2章
51
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落下していくマリの下に銀色の狼が飛んでいくのを目にしてから、目の前にいる黒い竜人モドキへと視線を戻す。
この世界に住まう生き物のほぼ全てを記憶として受け継いでいるチェザーレだが、ナイアーラトテップという名の生き物は知らなかった。
何より外界の王という言葉に、言いようのない不快感を感じた。
同時に、ナイアーラトテップが纏う黒いモヤ、闇と魔の気配を凝縮したようなそれを纏い、闇に堕ちずにいる事が不思議だった。
そのことも含めて聞かせてもらおうと、バキリと鱗に覆われた指を握るようにして鳴らす。
その仕草に誘われるように周囲にいくつもの火の玉が生まれ、顔ほどの大きさまで膨れ上がってから意志をもったようにナイアーラトテップへと飛来する。
黒いモヤをマントのように翳して纏い、それらを飲み込みながら口の端を上げて嗤うナイアーラトテップ。
ある程度捌ききった後に漆黒の爪を翳して飛びかかった。
「捕らえろ。」
ただ一言。そう言ったチェザーレの言葉に、サラマンダーが応える。
目の前まで迫る黒い腕に炎の鞭が絡みつき、爪の軌道が逸れる。黒いモヤを炎の浄化によって焼くことで、鞭の拘束力は増していき、ジリジリとナイアーラトテップの腕を焼く。
足を止めて、腕を振るうことでモヤを増し、炎の鞭の拘束を断ち切って眉間に皺を寄せてチェザーレを睨むナイアーラトテップ。
これぐらいの炎では浄化などされないが、チリチリとした痛みが癪に障る。
「ならば…捕らえろ。」
チェザーレの言葉をマネるかのようなナイアーラトテップの言葉に、周囲に散ってたモヤが反応し、蛇のような姿でチェザーレを締めあげようと襲いかかるが、周囲に小規模の爆破を起こして蛇を近づけさせないチェザーレ。
しかし、小規模の爆破の奥でナイアーラトテップがすっと手を空へと掲げる。
爆破を纏ったまま飛翔し、得体の知れない動作を止めようとするチェザーレを押しとどめるかのように蛇の襲撃が苛烈さを増す。
「鬱陶しい…!爆ぜろ!」
周囲の爆破の威力を上げた矢先、耳に低い声が届く。
『宵闇の深淵にて眠り、重苦に蠢くものよ。猛る怒槌となって降り注げ。アビスサンダー!』
途端、蛇だったものは黒い稲妻へと姿を変えて爆破を超えてチェザーレへと届く。
黒い稲妻はチェザーレの鱗を焼き、肌を焦がした。
「ぐ、ぅっ…!」
体の至る所から細い煙を上げながら痛みに耐えるチェザーレを、楽しげに見やるナイアーラトテップ。
その余裕の顔を紫の瞳が睨み、そして小さく呟く。
『フレアジャベリン』
聞き取れないようなその唇の動きを警戒するナイアーラトテップだったが、唐突に彼の体がぐらりと揺れた、そして背から腹へと突き刺さる深紅の槍。
「ガッ…!?いつ、の…まに…!」
ごぽりと黒い血を吐きながら槍を引き抜こうとするが灼熱の槍は傷口を焦がすばかりで一向に抜ける気配がない。
ナイアーラトテップの全身ほどもある長槍は徐々にその熱を増して赤からオレンジ、オレンジから白へと色を変えていく。
『花弁け』
苦しむナイアーラトテップへと下されるのは熱い魔法とは真逆の冷えた声。
その声に反応し、真っ白に染まった槍の先端が割れ、美しい花となって開いた。
そして、真っ白な炎となって散り、貫いていたナイアーラトテップごと白い炎が包み込む。
火炎禁忌魔法、フレアジャベリンは触れることの叶わない気高き華。
一瞬だけ咲く真っ白な華を見ながら姿をも残さず塵となって消える魔法。
先程火の玉を飛ばした時に、1つだけ遠くへと飛ばし、隠していたそれを槍へと昇華させてぶち抜いたのだ。
白い炎を油断なく見つめるチェザーレ。
彼の友であるサラマンダーが、あれを燃やすには足りない、と囁く。
言葉通り、ナイアーラトテップは白い炎を耐え抜き、手足の先や尾の先を炭化させて崩しながらその姿をまだ保っていた。
「く、ゥ…。っふふ…」
微かな笑い声を聞き咎め、脳まで焼いてしまったか?と怪訝に思うチェザーレに、金の瞳を輝かせて顔を上げた。
(瞳の色が…?)
