3章
82
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意見が割れたことから更に話し合い、最終的に頭から煙を吹きそうになっていたべフィルが、
「あちらさんもいつまでも待っちゃくれないだろ、現場まで行ってみて、イケそうなら突撃ってことでいいんじゃねぇか?」
というリーダーの一声により、決行が決定された。
各々準備に取り掛かる中、マリは考え込んでいるチェザーレの様子を伺う。
「どうした、なにか気になることがあったか?」
自分の様子を伺っているのが分かったチェザーレが顔を上げてマリに問えば、
「山口君は、助けられない…?」
絞り出すような声にぴくりと目を眇めて、緩く首を振るチェザーレ。
それは、否。
「さっきも言ったが、心を壊され、すでに中身は別物だ。肉体自体は助かるかもしれないが、あの少年の姿をした、別の何か、ということになるが…。それを助けられた、とは表現できないだろう?」
話を聞く限りでは薄々わかっていたが、改めてそう言われると、ぐっと息を飲む。
俯いたマリの頭に大きな手が乗せられ、わしわしと撫でられる。
「助けられないのはお前のせいじゃない。彼自身がそう望んで、そして選んだ結果だ。お前に介入の余地なんて無かっただろう?全てを助けたいだなんて、竜王でも望めない所業だぞ。」
どこかからかうように言われて、ストンと心が軽くなる。
無論、全て円満解決、だなんていうのが無理なのはマリにだって分かっている。
だが自分で選び、進んだ結果、そう言われた事が、マリの不安を少しばかり和らげてくれた。
ペチン、と自身の両頬を叩き、準備してくる、とチェザーレに言えば、頭から手を離し、かすかに笑って送り出してくれた。
マリを見送ったチェザーレは、ひとつ息を吐いて立ち上がる。
部屋を出れば、廊下には頭を下げたケトーがいた。
要件が分かっていたのか、こくりと頷き、
「すでにお待ちでありましょう。」
その声に頷き、行ってくる。とだけ答え、その足でメイドとケトーに見送られて屋敷を後にした。
チェザーレが向かったのは、都市の中央にそびえ立つ城だった。
優美と言うよりは厳つく、ぐるりと深い堀で囲われているため、城らしさもあまりないが、紛うことなき獣王がいるであろう城である。
はね上げ式の橋がかかる城門の手前で、黒豹族の身なりのいい男が立っていた。
遠くからでも目立つその姿に歩み寄るチェザーレ。
目の前まで行くと、丁寧に膝を折り、頭を垂れて礼をする。
「お久しぶりですな、陛下。」
低くよく通る声が響き、それに頷いてから立ち上がらせる。
門を警護する兵士に目配せし、跳ね橋を下ろさせてから中へと案内され、そのまま奥の謁見の間へと案内された。
普段ならば、奥の玉座にふんぞり返っているであろうその男は、黒豹族の男が扉を開けた瞬間から玉座よりはるか手前で膝をつき、礼をしていた。
「顔を上げろ。」
チェザーレのその一言で、頭を下げていた男が黒豹族の男をちらりと伺う。
彼も僅かに顎を引いて頷いたのを見てとり、ゆっくりと立ち上がった。
「初にお目にかかります、三代目トライドにございます。」
そう言ってチェザーレへと赤い瞳を向けるのは、体格こそ大人と変わらないが、声に僅かに若さが伺える、白虎族の男だった。
「ナズール、やはり先代は…。」
呟くようなチェザーレの声に、白虎の青年、トライドが目を伏せる。
彼の背後に移動した黒豹族の男、ナズールは静かに頷いた。
「私がおりながら誠に申し訳ございません。先代は、もうおりませぬ…。」
苦々しく吐き出した言葉に、ここ数日でチェザーレが予想していた事が最悪の方向に当たったのだと、眉を寄せた。
「ここでは落ち着いてお話も出来ません、奥に貴賓室を用意してありますので、そちらで。」
トライドの声に頷き、貴賓室へと通されて3人で向かい合う。
