2章
52
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『我は混沌をもたらすものなり…我は王に仕えし一翼なり…』
頭に直接響くようなうめき声に近い声にチェザーレとジアンが顔をしかめる。
べちゃ、べちゃ、と絶え間なく形を変える肉塊は手らしきものを作り出してレイナを捉える。
呆然としたままの彼女を護るように翼が身体を覆うが、それを無視して掴みあげ、肉塊の中に押し込もうとして、その手が突如燃え上がる。
炎の鞭をしならせ、レイナを切り離したチェザーレはとりあえずはあの白いのは放っておこうと考え、ナイアーラトテップへと向き直る。
「チェザーレ…!」
背後から聞こえた声に視線はナイアーラトテップに向けたまま、軽く手を振って応え、
「ジアン、そっちは任せた。この汚いのは俺が焼こう。」
「おう。あんま魔力ねぇから手短に頼むぜ。マリ、オレから離れんなよ。」
ジアンと違って飛ぶ術を持たないマリはあの場所から急いで走ってきた。
若干の怪我は見えるが元気そうなチェザーレの姿にほっとしながら、ジアンの言葉に従ってそろりと彼の足元に向かう。
「あれが…さっきの金髪の…?」
問いかけるマリに鼻を鳴らすことで肯定するジアン。
漂う腐臭が鼻につき、優れた嗅覚の持ち主である彼は耐え難いレベルだった。
一応チェザーレが助けたレイナも視界に収めつつ、早く倒してくれ、と切に願った。
一方のチェザーレも、最大魔法であるフレアジャベリン、先程降らせたフレアスターでトドメを刺しきれない敵にどうするか考えていた。
あの巨体になってからはのろのろと動くばかりで避けられることは無いだろうが、当たったところでほぼ意味を成さない気がしたのだ。
『ぐ、ふふ…』
それに気づいてか知らずか、不気味な笑い声を響かせるナイアーラトテップ。
この姿は彼自身もあまり好きでは無かったが、耐久に優れ、かの竜王の攻撃さえもほぼ通らないと自負する。
300年前の竜のように、為す術なく屍を晒す事になるであろうと、内心で嗤う。
この体を愚鈍と侮っているならば尚のことだ。
『フレアジャベリン、フレアスタッカート!』
ふわりと上げた手に、炎が渦巻き、赤毛が熱に舞う。
先程の槍を少しコンパクトにして火の雨として降らせた。
ほぼ全弾当たり、腐臭に混じって焼け焦げたような匂いを放ちながら肉塊のあちこちで白い花が咲き乱れる。
しかし、それも一瞬で消え去り、また蠢く肉塊。
眉間に皺を寄せ、露骨に面倒くさそうな顔をするチェザーレにのそりと巨大な手を作り出し、チェザーレを掴もうと迫る。
しかし、その動きは遅く、チェザーレは余裕をもって飛び下がることで避けようとした。
だが、
「なに!?ぐっ…!」
それを読んでいたかのようにぐにゃりと手の動きが代わり、そして、思わぬ早さに加速した。
迫る手が急激に加速したことで逃れられず、握り込むように捕まるチェザーレ。
少し離れたところでジアンが四肢に力を入れている。
「なめ、るなァ…!」
掴まれて藻掻きながらも自身の周囲に爆発を起こして逃れようとする。
しかし、それを上回るナイアーラトテップの再生力がチェザーレを逃れさせない。
ミシミシと増していく力に、チェザーレの口からゴポリと血が溢れる。
『フレア、トルネードォ!っゲホッ…。』
自身を中心に炎の竜巻を発生させ、周囲を絶え間なく焼くことでどうにか逃れれたチェザーレ。
竜の翼をはためかせ、空へと逃れる。
身体の中への圧迫によるダメージを気にしつつ、獲物が逃れた手をにぎにぎするナイアーラトテップを見ながら口の端を拭う。
(火力不足ってのを認めるのは癪だが…サラマンダー、お前は因縁があるんだったな。なら一つ、暴れてみるか。依代になってやるよ。)
体内で未だ怒り冷めやらぬ相棒にそう提案し、了承を得ると、すっと息を吐いて身体の力を抜くチェザーレ。
その瞬間、体が真っ赤な炎に包まれた。
竜巻のようなそれではなく、火の玉のように渦巻く炎はやがてチェザーレ自身へと吸い込まれ、なんの変化もないチェザーレが、その紅い瞳をナイアーラトテップへと向ける。
『300年前、わが眷属を大いに喰らい、そして我が子の友だった竜までも奪った貴様を、滅する機会を得られたようだ…。』
(ん…?おいまてサラマンダー、お前じゃないのか?)