より一層怪しむチェザーレに対し、炭と化した腕を無造作に払い、モヤを纏うことで再び黒い鱗のある手足と尾に変わる。
腹に空いた大穴も、じわじわと再生されている。
並の生き物ならば確実に致命傷のそれを、瞬く間に癒してのけ、不敵に嗤う。
瞳の色が金に戻った分、ナイアーラトテップの周囲を覆うモヤが濃くなり、バチバチと黒い稲妻となって蠢く。
面倒くさそうに眉を顰めるチェザーレに、ひとしきり笑ってスッキリしたような顔をするナイアーラトテップ。
「成程…当代の竜王の力、こんなものか…。その程度の火ならば、我を燃やし尽くすには足りんなぁ?」
煽るような言い分に一瞬チェザーレの周囲の熱が跳ね上がるが、浅く息を吐くことで激昂しかけた友を宥めるチェザーレ。
「これならば300年前に我の邪魔をしてくれたあの死にかけの竜の方が遥かに強かった。」
だが、ナイアーラトテップがそう口走った瞬間、チェザーレの周囲が猛烈な勢いで誘爆した。
それは、チェザーレの記憶にはないものの、共にいるサラマンダーが覚えていたこと。
300年前、チェザーレの前に共にいた穏やかで優しい竜の事。
その事を指す言葉に、チェザーレが抑える間もなく、サラマンダーが激昂した。
「…っ、おい、落ち着け…!」
ナイアーラトテップよりも体内で渦巻く怒りに満ちた灼熱の炎の方が扱いづらい。
胸元に手をやってサラマンダーを落ち着かせようとするチェザーレに、すっと手を上げて再び黒い稲妻を放つナイアーラトテップ。
その稲妻を一身に浴びながら体内で荒れ狂う精霊へと意識をむけ、自身に同調するように諭す。
「ってぇ…、だがお陰でサラマンダーの目が覚めた。そこは礼を言っておきたいな。ついでだ、プレゼントも受け取ってくれ。」
ほんのわずか前まで、稲妻により痛みに歪んでいた顔を上げ、不敵に笑い返すチェザーレに、今度はナイアーラトテップが訝しがる。
そして、自身がなにかの影に入ったことに気づいて思わず顔を上げた。
そこには、はるか上空から降ってくる1つの巨大な火の玉。
みるみるうちに大きく、速さを増すそれはナイアーラトテップ目掛けて落ちてくる。
それから逃れようと咄嗟に転移魔法を準備するが、チェザーレから伸ばされた炎の鞭が腕ごと胴体へと巻き付き、抵抗を許さない。
「ぐっ、お前も巻き込まれる気か…!」
「俺は何ともねぇんだ、よ!」
炎の化身たるサラマンダーを宿す身だ、灼熱の火球など浴びても火傷することは無い。
そして、鞭をしならせて肉薄し、再び炎の槍で腹を貫く。
ガッチリと密着した2人を包むように、火の玉が着弾し、大きな爆発を伴って2人を上空からたたき落とした。
「ガァァァァァァッ!」
身体の中と外を焼く凄まじい熱に、ナイアーラトテップは叫ぶが、その喉すら焼き払う。
やがて地面へと激突した2人は、土埃が晴れる頃、地面に倒れ、炎の槍に串刺しにされたナイアーラトテップと、それを押さえつけるチェザーレという形だった。このまま地面に縫い付けて、聞けることを聞こうとした矢先に、白い何かが飛来し、チェザーレへと突進してぐらつかせる。
流石に槍を離すことは無かったが、腰に絡みつく白い何かを目視し、翼のある少女の姿だと認識した頃にジアンが駆け込んできた。
『いきなり飛んでったと思ったら…墜落したのか?』
ジアンの冗談に、鼻を鳴らしつつ、腰の少女を無造作に振り払ってから自分の下で槍を掴むナイアーラトテップへと視線を戻す。
「まだ火力が足りないんだったな?なら、このまま花開かずに燃やしてやろう。そうすれば口も開きやすくなるだろう?」
冷徹な声と冷えた笑顔でそう言うチェザーレに、口の端から黒い血を零しながらナイアーラトテップの金の瞳が輝く。
「ふふ、フフフフ…。見くびっていたことは謝ろう、だが、それでも足りん!」
叫ぶような声と共に掴まれていた槍が黒く染め上げられる。
やがてそれは柄まで達し、咄嗟に手を離して距離を取るチェザーレ。
むくりと起き上がり、漆黒の槍をそのまま腹に収めたナイアーラトテップは徐々にその人らしい姿を無くしていく。
やがて周囲に広がるのは耐え難い腐臭と、黒とも紫とも黒ずんだ肌の色とも見える不快な色の肉塊。
もともとが人型だったそれは、いまやほとんど形がない上に徐々に大きくなっていった。
耐え難い腐臭に顔を歪めながらそれを見上げるチェザーレ。
「それが本性、ということか…!」




