第9話 手が触れる
休日明けの体ってどうしてこんなに重いんだろうか……。
しかし月曜日という、学生にとって宿敵ともいえる怠い一日ももうすぐ終わりだ。
座学だけだった授業を乗り越え放課後。
あとはこの図書委員の仕事だけである。
なんだけど……。
「……………」
「…………………………」
いや、気まずすぎだろ……。
静かな図書室のカウンターに、僕と綾瀬の二人で座っていた。
綾瀬葵愛。
耳が露わになるほどの短髪に、端正な顔立ちの彼女は、見てくれはボーイッシュでスポーティーな少女のようだ。
だけれど、実際はそうではない。
数日、同じ教室で授業を受けているけど、ただ真面目そうに先生の話を聞いているだけ。
体育の授業でも積極的に運動をしていたわけでもない。
まあ一瞬、綾瀬の恐ろしさを垣間見たときはあったけど、基本的には無口で真面目な生徒だった。
怖さを評して【お化け】なんて呼び名があると聞いていたが、あながち間違いではないかもしれない。
目立つような行動をしているわけではないけど、異様な雰囲気を醸し出し、それがひどく印象に残る。
ともあれ。
僕が先に図書室に到着し、綾瀬があとから来た形で、二人揃ってからはずっと無言で座り続けている。
図書委員の仕事としては別におかしなことではない。
本の貸出と返却をしにきた生徒に対応するのが主な仕事なので、大半の生徒が部活動に勤しみ、あまり生徒が訪れない放課後は手持ち無沙汰になってしまうのは仕方がないのだが……。
多分、僕はしなくちゃならないことがある。
僕はこの委員会は二年目だからいいけど、綾瀬は初めての図書委員なのだ。
つまり、僕がいろいろとサポートしなくちゃならないってことで。
嫌だなあ……。
この間の委員会の顔合わせで、仕事内容は口頭で説明されてはいたけれど、「二年生はどのクラスも経験者いるし、詳しいことは自分たちの当番のときに確認してね」と委員長に言われていたのだ。
どうするか……。
なんというか、単純に話しかけづらい。
僕はただ座っていて、綾瀬は読書をしていた。
それも相まって……いや、それは言い訳だ、普通に怖いのだ。
またあの時みたいに睨まれそうで。
まるで虎を相手にしているみたいだな。
そう思っていると、綾瀬はパタンッと本を閉じておもむろに立ち上がった。
そのまま、カウンター裏にある部屋へと向かっていく。
きっとそこにいる司書の先生に用があるんだろうけど……。
気になって僕は耳をそばだてた。
「――あら、なんですか?」
「すみません、仕事のやり方を教えてほしくて」
「えーっと、ちょっとまって、あなたは……」
「綾瀬です」
「綾瀬、さん……ってことはA組ね。あれ、倉持くんは? いないの?」
「いえ、います」
「じゃあなんで……」
「ずっとだんまりで、私に何も教えてくれそうになかったので――」
待て待て待て——い!
ついつい優加理みたいな突っ込みを心の中でしてしまう。
いやね、たしかに僕はずっと無言だったけれど、綾瀬さん、教えてほしそうなそぶりなんて一切してなかったじゃないですか。
え、まさか、私が本を読んでるときは助けを求めているときなのとでもいうのか⁉
どんなSOSだ。
「そうなのね……」
そう返す先生の声色は明らかに綾瀬を心配してるそれだった。
僕が悪者扱いされる!
僕は決して、綾瀬の困る顔がみたいとかでいじめてるわけじゃないぞ。
むしろ今の状況僕がいじめられてるまである。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
そう聞こえたのを最後に、二人の足音がこちらに近づいてくる。
なんとか僕の言い分も聞いてもらわなければ。
「倉持くん」
「あ、はい……」
「ちゃんと綾瀬さんのサポートしなきゃだめよ、できる?」
「あ、はい……」
「そう、それじゃあよろしくね」
「あ、はい……」
静かに怒られた僕だった。
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というわけで。
カウンター周りの仕事は、実際に生徒が来たときに教えるとして。
本棚の整理でもしよう。
先生に後押し(?)される結果になってしまったけれど、僕は綾瀬に向かう。
「んじゃあ、とりあえず本棚の整理でも……」
「さっさとしなさい」
「…………」
ええ……。
もしかして、結構怒ってらっしゃる……?
怖い怖い。
睨む綾瀬に愛想笑いを返し、二人で本棚へと向かう。
「ええと、本棚の背表紙のシールと棚にある番号を照らし合わせて、違うジャンルにある本はもとのところに戻すんだけど――」
などなど、歩きながら説明をしていく。
綾瀬は特に何も言ってこないけど、まあ理解したってことだろう。……だよね?
「例えばこの植物関係の棚だと……」
やって見せるために立ち止まり、誤って片付けられている本を探す。
「あった」
スポーツ系の本が混じっているのを見つけた。
「こういう本とか――」
言いながら、僕はその本に手を伸ばし――……
「あっ」「あっ」
僕の手のひらが、綾瀬の手の甲に重なった。
「ご、ごめん」
僕は勢いよく手を引っ込める。
おいおい、どんなラブコメだ……。
こんなベタな展開、漫画でもなかなか見ないぞ。
おそるおそる綾瀬の顔を見やると、
「なんなの? 触らないでくれる? 気持ち悪い」
キッっと顔を赤くして睨まれた。
ははっ、照れてる照れてる。
……。
なわけあるか。
普通にキレてるわこれ。いや怖え。
しかも気持ち悪いって、ナチュラルにディスられた……。ひどい。
あたりに息苦しい空気が流れ出した気がして硬直していると、
「すみませーん本返しにきましたー……」
こちらを伺うような声がカウンターの方から聞こえてきた。
助かった……。
「あ、じゃ、カウンターに……」
返事は返ってこなかったが、二人で戻る。
なんだか既視感のある展開だと思ったけれど、そこにいたのは見たことのない二人の女子生徒だった。
よかった、南じゃなくて。
この場面で出くわしたら何が起こるか分かったもんじゃないからな。
冷や汗を垂らしながら応対をし終え、また二人でカウンターに居座る。
僕がやって見せたあとで、綾瀬に一言二言説明をつけ加えれば、「もういいわ、理解したから」と言われた。冷たい。
返却しに来た生徒たちはそのまま本を借りるようで、小声で話しながら選んでいる。
「そういえば、ゴールデンウィークに駅なかでスイーツフェアやるらしいよ」
「あ、知ってる。去年もやってたよね、それ。いちごタルトが美味しいとかなんとか」
「そうそう! 行ってみない?」
「え、あたしと?」
「うん!」
「しょ、しょうがないわねっ」
とかなんとか、彼女たちの小声が耳に入る。
それくらい静かな場所だ。
さらに僕の横からは、ページをめくる音が聞こえてくる。
って、それさっきの本……。
植物関連の棚で見つけたスポーツものの本を、静かに読んでいる綾瀬。
彼女の横顔を盗み見ながら、僕は憂う。
ああ、黙っていれば綺麗なのに。
いや違うな。
黙っていれば、ただの【綺麗な美少女】で済むのに、と。




