2章
53
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『さて、フェニックスとやらよ…お前の餌はあそこの肉塊だが…今のままでは食い辛かろう…。』
上空を羽ばたくフェニックスに向かって笑うクトゥグア。
ジアンの咆哮による凍化が溶け始め、再び這いずり出したナイアーラトテップへと身体を向ける。
その袖を軽く引かれ、ふと首をめぐらせて袖を引いた小さな手、その先にある不安そうなマリの顔へと向けた。
「チェザーレ…大丈夫…?」
目の前にいる精霊ではなく、依代になった竜を案じるその言葉に、自然、微笑む。
大きな手でマリの頭を撫でながら頷く。
『大丈夫だ。この子は我にとっても我が子のようなもの。心配せずとも直ぐに返す。』
ぽんぽんと軽く撫でてから、再びナイアーラトテップへと向き直る。
彼の中で意識を共有する本人もいたくやる気になったようで自然と口の端に笑みが浮かんだ。
『煉獄の王が命じる。サラマンダー達よ、爆ぜろ。』
そう、口にした途端。
ナイアーラトテップの全身ほぼ全てが爆ぜる。
最初の一発は足元の小さな爆発だった。だがそれは起爆の合図。
瞬く間に誘爆を繰り返し、ナイアーラトテップの全身へと広がる。
『おごぉぉおあぁぁ…ッ…!』
爆ぜた肉塊はモヤとなって再びナイアーラトテップへと戻ろうとするが、そこに飛翔するフェニックスがそれを許さない。
かの鳥から舞い落ちる火の粉が肉塊へと降り注ぐと、輝くような炎となって消えていく。
この世界の生き物では出来ない強力な浄化の炎とこの世界の火を統べる精霊の前で、徐々にその巨体を小さくしていくナイアーラトテップ。
やがてそれは人型ほどの大きさとなり、浅黒い肌と金髪の男へと変じた。
蹲ったその男は、削がれた力と共に抜け出たモヤを取り戻せず、よろけながら立ち上がる。
それでもまだ金の瞳は輝き、マリを見据えていた。
「我が王の宿願を…!」
ふらつく足取りでマリの方へ来ようとするナイアーラトテップに、クトゥグア、ジアンが立ちはだかり、上空でもフェニックスが睨みをきかせる。
『なんつー執念だ…。』
呆れたようなジアンの声に、クトゥグアが紅い瞳を眇めてナイアーラトテップを見遣り。
『あれがこの星に巣食って以降、この時まで、その願いだけで突き進んできたのだ…。執念もあろう。我とて、あの鳳の力なくば、封じれても払うまでには至らぬ。300年前も、その前も、ずっとだ…。だがこの因縁も、ここで終いにさせる。』
静かな声だったが、そこには過去から連綿と繋がる因縁を感じ、ジアンの喉が自然と唸る。
もう目前に迫る、ふらついた男に対する警戒が増した。そして、
トスッ
とても軽い音ともに、ナイアーラトテップが膝から崩れ落ちた。
その背から真っ白な翼が見える。
崩れ落ちたナイアーラトテップを感情のない虚ろな目で見下ろすのは、先程まで呆然としていた筈の、レイナだった。
その手には手のひらに収まるほどの金と黒のモヤが封じ込まれたオーブが握られている。
それを愛おしげに両手で撫で回し、その場に膝を着いてナイアーラトテップを抱き起こす。
「きさ…ま…!まだ、意識が…!」
ごぽごぽと口の端から黒い血を流し、背に穴を開けたナイアーラトテップが、自身を抱きしめるレイナに憎々しげに呟く。
彼の顔はクトゥグア達からは見えない。
満足そうなレイナの綺麗な笑顔と、ナイアーラトテップの背に空いた拳大の穴が見えるばかり。
『私ごと、焼きなさい。』
彼女の口は、そう声にした。
オーブを抜かれて力がでないナイアーラトテップの背に回した手で抱きしめる力を強めて。
その意思に、マリが何かを言うより早く、フェニックスが動く。バサリと彼らの傍らに舞い降り、深紅の瞳でレイナの闇の瞳を見つめる。
