3章
62
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カチャン、と皿に金属がぶつかる音が響く。
痛いほどの沈黙の中で、こくんと水を嚥下する音がハッキリと聞こえ、その音でやっとギースの固まった首が、チェザーレを捉える。
「当代…竜王…?」
絞り出すような声に、そうだ、と頷くチェザーレ。
そのさも当然ともいえる態度に、思わず椅子を蹴立てて立ち上がるギース。
『シルフ。』
ギースが何かを言う前にチェザーレがこの場の風を操って声を遮断した。
それに気づきながらも、
「信じられん!竜王だと!?なぜ人の街で人と共にいるんだ!?」
カッとなって叫ぶように言う声は、シルフのお陰で周囲には聞こえず、チェザーレは立ち上がったギースを見上げる。
「自分が護る星に住む生き物を知りたいと思っただけだ。」
最もらしい理由をのべるチェザーレに、ぐっと押し黙って椅子に座るギース。
それでも納得いかないのか、眉を潜めてチェザーレを見ている。そんな彼のポニーテールがかすかに揺れ、緑色の丸っこい玉が肩に乗っかり、それに長い耳がぴくりと反応した後に、再び驚いたように目を見開く。
何事かと思ってキョトンとするマリと、鼻を鳴らして口の端を笑みに歪めるチェザーレ。
「俺の友が…貴方は竜王陛下だと言っている…。非礼をお詫びする…。」
その言葉に彼の肩に乗る玉がシルフなのだと気づくマリ。
よーく目を凝らせば、その玉は風が形になったもので、その中心に小さな男の子がケタケタと笑っていた。
「しかしなぜ黙っておいた方がいいのです?」
ようやく落としたフォークを手にして食事を再開したギースの問いかけに今度はチェザーレが眉根を寄せた。
「その言葉遣いを元に戻したら教えよう。」
「わかった…。」
思えば、マリもそこの狼もチェザーレに対して敬うような態度ではないことを思い出し、そういうのを嫌う性格なのだろうと考えて頷く。
「別に深い理由があるわけじゃない。ただ、今みたいな反応をあちこちでされるのも面倒なだけだ。高位の精霊や同族、長生きしてる奴らならわかる事だしな。」
自ら大々的に広めたくはないという考えに納得して頷く。
ようやく食事も終わり、話していた内容のせいであまり味が分からなかったのが難点ではあったが、ギースの知りたいことも大凡は知れたので、礼を言って立ち上がる。
ここは奢らせてくれ、と笑い、伝票を手にして去っていった。
その背を見送りながら、いつの間にか詰めていた息を吐くマリ。
ほとんど喋っていないにもかかわらず、何となく息が詰まってしまっていた。
心配そうに見上げてくるジアンを撫でて少しだけ和み、席を立つチェザーレに続いて立ち上がった。
「そうだ。飛竜発着場にいくぞ。」
ふと思い出したようにチェザーレが口にし、首を傾げるマリだったが、特に否やは無いので頷く。
宿屋を出て大通りを歩き、やがて王都の外壁付近にある大きな建物の前に着く。
マリは1度は飛竜便に乗ったことがあるのだが、降りる時はほとんど眠っていた為に記憶が無い。
それどころか、チェザーレに抱き上げられて運ばれた記憶が蘇り、1人で首をブンブンと振って熱くなった顔を隠す。
その仕草に首をかしげつつ、建物の中に入れば、そのまま真っ直ぐ受付カウンターへと進んだ。
「いらっしゃいませ!どちらまで行かれますか?」
元気な受付嬢の声に、隠していた顔をあげれば、上気した顔でうっとりとチェザーレを見上げている。
何となくムッとしながらチェザーレを見上げれば、そんな彼女の態度など気にした風もなく淡々と見下ろしている。
「いや。飛竜たちに会いたいんだが。」
チェザーレの言葉に上気した笑顔が固まる受付嬢。言ったことが理解できなかったが、二度聞き直すほど彼女も新米ではなかった。
少しの間固まっていた表情筋を意識を総動員して動かし、問われたことを吟味する。
「飛竜たちに、ですか?それはどういった御用で、でしょうか?」
