3章
71
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「俺たちを獣王国まで運んで欲しい。お前なら、天候を気にせずに飛べるだろう?」
チェザーレの問いかけにいかにも、と頷くラダ。
「なぁ、運ぶだけならチェザーレとジアンでいけんじゃねぇの?」
首をかしげながらぽそぽそとメイニィに話しかけるべフィルの声に、聞こえたらしいラダが唸り声を上げる。唸っているように聞こえるそれは、実際は笑っているのだが、どうにも厳つい。
『グルルルゥ…そっちの小僧は人間にしては強そうじゃが、まだまだ山というものがわかっておらぬのぅ…。』
やれやれとため息をつくような人間くさい仕草をするラダに、むっとするべフィル。
食ってかかろうとする彼を素早くルピナが止めに入る。
細い体のどこにそんな力があるのか、しっかりとべフィルを押しとどめ、高い位置にある彼の顔を見上げ、低く真剣な声で、
「死にたいのですか?かの御方は竜の中でも筆頭種、エンシェントドラゴンですよ?今こうやって目の前に居られて、這いつくばって頭を下げなければ殺されてもおかしくは無いのですよ?」
ルピナの言葉に、ぞっとしてギースを見やる。気づかなかったが、彼の顔色もあまり良くなかった。緊張しているのだろう。
『グルル…娘よ、そう脅すでないわ…。この場にはわしより高位の竜もおる、長く生きただけのじじいになぞ、いまさら這いつくばれなどと言わぬよ。』
穏やかに笑うラダに、ぺこりと頭を下げるルピナ。
いい募ろうとしたべフィルも、大人しく引き下がった。
「山は、天候が変わりやすく、落雷も多いんです。チェザーレやジアンの背中だと、べフィルさんは一番先に落雷の一斉落下に遭うと思います…。」
じっとべフィルのフルプレートを見上げながら言うマリに、ラダがうんうんと頷く。
今はまだ中腹に近い為に天気も安定しているが、これをさらに登るといきなり天気が変わることも当たり前にあるとの事。
それでやっと納得したべフィルから視線を外し、チェザーレに向き直ったラダは、了承を込めて頷いた。
『ならば善は急げじゃ、皆ひとかたまりに集まるが良い。』
ぐるりと長い首を巡らせて言うラダの声に従って全員が集まる。それを確認したラダは、前足の指1本のつま先をひょいっと円を描くように動かし、吼える。
即座に周囲に風が吹き荒れ、バタバタとはためく服を押さえていれば、次第にその風が彼らを包むように巡り始め、やがて風の玉に包まれる。
「これは…ものすごい数の高位のシルフ達だ…。」
精霊に恩恵のあるギースが周囲を見ながら呟き、風の玉の先、ラダの傍らに立つ全身が緑色の人型の風の塊を見て目を剥く。
「ばかな…烈風の主、ハストゥールだと…!」
「ラダの契約精霊だ。」
驚きっぱなしのギースにチェザーレが付け加えたあたりで、ラダがのそりと動く。
チェザーレ達が入っている風の玉を抱え込み、大きく翼を広げてハストゥールの風を取り込み、ふわりと浮き上がって悠然と、しかしものすごい速度で頂上まで飛び上がった。
もくもくと垂れ篭める雲の中を突き抜け、山頂を見下ろす風景に、チェザーレを除く全員が声もなく見入る。
風の玉で守られている為、何も感じないが外の気温は想像を絶する低さだと言う。
そしてはるか先に見える巨大な樹が、聖樹ユグドラシルだとも。
そちらの方向に体を巡らせ、再び雲に潜るラダ。
今度の雲は重く暗い色で、時々あちこち光っている。
雲に突入した途端、玉の周囲に迸る雷光に、思わず体を寄せ合う。
風の守りで当たることこそないが、目には宜しくない。
雲に入っていた時間は極僅かであったが、これをチェザーレやジアンの背で浴びなくてよかった、と心から思う人間たちだった。
雲をつきぬけた先は、一面に広がる深い緑の森だった。
遠くの方には都市のようなものが見えるが、凡そ全域が森に包まれている。