そして、
キュオォォ―――…
澄み渡るその声音と共に、レイナとナイアーラトテップが虹色の炎に包まれた。
「やめろ…!離せ…!主に…!我は……ッ…!ガァァァァァ…!」
やがて形すら分からなくなったその炎は、虹の煌めきを残して、消えた。
後に残ったのは、翼を生やした少女と、人型の男が抱き合う黒い炭。
それも、直ぐに風に散り、そしてそこに倒れる少女。
フェニックスはころりと転がってきた黒と金のモヤが渦巻くオーブを嘴に咥え、クトゥグアへと顔を向ける。
クトゥグアもフェニックスに歩み寄り、そのオーブへと手をかざした。
煉獄の炎を手からオーブへと流して中で渦巻く金を赤へと染める。それを見たフェニックスは、黒と赤が渦巻くそれを、コクリと飲み込んだ。
そうして仕事は終わったとばかりに高く鳴き、マリを見つめる。
(また、機会があれば…)
マリの脳裏に響く優しく美しい声音に驚いていると、ばさりと翼を広げて飛び立つ。上空を何度か旋回し、王都の方へと飛び去って行った。
『終わった、のか…?』
ぽつりと呟いたジアンに、キョトンとするマリ。それに何か言う前にシュウシュウと音を立ててジアンの姿が小さくなる。いつものサイズに戻ったジアンはぐったりと地に伏せ、その傍らに銀の美女が現れて膝をつき、彼の鼻筋を愛おしげに撫でる。
『ベルナーヴ、よく持ちこたえたな。』
そう労う彼女にふすんと鼻を鳴らすジアン。
そしてレイナを抱き抱えて戻ってくるクトゥグアへと視線をやる。
「その娘は、生きてんのか。」
『ああ、随分と衰弱しているが、命に別状はない。だが、長く闇に浸っていた、何かしらの後遺症が出るかもしれない。』
そう答えるクトゥグアに、マリが駆け寄る。
「チェザーレ…!幸野さん…!」
『マリ。ありがとう。あの精霊は100年ほど前に死んだ精霊の核から生まれた、新たな精霊となった。お前が力を与え、姿を象った。火を統べるものとして、礼を言う。そして、我が子を頼んだ。』
暖かな紅い瞳を緩ませて、優しい笑顔でそう言って、目を閉じるクトゥグア。
僅かに彼の身体が揺れ、再び目を開いた時には、薄い紫の瞳になっていた。
「おかえり、チェザーレ。」
苦笑しながら言うマリに、ただいま、と返し。
腕で気を失ったままのレイナを一瞥し、周囲を見渡す。
石造りの砦はほぼ全壊。周囲にあった森は焼け焦げたりいろいろと折れたり潰れたりしている。
チェザーレに釣られて周囲を見回すマリとジアンも、どうすんだこれ…というのがありありと浮かぶ。
「砦は仕方ありませんが、この辺り一帯の闇の気配と、自然は私たちにお任せ下さい。」
不意に聞こえた声に、キョロキョロとするマリ。チェザーレもジアンも気がついたのか、ふっと笑う。
ぽんっと音を立ててマリの目の前で花が開き、中から出てきた小さな少女がにっこりと笑って手を振る。
「ティターニアさん!?」
「自然のことは私たちに任せて下さいな!何もお役に立てませんでしたが、ここはしっかりと私たちが生き返らせてみせます!」
ふんぞり返っていう小さな女王にくすりと笑って頷く。
そうやって話し合っていると、砦の方からぞろぞろと騎士たちが現れた。
手には各々武器を持ち、隊列を組んでこちらへと向かってくる。
レイナをジアンにもたれさせるようにして下ろし、再び不安げな顔になったマリの頭を撫でてからチェザーレが騎士たちに歩み寄る。傍らには渋々といった風のセルシウスも。
「竜王陛下…!さっきまでいた化け物は一体…!」
先頭に立っていた隊長と思わしき騎士がそうチェザーレへと声をかける。
「え…?」
その問いかけにレイナを見ていたマリの顔がチェザーレの背へと向けられ、驚愕に目が開かれた。




