、何の用だよ」
『私、メリーさん。今あなたのお家から非常に遠いです』
「あ、そう。おやすみ」
『待て待て待て――い!』
めんどくさくて騒がしい彼女、僕の妹である優加理は、やれやれと呆れたような声を出す。
それはこっちの気持ちだ。
『もう、せっかくの妹との通話なのに、どうしてそんなに冷たいの? 愛はないの?』
「もう少し可愛げがあればいくらでも愛でてやるんだけどな。で、何の用?」
『そう、そうよね、恋はいつだって単純じゃないわ。私があなたを好きになっただけじゃ成就することなんてありえないもの。どうして人は、片想いじゃ満足できないのかしら……およよ』
「昨日の夜九時にやってたドラマのラストシーンだな。で、何の用?」
『愛は貰うものじゃなくて与えるもの。私はいつまでもあなたを愛しています』
「はやく用件を言え」
『来月はこっち帰ってくるのー?』
低くなった僕の声に、優加理はようやく用件を言った。
って、来月?
「なんかあったっけ?」
『なんかって……、みんな大好きゴールデンウイークだよ、じーだぶりゅーじーだぶりゅー』
「ああ、そっか。――いや、帰らないかな」
『えーなんでー、全然帰ってこないじゃん。え、なになに実はカノジョいたり?」
「そんなんじゃない、高校生は忙しいんだ」
『いっつもそればっかり……』
「用件はそれだけか?」
『まあ、そうだけど』
「おっけ、じゃあおやすみ」
『ちょっ――』
そう言って今度こそ僕は通話を切る。
最後に実家に帰ったのは去年の夏だっただろうか。
実家は隣県にあり、そんな高頻度で帰ることはできないが。
家族は心配しているかもしれないけれど、僕にも考えがあるわけで。
あれだ、帰るお金がないだけだ。
心の中で言い訳をして、僕は寝たのだった。