『このまま獣王国の首都まで向かうぞぃ?』
ラダの顔は腕よりも随分と前にあるはずだが、すぐそこにいるかのように響く。
その声に頼む、と答えるチェザーレは足元に広がる広大な森を眺めていた。
了承を得たラダは翼をはためかせ、ぐんぐんと速度を上げて遠くに見える都市を目指す。
普通に歩けば何日かかるかわかったものでは無い距離を僅かの時間で飛んでいく。
都市がハッキリと見える距離あたりで滞空し、抱えていた玉をぽいっと手放すラダ。
玉はそのまますーっと地面に向かって落下し、浮遊感のない落下というものすごい違和感を中にいた全員に与えながら地面に触れた途端に消えた。
『獣王国にいらぬ混乱を招くのも本意ではない、わしはここらで帰るとしよう。気をつけるのじゃぞ…。』
ふわりと優しい風が舞い、脳裏に響く声に顔をあげれば、かの竜は遥か彼方まで飛び去っていた。
彼らのいる所は風の玉の影響か、草もなく地面が丸くむき出しになっているが、周囲には生い茂った木や背の高い草が生え、先などほとんど見えない。
まだ日が落ちるには時間があったが、レッサードラゴンの討伐や、ラダ経由の移動で精神的に疲れたべフィル達は、早めの野営を提案する。
マリ達も同意し、丁度地面がむき出しになったここがいいだろうと、野営の準備を始めた。
テントの設営や焚き火の準備を男性陣がする中、ルピナとメイニィは手頃な大きさの石を拾い集めていた。
それを見たマリが不思議そうにしているのに気づき、メイニィが手招きする。
とことこと歩み寄ったマリに、これくらいの石を集めてちょうだい、と優しく言う。
言われた通りに石を集めてメイニィの下に行けば、小山になった石にルピナが懐から取り出した瓶の中の透明な液体を振りかけ、祈りの言葉を掛ければ、一瞬石が光り、何事も無かったかのように元の石に戻る。掛かっていた液体も、濡れた痕跡すら無くなっていた。
それを再び手に取り、メイニィがマリに渡しつつ、
「これを、このむき出しになっている地面の外周に並べていってちょうだい。ぐるっと囲むようにね。」
メイニィに言われるままに石を並べていくマリ。そばに寄ってきたジアンがフンフンと石の匂いを嗅ぎ、
「侵入防止の簡易結界だな。低位の魔物とか動物の侵入を阻むやつだ。」
ジアンの説明にへぇ…と感心しながら何の変哲もない石を手のひらに乗せて見つめる。
それを1つ1つ丁寧に置いていき、最初の1個目の隣に置き終わって腰を上げた。
ありがとう、と微笑むメイニィとルピナに笑って返し、夕食の用意をしましょう、と促す。
「途中をかなり短縮できたお陰で食料も余裕があるから、いいもん食おうぜ!」
焚き火の上に石を積んで竈を拵えたべフィルが提案し、マリはレイノルフに渡された魔法調理器具の鍋を取り出してシチューを作ろうと準備しだす。
適当な平らな石の上にまな板を敷いて食材を切り分け、ポーチの中に入っていた鶏肉を取り出してこれも切り分ける。
鶏肉を見たジアンの視線がマリに突き刺さるが務めて無視して調理し、あるかどうか半信半疑だったがポーチに手を入れて牛乳を思い浮かべれば、瓶に入ったそれが手に触れた。
取り出して鍋に入れ、チーズを削って掛ければ、周囲に漂うミルクとチーズの匂いにべフィルたちの顔が緩む。
「俺たちが知るシチューよりずっと美味そ
うだな!ミルク入れるのは初めて見たぜ。」
べフィルの言葉に、そういえばこの世界で食べたスープは野菜の旨味がたっぷり詰まった様なものばかりだったと思い出す。
彼ら曰く、牛乳は基本的にチーズやバターといった加工品になるのが当たり前なんだそうだ。保存の意味もあってそうなったのだろうとマリは思い、シチューを一口掬って味見をする。
口の中に広がる優しい味に上手くできた、と頷き、お椀によそって皆に渡した。
炙った肉や、シチューにパンを浸して味わったマリ達は、食後のお茶を飲みながらあれこれと話し、森の中で過ごす夜が更けていく。