依代になることで体の所有権を一時的にサラマンダーへと譲渡し、精霊の浄化の力を全力で使ってもらおうとしたチェザーレだったが、どうにも様子がおかしい。
チェザーレの意識の隣に、サラマンダーがいるのだ。
ならば、己の肉体を使っているのは…?
『我が名はクトゥグア。地の底の煉獄に眠る爆炎の主。』
その名乗りを聞いた瞬間、ナイアーラトテップもちろん、中で聞いていたチェザーレも驚く。
(母上の契約精霊…!?なぜ…)
チェザーレの困惑に、彼の体を借りたクトゥグアが彼の顔で笑う。
『なに、先程我を喚んだだろう?ブラストエクスプロージョンを介して見たアレに、見覚えがあってな…。あれは、この世界のものでは仕留めきれん。』
クトゥグアの言葉に訝しむチェザーレ。
しかし、聞こうとする前にナイアーラトテップが動き出す。
『ぐ、ふふ…よもやお前が出張ってくるとは…だが!浄化の炎なぞもう効かぬ!』
呻くような声が頭に響く、そして見た目よりもずっと素早い動きでクトゥグアへと手を伸ばすナイアーラトテップ。
『300年前は、かの竜の力をもって貴様を追い払ったのだったか…。だが、お前とて知らぬわけでは無いだろう?この場には、この世界のものでは無い力が、ある。』
そう不敵に笑い、迫り来る腕を掻い潜ってぱちんと指を鳴らす。
途端に空に火の玉が生まれ、それは槍と化してナイアーラトテップを襲う。
チェザーレが使った魔法ではあるが、威力も規模も段違いだった。
絶え間なく降り注ぎ、炎を産んで爆発する槍に足止めさせ、クトゥグアがふわりと飛ぶ。
遠くで見ていたジアンたちの方へ。
『マリ。訳あっていまこの体を借りている精霊だ。お前の力を貸してほしい。』
ふわりとマリの前に降り立ったクトゥグアは、紅い瞳をマリに向けて、そう言った。
見た目はチェザーレなのに、全く雰囲気が変わるその姿に、最初はびくついたマリだが、するりと肩にはい出てきたエンが大丈夫だよ、とでも言うように肩を前足で叩く。
「私に、出来ることなら…。」
『むしろお前にしか出来ない。以前、鳥を象った髪飾りを手にしただろう。あれはあるか。』
そう尋ねてくるクトゥグアに、ポーチへと手を伸ばすマリ。
少し前までは付けていたが、無くすと困るのでポーチに入れておいたのだ。
手をポーチに入れて髪飾りを思い浮かべる。
そっと手に収まるそれを取り出し、彼の前に差し出した。
『いや、我に預けるのではなく、お前が使うのだ。我はその手助けをするに過ぎない。』
その手をそっと包み込んで握るようにし、マリの方へ軽く押すクトゥグア。ついでに髪飾りに火の力を込める。
ほのかな温かみを持ち出した髪飾りは、鳥のおの所にある宝石が赤く輝く。瞳の宝石こそまだ輝いていないが、うっすらと紅いモヤを纏いだした。
『おっと…どうやら足止めから抜け出してきたな…。』
背後を見もしないで呟くクトゥグアに、ジアンが動く。
ガオオォォォオオーンン…!
氷の魔力を乗せた咆哮を放ち、火の手から逃れたナイアーラトテップを凍らせていく。先程まで灼熱に晒されたその肉塊は、一気に凍結され、衝撃ひとつで脆く崩れていく。
だがそれを気にした素振りもなく、ずるずると巨体を這わせるナイアーラトテップ。
『焦るな、ナイアーラトテップ。貴様を焼き焦がすのは、我ではない。』
マリがぎゅっと握った髪飾り。
その手に自身の手を重ねるクトゥグア。
『マリ、喚ぶのはお前でなくてはならない。思い浮かべろ、浄化の炎を象った、お前の世界にいるものを!』
その声に釣られ、マリはぎゅっと目をつぶる。
脳裏に描くのは、かつて図書館で見て憧れ、仮想の物語の中で美しく羽ばたく真っ赤な炎の鳥。
『フェニックス…!』
意識せずに声に微かな魔力が宿り、髪飾りが持てないほどに熱する。
思わず手を離したマリだったが髪飾りは落ちきる前に拳大の炎に包まれた。その炎は打ち上がるように空へと上がり、巨大な炎に膨れ上がり…その炎が紐解けるようにするすると消えていく中に、体を丸めた火の鳥が見える。
ゆっくりと長い首を起こし、紅い瞳で周囲を見回す。
徐に翼を羽ばたかせ、火の粉を撒き散らしながら眼下で起きていることを把握した。
キュアアアァ…。
澄み切った声を轟かせ、異形の肉塊へと翼を向ける。




