第7話 見てください
南に手招かれ、しぶしぶ教室の外に出る。
クラスメイトの視線が痛い。
なんならすれ違いざまの朝宮の言葉のほうが突き刺さった。
なんだよ「スマホ充電しとこっか?」って。
分かってて言ってるもんなあ。
学級委員の責務とやらを果たそうとしているだけかもしれないけれど。
こうなったら意地でもLINE交換しないもんねっ。
鼻唄を歌いながら歩く南に、重い足取りでついていく。
金髪がさらさらと煌めき、廊下にいる人々の注目を浴びている。
校則は緩いから金髪が珍しいわけではないけれど。
普通に可愛いんだよな、こいつ。
それを自覚してんのか知らないけど、雰囲気があざとい。
後ろで手を組んで、短いスカートをひらひらさせながら歩く南に、僕はただただドン引きした。
そのうち小鳥が飛び交うまである。
きっと恋愛映画の主演女優をはれるに違いない。
そうなったら僕はアンチをするだろう。ぶつぶつ文句を言いながら何回も映画館に足を運ぶおじさんになるんだ。
「ここでいいですかね~」
そう言って連れてこられたのは、空き教室だった。
誰かに見られるよりはよっぽどいいけれど、こんなところに連れ込んで一体どんな話をされるのか。
貞操の危機か⁉
「改めてどうもです、せんぱい☆」
「ああうん」
どうぞどうぞと促され、僕は椅子に座る。
「初めてせんぱいの教室に行きましたけど、二年生の教室ってだけで全然違う場所に思えますね」
「はあ」
「雰囲気? オーラ? が違うんですかね? 三年生のところもまた違うんでしょうか」
「まあ……」
「せんぱいのオーラも教室で浮いてましたしね」
余計なお世話だ。
「せんぱいのせいで、ここに来る途中めちゃ目立っちゃったじゃないですか」
「それは君だよ……」
思わず呟いてしまった。
南には聞こえなかったようだけど。
「あと意外だったんですけど、この高校って髪染めてる人それなりにいますよね~。校則で禁止されてなかったので、ウチも春休み中に染めてみました~」
「そっか……」
ものすごくどうでもいいぞ。
雑談しに来たわけではないだろうけど、仕方なく付き合うしかないのか。
「進学校って聞いてたんですけど、堅苦しくなくていいですね~」
「まあたしかに」
自称進学校だけどな。
県内で五番目くらいの偏差値に緩い校則も兼ね備えているため、陽木高校は受験生に人気らしい。大沼先生に聞いた。
「せんぱいも髪染めてみたらいいんじゃないですか? 高校デビューってやつですよ」
「アハハ」
笑わせてくれるじゃないか。
そんな目立ちたがり屋がするようなことはしない。
「今度ウチが染めてあげますよ?」
「いやいいです」
しばらく雑談が続き。
「まあ、前置きはこれくらいでいいですかね」
「…………………………」
すでに十分ほど経過していることを突っ込みたい僕だった。
こんなに誰かと(一方的な)会話したの久しぶりだ……。
やっぱり人との雑談は楽しいですね、と南はひとりで満足してやがる。
「さてせんぱい、なんで呼んだかわかります?」
机の上に腰を下ろし微笑む南。
スカートを摘まんでひらひらするのはやめてください。
「なんでだろうね……」
僕はすっとぼけるが、まああのことしかないよな……。
「あ、もしかしていやらしいこと考えちゃってますー? いやらしいですねえせんぱいは」
まだ何も言ってないし、男がみんな性欲の権化だと思うなよ。
僕は決して、南のスカートのなかの色が気になって凝視したりとかしてないからな。
お前のパンツが白色だと分かっちゃっても絶対に言わないからな。
僕は紳士だ。
「実は女子って男子の視線に敏感なんですよ」
「へえ!」
思いがけず返事の声が大きくなってしまった。
特に理由はないけど。ぎくりともしてないけれど!
