3章
69
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呟いたギースですら信じられないように今は何も見えない道の先を見据える。
その更に遠くを見るように視線を一点に固定したチェザーレの上着の裾を引くマリ。
張り付いた視線を顔ごと動かし、マリを見下ろしたチェザーレだったが、真っ青な顔をしたマリの様子に膝をついて視線を合わせた。
「チェザーレ…真っ黒な闇の塊がこっちに来てる…。」
「レッサードラゴンか?」
問いかけるチェザーレに分からないと緩く首を振るマリ。
ただ、漠然とした不安がマリを襲う。
その様子にパチンと指を鳴らしてエンを呼ぶチェザーレ。マリの肩に顕現したエンは不安そうなマリにそっと暖かな身体を寄せる。
エンに手をやって撫でながらざわざわとした背筋を這い上がってくる気持ち悪さに口元を押さえて俯くマリの背をそっと触れる手に、チェザーレが顔をあげれば、ルピナが立っていた。
『竜の神にルピナが祈ります。かの者の心を沈めたまえ。鎮静』
優しい声音と共に背にあてたられたルピナの手から暖かな波のようなものが体の中に入ってくるのを感じ、ほっとする。
同時にぐらつくマリの身体をチェザーレが咄嗟に支えた。
「すまない、助かった。」
マリの背から手を離すルピナに礼を言い、もう幾ばくの間もなく姿が見えるであろうレッサードラゴンの気配に顔を巡らせ、金級冒険者であるべフィル達を見る。
「数は恐らく20程度、お前たちで何匹やれる?」
マリの言葉から、恐らくは闇に飲まれたレッサードラゴンを救うのは無理だと判断したチェザーレの言葉に、背負った大剣を引き抜きながらべフィルが答える。
「半分、10ってとこか。最下級とはいえドラゴンだ、それ以上はこっちも危ねぇ。」
近寄ってきたジアンの背にマリを乗せながら、
べフィルの言葉に充分だ、と返す。
マリを乗せたジアンは、けもの道を外れ、チェザーレ達の場所が見える切り立った崖の上へと駆け上がる。
場所的にはレッサードラゴンたちの進路から外れてはいるが、気づかれないとも限らない。ジアンは視線を鋭くし、周囲を見回す。
高い分、向かってくるレッサードラゴン達が、下にいるチェザーレたちより早く視界に捉えた。
吼えて注意を引く訳にもいかないため、静かに見守る。
「くるぞ!」
べフィルの号令で彼の仲間達が戦闘態勢に入った。
道の先、土煙を上げて駆けてくるのは闇色の鱗をまとい、短い前足と大きな後足、退化して小さくなった翼をもつ5m程の大きさのドラゴンだった。
最下級と名のつくだけあり、知性はとても低く、強力なブレスも吐くことは無い。だが腐っても竜種、強靭な生命力と驚異的な身体能力でもって他のモンスターを圧倒する存在である。
各々に唸り声を上げ、口から涎を垂らしながら目の前にいる人間たちに向かって突っ込んでくるドラゴンの、先頭の1匹の頭に向かって一本の矢が放たれる。
その矢は一見なんの変哲もない矢で、先頭にいたドラゴンは、鱗で弾けるだろうと気にも止めなかった。だが、それがそのドラゴンの見た最後だった。
矢が触れた瞬間、ドラゴンの頭が爆ぜる。
矢の出処はいつの間にか木の枝から弓を構えるギース。
一矢の名に恥じない見事な先制だった。
『竜の神にルピナが祈ります、彼らに竜の守りを!守護!』
ルピナの祈りと同時にべフィル達の身体を虹色の輝きが包み込む。
『光の矢よ、雷を伴って敵を穿て!プリズミックアロー!』
防御魔法を受け取って駆けだしたべフィルの頭上をバチバチと雷を纏った光の矢が追い越す。
激しい光と雷鳴の音を伴ったそれは次々にドラゴンたちに命中し、2匹が致命傷を負ったのか動かなくなる。それでも勢いは止まず、唸り声を上げてべフィルに襲いかかるが、横薙に払った大剣に身体が触れた瞬間、強固な竜の鱗は引き裂かれ、首を跳ねられた身体がよたよたとたたらを踏む。
「あれが、人間の最高峰か…。」
凄まじい戦いっぷりに感心していたチェザーレだが、彼に向かってもドラゴンたちは押し寄せる。
それを憐れむように見つめ、黙祷を捧げる様に僅かに目を閉じてから、
