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竜王のいる異世界  作者: 土師 冴来
三章―英雄と獣王国編―
85/116

3章

84

――――



カチャリとドアが開く。

疲弊しきった虚ろな瞳が、彼女たちに向けられる。

掻きむしった髪、落窪んだ眼窩、ひび割れて乾いた唇は何事かをぶつぶつと呟き続け、掻きむしったのだろうか、腕や足には赤い蚯蚓脹れが覗いていた。


「少し見ない内にいい顔になったわね?」


にこりと笑いかけるジューナにびくりと怯えたように震え、鎖を鳴らしながら後ずさるイツキ。

その様を楽しそうに見つめながらゆっくりと歩み寄り、彼が腰掛けるベッドの右側にジューナ、左側にナグが座った。

ハッハッ、という浅い呼吸を繰り返し、大粒の汗を垂らしながら震えるイツキに、ジューナは持っていた黒いモヤが入った玉を見せる。

モヤの蠢くさまを視線で追うイツキの耳元に唇を寄せ、


「よぉく見て?何が見えるかしら…?」


甘い囁きに、僅かに焦点がもどった瞳が、玉を覗き込んだ。




「イツキ君!」


何気ない下校風景。

楽しそうに笑う彼女。

俺の隣で難しそうな参考書を読む親友。

いつもの風景だった。

バカみたな話をしてトオルに正論を返され、レイナのかわいい笑顔で癒される。

なんの変化もないことを、つまらなく思っていた事もあった。

けど、今、その景色が途方もなく遠く感じる。

その意識の表れか、レイナも、トオルも急速に遠くへと離れていった。


「待ってくれ!俺も…!」


必死に追いすがる俺の伸ばした手を横から白い手が絡めとる。

手の方に顔を向ければ、緑の髪と深い緑の瞳が美しい少女がにっこりと笑っていた。


「だめだよ、キミはもう()()()()の人間なんだから。」


歌うようにそういった彼女は、なにか赤黒いものを俺に押し付けてきた。

それがなにか、理解したくなかった。

見たくなかった。

けど、手に伝わる徐々に冷たくなっていく暖かかったものは、その命を俺に伝えてくる。

離れて行ってしまったトオルたちは、遠くの方で俺を見ていた。

蔑み、哀れみ、怒り、嫌悪…あらゆる負の感情を帯びた目で。


(ちがう、俺は!俺はお前たちと一緒に…帰れないなら俺が、この世界のお前たちの居場所を作れるように…!)