「10年ほど前に、王は新たに妃を迎え入れられました。緑の髪が美しい羊人族の女でした。最初は良かったのです。その女は王に付き従い、王の言葉に静かに頷いていました。ですがやがて、王は決済の殆どをあの女に伺うようになってしまわれた。我らは何度も諌め、あの毒婦を追い出すように進言致しました…。ですが聞き入れられず。ケトーは軍の統括を解任され、将軍へと降格、私も宰相という肩書きはございましたが、何かをするにもあの女が全てでございました…。」
苦しげに吐き出した告白を静かに聞く。
ナズールの隣にいるトライドもまた、ぐっと拳を握っていた。
「そうして半月ほど前でしょうか、王は突然その姿を眩ませてしまった。無論あの女と、そして連れ子という娘もです。ほうぼう探しましたが、未だに見つかっておらず…。」
ナズールの言葉に、足りなかったものがパチリと嵌った気がして、チェザーレはひとつ息を吐き、自分がいまここにいる理由、道中あったこと、ここに来てから起こったことを掻い摘んで話す。
「それでは、もしや先代は…。」
「恐らく、イツキの中に入っている1人だろう。」
引き絞ったような声で呟くトライドにチェザーレが告げる。ナズールもぐっと眉間に皺を寄せて瞑目していたが、閉じていた目を開き、ごそごそと懐を探って1冊の古びた手帳を取り出したナズールは、それをチェザーレへと差し出す。王の部屋から偶然見つかったそれを、彼はずっと隠し持っていた。
手帳を受け取り、ページを捲る。
最初は美しい妻の事、そして愛らしい連れ子の事をいっぱいに綴ったそれは、手帳と言うよりは手記だった。
これを書いた先代の心が伺えるページをめくって行くと、やがて唐突に文脈が乱れ、言葉もおかしなものへと変わっていく。
字もほぼ読み取ることが出来ず、ただ異様さが増したページを捲っていたが、手記のとあるページがなにか茶色いもので張り付いていて読めない。ナズールを伺うと、どうぞ。と頷かれ、そっとその張り付いたところを剥がし、見えなかったページを開くと。
『虚空の王が目覚めた。子を起こすときがきた。我も、新たな身体を得られるだろう。』
所々引きつったような字で、そう書かれていた。
すん、と鼻に触るこの匂いは血のそれで、ページをくっ付けていた茶色いものは乾ききった血だと理解した。
そのページより先は殆ど読めそうな所はなく、こうなってまでよく書き続けたものだと感心する。
そうして、恐らくは半月前であろう最後のページには、
『定命に従うことを恐れた愚かな王に、祝福を。』
とても美しい字でそう書かれていた。
ぱたんと手記を閉じ、ナズールへと返す。
浅く息を吐くチェザーレの向かいで、トライドがごくりと息を飲む音が聞こえた。
何かを言おうと口を開く前に、視線を向ける。
「おまえはここにいてふんぞり返っていろ。それ以外は認めん。」
火竜とは思えない程に冷たい声でそう言われ、ぎしりとトライドの体が固まる。
この国の先代の失態を、当代がそそぐことが行けないことなのだろうか、そう言いたかったが、目の前の紫の瞳はそれを許さない。
助けを求めるように、腹心であるナズールを伺うが、彼もまた、その金の瞳はチェザーレと同様に、ここにいろ、と訴えていた。
「王よ、尻拭いはこの老骨にお任せいただきたい。我らは10年も、先代を苦しめた。どうか、この場は…。」
ナズールの言葉に、今はここにいないもう1人の大柄な戦士を思い浮かべる。優しく笑うあの青紫の隻眼を思い出す。
ぐっと歯に力を入れて気持ちを噛み殺し、頷いた。
彼にはそれが、精一杯の仕草だった。
「しかし陛下、なぜ先代が関わっているとお気づきに…?トライド兄と共に育った我らはともかく、陛下は先代とは面識は無かったはずでは…?」
ナズールの最もな問いかけにソファの背もたれに背を預け、ここ最近で凝り固まるんじゃないかと思うぐらい皺がよった眉間に指を当てて揉みほぐしながら、
「うちには優秀な番犬がいてな。そいつが嗅ぎ当てたんだよ。」
まるで冗談でも言うようにさらりとそう述べたチェザーレは、用は終わったとばかりに立ち上がる。
明日の朝一番に、出るぞ。とナズールに言い残して、送るというトライドの申し出を拒否し、さっさと出ていった。