「まああれですよ」
からかうように笑ったまま、南は言う。
「せんぱい、柚希とLINEしてないですよね?」
……ほらやっぱり。
「ああ、うん。忙しくて……」
「え? でもちょっと送るだけですよ? その時間くらいありますよね? なんだか友達いなそうだし」
いや最後のは余計だろ。しかもそれは僕にとっては褒め言葉だ。
はあ。
僕は内心ため息をつく。
まさかあの人助けの影響がここまで続くなんてな……。
これが俗にいう因果応報ってやつか。
それにしては報いが釣り合わない気もするけれど。
南妹も、こんな僕のどこがいいんだか。
あれだけで惚れられるんだったら、世の独り身はみんな喜んで困っている人に手を差し伸べるだろう。
それでも難しいから独り身なんだ。
遅くまで残業して、帰宅しても労ってくれる人はいないし、コンビニの弁当を食べて寝るだけなんだ。
独身の社畜が何時間も働いて得られるものは、大して残らないお金とコンビニのおばちゃんの「ありがとうございました」だけだ。悲しすぎる。
だから。
こんな僕のあんな善行で頂くのは、あっても感謝の言葉だけでいい。
僕は決める。
気は引けるけれど、ここでしっかり断っておくしかない。
南妹もまだ中学生、これからたくさんの出会いがあるはずだ。
「お願いしますよお」
両手を合わせて首を傾げる南に僕は言う。
「ごめん、僕はそういうの興味ないから……」
伏し目がちに、とても申し訳なさそうな顔をして僕は告げた。
ふと、中学時代が思い起こされる。
体育館の裏。ある時は屋上。ある時は公園で。
告白されるたびに僕は今みたいに断ってきた。
あの日々からしばらく経ったけれど、案外うまく表情を作れたと思う。
僕こそ俳優に向いているのかもな。
自嘲と後悔の念に駆られながら、僕は顔をあげた。
『そうだよね、ごめんね~』と、フラれて当然かのように笑って立ち去っていく、過去の光景を思い浮かべながら。
しかし。
「そんなの――」
彼女の一転した雰囲気に僕は戸惑う。
南は下唇を噛み、震えていた。
「そんなのは、ずるいです。そんなのは不公平です。関わらずに避けるのは卑怯です」
声を震わせながら南は続ける。
廊下から聞こえていた喧噪が、耳には入ってこない。
「柚希はいい子なんです。照れ屋で恥ずかしがり屋で、引っ込み思案なところもありますけど……思いやりも優しさも、人一倍持ってます」
だから――。
一瞬の静寂。
空き教室に響くのは僕と彼女の息遣いだけ。
僕は言葉を失っていた。
「だから、どうか少しだけでも、柚希と仲良くしてあげてください。関わって、みてください。外面だけじゃなく、なかも見てあげてください。それでも興味がないと言うのなら、諦めます。どうか柚希を省かないであげてください……お願いします」
そう言う南の顔は、初めて見る真面目な顔つきで。
間違いなく、妹を思う姉の顔だった。
僕は南咲良のことはほとんど知らない(あざとくてウザいってことくらいだ)。ましてや妹――柚希ちゃんのことはなおさらだ。
姉妹の過去に何があって、どんな思いを抱えているのかなんて分からないし、きっと誰もが、僕だって、何かを抱えて生きているんだろう。
だからきっと彼女のお願いなんてのは、傲慢で押しつけがましいもので、無視していいもののはずだ。
でも……。
――誰もがみんな僕の外っ面しか見てくれない――
そう思った過去の自分と、彼女のセリフが重なった。
「ウチだって、こんなせんぱい相手でも、ちゃんとコミュニケーション取ってますしね☆」
「……ははっ」
てへっ、と舌を出して締め括った南に、口元が緩んだかのように声が漏れる。
今までのシリアスが台無しだとか、あんなのはコミュニケーションじゃないだとか、突っ込みたいことはいっぱいあるけれど。
「――わかったよ」
そのあざとさとウザさに免じて、僕は首を縦に振ったのだった。
「んじゃ、今度勉強教えてください、高校の授業ついていけないです☆」
「なんでだよ!」