「俺の事も分からないか…。世界に還るがいい。」
囁くように言えば、チェザーレの手元に炎が渦巻き、右手には彼の牙から創られたシャムシール。左手は人の腕の中程から深紅の鱗を纏った竜の腕に変え、黒い爪が輝く。
無造作にシャムシールを振るい、向かってくるレッサードラゴンの首を跳ね飛ばし、その勢いをもって竜の腕で別のドラゴンの頭を掴む。
そのままぐっと腕に力を入れれば、果物のように手の中で潰れる頭。
「なんつうデタラメだよ…。」
余裕そうに首を切り飛ばした様に見えるべフィルだが、魔力で力をブーストした結果であり、ずっと使える訳では無い。
それでも仲間の援護により、怪我をすることもなく多少の疲労だけでドラゴン達と切り結んでいたが、自分たちのいない方をたった1人で受け持ったチェザーレを心配して視線をやった先で見たのがあの光景だった。
「ぼさっとすんな!エアカッター!」
鋭く飛んできたギースの声と、風の魔法がべフィルに噛み付こうとしていたドラゴンの片目を切り裂く。
痛みにのたうつドラゴンに我に返ったべフィルが切り掛かり、喉を大剣の切っ先で突いて体重を掛けて切り裂く。
『風よ!撃ち抜け、エアバレット!』
いくつもの風の弾丸がドラゴンの身体を撃ち抜く。鱗を突き破るそれに怒りに濁った視線を向け、べフィルの脇をぬけて魔法を放ったメイニィに肉薄するドラゴン。
噛み付いてくるドラゴンの顎を大剣で押さえていたべフィルがその喉元を蹴りあげて無理やり引き離し、その勢いのまま大剣を背後にぶん投げた。
くるくると回って飛ぶ大剣はもう一歩でメイニィの柔らかな肌に届かんとするドラゴンの頭上から顎の下まで突き抜けて地面に縫い止める。
武器を失ったべフィルに、喉を蹴られたドラゴンが身体を起こして再び噛み付こうと襲いかかる。
「ハッ!」
その鼻面を横から細い足の、白いブーツの踵が捉える。
かかとの部分に金の装飾を施したブーツは、綺麗に鼻に吸い込まれ、ゴキリという嫌な音を鳴らしてドラゴンの顔がブレる。その反対から矢が飛来し、最初の一匹同様、爆ぜて崩れ落ちる。
「武器捨てる阿呆がいるか!」
「もうちょっと考えてください!」
木の上から怒鳴るギースと、持ち上げた足を下ろしながら静かに怒るルピナに、首を竦めながら助かった、と苦笑するべフィル。
こちらに来たのは今ので最後だったらしく、残りは全てチェザーレの方へと向かっていた。
剣を引き抜き、ほぼ一撃でレッサードラゴンを沈めていくチェザーレに、べフィル達が魅入っていると頭上から威嚇する唸り声が聞こえて
顔を上げた。
チェザーレやべフィル達の戦いを見守っていたジアンとマリだったが、不意に背後から聞こえた唸り声に振り返る。
一体のレッサードラゴンが、濁った目を向け、涎を垂らしながらゆっくりとジアンたちに向かってきていた。
わざわざ道を迂回して崖の反対側まで来たらしく、光を失った目でマリたちを見つめている。
「ッチ、あんま下がりすぎて落ちんなよ、マリ。」
マリを背に庇い、唸り声を上げて威嚇するジアンに、それを気にするでもなくのそのそと近づいてくるドラゴン。
ガァァァァァッ!
ブレスこそ吐けないがその咆哮は下位の存在を萎縮させるには充分の代物で、ジアンはともかく、マリは竦みあがって僅かに後ずさる。
ジアンの言葉を思い出して必死に押しとどめ、向かってくるドラゴンを見つめた。
(もうほとんど姿が見えないぐらい闇に飲まれてしまってる…どうしてこんな事を…。)
ぎゅっと唇を引き結んで彼らをここまで堕とした原因に嫌悪が募る。
これ以上進ませるものかと、いざ飛びかかろうとしたジアンの鼻先にバサリという羽音と共にチェザーレが舞い降りた。
翼だけを仕舞い、シャムシールと竜の腕はそのままに、一頭だけ残ったレッサードラゴンを見つめる。
チェザーレの姿を見たレッサードラゴンは、その闇色に染った瞳を僅かに見開き、そしてその瞳が黒から茶色へと変じた。
『竜王陛下…。どうかこのまま、私を討ってください。』
グルル…、と唸るドラゴンの声がチェザーレに届く。同時に、目の前にいるドラゴンが見た記憶も脳裏に映し出された。