叫んだと同時に、手に握らされていたものを握りつぶしてしまった。

小さな悲鳴が聞こえ、思わず手元を見てしまった。

手に握っていたのは、小さな小狐の頭だった。

思わず叫び、それを投げ捨てる。

隣にいたナグが笑い、俺はしゃがみこんでせり上がってくる吐き気を堪える。

涙目になって顔を上げた先には、もうレイナも、トオルも居なかった。



玉を覗き込むイツキの目に大粒の涙が浮かぶ。

虚ろな瞳から零れる涙を愛おしげに掬って、玉を揺らすと、ジューナの意思に従うようにモヤが滲み出す。

やがてそれはイツキに絡まるように身を覆い、空になった玉が床にころがった。

ごとん、という音でイツキの意識がこちらに戻ってくる。

信じられないようなものをみる目で見てくる彼にこの時を待っていた、とばかりに微笑んだジューナは、ふわりと片手を振るう。

途端にこの部屋一杯にむせ返るような鉄錆の匂いが溢れ、部屋の中心、魔法陣の上には積み重なった獣人の遺体が山のように積み重なって捨てられている。

光を失った瞳が、じっとイツキを見つめていた。

ころり。

足先に触れたのは、さっき玉を覗き込んでいた時に見た、握りつぶしてしまった狐の頭。

プツリ、とイツキの何かが切れた。

濁流のように脳裏に流れ込んでくるのは、この部屋で自分自身が行った蛮行。

ナグが連れてくる獣人を切りつけ、殴り、時には食らった。

ナグの手によって、その認識をすり替えられていた。

ただひたすらにナグが自分に行っていたことは、自分が、連れてこられた獣人に行っていたことだった。

ジューナが施した強化魔法による反動を、彼らにぶつけていた。

泣き叫ぶ声に愉悦を覚え、許しを乞う声に加虐心が増していた。

楽しくて楽しくて、何度も嬲る。

そして、魔法の反動で意識を失い、目を覚まして自分がやった事を忘れ、自分の中に芽生えた意識を何者かだと勘違いし、怯える。

ボロボロと涙を零し、己のやった事にたえきれなくなった少年に、甘い言葉を囁く。


「貴方が奪ってしまった命はね、すべてその黒いモヤに閉じ込めてあるの。貴方が頑張れば、閉じ込めた命が救われるのよ。」


自身がまとうモヤを見る。意志を持って蠢くそれは、確かに生きているようにも思えた。

ぽっきりと折れてしまった心は、ジューナの言葉になんの疑いも持てなかった。

イツキの心が折れたことを確認したジューナは、パチンと指を鳴らして床に広がっていた獣人の遺体の幻影を消し、魔法陣の中心にイツキを座らせた。

そして彼の体の中身を、人だったそれから、獣王、魔物、果ては精霊までもを混ぜて作った黒緑のモヤでもって構築する。

見た目こそ変わらないが、彼の肉体はジューナたちと同様の、外界の王に仕えるに相応しい者へと作り変えられていった。


「餌の完成よ。あとはイェブを迎えに行くだけ。」


うっとりと、虚ろな瞳のイツキの頬を撫でながらジューナが呟く。

ナグも満足そうに笑い、イツキの耳元で囁く。


「いまから送ってあげる所で、斧と子グマを返してもらってきて。」






――――

街の郊外にある古びた屋敷。

獣王の名でそこを買い取ったジューナは、その地下に地脈が流れている事を利用して、目的を果たそうとしていた。


床が仄かに輝く部屋の中央に、黒と深緑が混じったモヤがどこからともなく渦を巻いて現れる。

モヤが晴れた中にはぐったりと蹲る少年。

追うように部屋に現れたジューナは、腕の中で怯える子グマを撫で、その体の中にしっかりと目的の魂があるかを確認した。


「…!?どういうこと…今になって自我を生み出したというの…?」


子グマの様子を見ていたジューナの声に、部屋に入ってきたナグが驚く。

どういうことかと尋ねれば、ほんの僅かだが、この子グマ自身の魂が息を吹き返しているとのことだった。

急ぎましょう、と母を急かし、蹲ったイツキを無理やり床に寝かせ、隣に魔力の玉で包んだ子グマを並べる。

どくり、どくりと床が鳴動し、黄色とも金ともつかない光の帯がぐるぐるとイツキと子グマを包み込んだ。

むせ返るほどの強烈な魔力の奔流を光の帯に変えて、イツキと子グマに纏わせ、強制的に魂の道筋を繋げる外法を、この場でやって退ける。

指で複雑な印を組み、ぼそぼそと呪文を唱える母の額には玉の汗が浮かび、魔力が溢れないように屋敷を覆う結界の維持に注力する娘。

1日ほど、その状態が続いただろうか、徐々に光の帯が溶けて消えていく。

凝り固まった指を解すように握りながらジューナは汗を拭って傍に座り込んだ。

ナグも結界の力を僅かに緩めて座り込む。

ひどい頭痛で目眩がしそうだった。

疲れた顔で、光の帯が取れた床に残った彼らを見つめる。

魔力の玉の中で目を閉じてじっとする子グマと寝たままのイツキ。

やがて、イツキがむくりと上体を起こす。具合を確かめるように手や首を振ってから目の前で座り込んでいる母娘へと視線をやって、笑う。


「やぁ、10年ぶりだね。母さん、姉さん。」


黒い瞳は深い緑へと変じ、イツキの姿をした弟が、目を覚ました。

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