彼女の問いかけは尤もな質問である。
マリは北の都で見た飛竜とチェザーレの様子を思い出して納得したが、彼女はそれを知るはずもない。
「このちっこいのが飛竜を見てみたいとせがんで来てな…。少しの時間でいいからあわせてやって欲しい。」
言うに事欠いてまさか自分をダシにすると思っていなかったマリは、キョトンとした受付嬢と、仕方ないという体を見せるチェザーレの視線に晒される。
引きつった笑みを浮かべ、ぺこっとお辞儀をするマリに、受付嬢はちょっと待っててください。と言い残して奥へと引っ込んだ。
「ちょっと…!私16だよ?なんで子供扱いされなきゃいけないの…!」
誰もいなくなったカウンター前でぶつぶつと文句を言うマリに16だったのか、と驚くジアンとチェザーレ。勿論口には出さないが、視線に憐れむようなものが混じる。
背丈も小さく、細いと言うよりは貧相ともいえるマリの身体つきは、年齢を下に見せるには充分だった。
ぶすくれたマリがさらになにか言おうとした矢先に受付嬢が兵士を伴って戻ってきた。
彼はチェザーレを見た途端にぺこりと敬礼し、受付嬢へと耳打ちして手招きする。
受付嬢はにこりと笑ってカウンターの中に戻り、チェザーレたちは兵士に付いて奥へと入らせてもらった。
「先日こちらにお戻りになった時に上司にお伺いしました。竜王陛下ならば危険ということも無いでしょう。」
事情を知っているらしい彼の計らいに感謝し、ドアをくぐった先には、ずらりと長い首を興味深そうにドアのほうに向けた飛竜たちがいた。
皆それぞれ少しづつ鱗や瞳の色が違う。だが一様にチェザーレを見てぎゃうぎゃうと何事か鳴いている。
その様子に流石の兵士も驚き、瞬きを繰り返す。そして彼らの世話をしていたであろう少年が、飛竜がいるスペースの中から出てくる。
「なんだ!?いきなり騒ぎやがって…!ってアンタらここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!危ないから早く…!」
出ていけとチェザーレに手を伸ばした少年の首根っこに、一番近くにいた飛竜がぱくりと噛みつき、ひょいと持ち上げてしまう。
「うわぁ!?な、なんだ!?おい、ニーナ!やめろって!オレがわかんねぇのか!」
じたばたと暴れる少年を、ニーナと呼ばれた深い緑色の鱗が美しい飛竜は決して離さず、ちらりとチェザーレを見やる。
「離してやれ、いきなり来た俺たちが悪い。」
散々喚いていた少年の言葉を一切聞かなかったニーナだが、チェザーレの言葉には素直にすとんと少年を降ろす。
ぼすんと床に尻もちをつきながらニーナとチェザーレを見る少年に、兵士が駆け寄り、とても偉いお客さんだよ、と告げてその背を押して立ち去るよう促す。
それに従いながらも納得できなさそうに振り返った彼はチェザーレを睨むように見上げ、
「ニーナはオレの相棒だかんな!」
そう言い残して駆けていった。
その背を微笑ましいものを見るように目で追うニーナ。
「ニーナだったか。お前がここのボスなのか?」
チェザーレの問いかけに、ニーナはこくりと長い首を揺らす。
いざ用件を言おうとしたチェザーレだったが、ふとマリを見下ろせば、当然だが彼らの言葉など分かるはずもない彼女は飛竜たちの鳴き声にぽかんとしていた。
『ボイスコンヴァージョン』
ぽそりと呟いたチェザーレの声に、マリがぎょっとした。なぜならぎゃうぎゃうとしか聞こえなかった飛竜たちの声が、りゅーおーさま!おれはやいよ!わたしは丁寧に飛べるのよ!などと様々な人の声に聞こえるからだ。
思わずチェザーレを見上げるが、彼は口元だけで笑ってニーナへと向き直った。
【初めまして、竜王陛下。ここを取りまとめているニーナですわ。】
優しい声音でそう言うニーナにマリも見上げる。美しい緑の鱗と、優しさが滲む綺麗な茶色の瞳の飛竜だった。
長い首を巡らせ、喧しく騒ぐ他の飛竜を見つめると、途端に静かになる彼ら。
明確な地位がある証拠にぽかんとしきりのマリだった。




