2章
49
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『おい、なんだあれ…!』
北の都の上空、ジアンの鼻が逃げた少女の血の匂いを追ってそびえ立つ砦へと向かっていると、石の砦の天井をぶち破って現れる黒いドロドロとした異形の存在が目に入る。
溶けたチョコレートを被ったかのようなそれはもぞもぞと砦から這い出て、自らのどろりとした手を見て声にならない叫びを発し、周囲を見渡す。
まるで何かを探すようなその仕草ののち、見つからなかったのか手当たり次第に砦を破壊し始めた。
『おいあれ…レイナってやつの匂いがする…!』
『なに?!取り込まれているのか…?』
うぞうぞと動く異形は、チェザーレ達を視界に入れたのか、ブルリと震えて、手を伸ばして捉えようとしてくる。
『とりあえず、…サラマンダー!!!ぶちかませ!』
詠唱破棄どころか漠然としたやることだけど伝えるという大雑把な魔法が精霊の力によって行使された。
異形の顔面辺りに巨大な連続爆発が起き、肌を焼く熱が気流に乗ってジアンの毛皮を撫でる。
『ぶちかませ、で、炎の最上位魔法ぶっぱなせんのかよ…。その顔じゃあんま分かんねぇけど、お前相当怒ってんのな…。』
若干引いたようなジアンの声などどこ吹く風の如く聞き流し、眼下で蠢く異形を睨むチェザーレ。
爆炎魔法もたいして効果がないのか、もがきはするもののそれが返ってじたばたと暴れる結果になり、より一層砦が破壊されていく。
レイナの匂いは相変わらずするが、どこにいるのかまでは分からない。何より、チェザーレはそれを知っても尚躊躇いなく魔法を使った。
彼女の事など度外視しているという意思に、ジアンも何が一番で、何が最優先かを再確認した気でいた。
『とりあえず、あの分厚い化粧を剥がねぇ事には話も聞けねーわな…!』
ふすんと鼻を鳴らし、空中に氷の道を作りながら駆ける。
異形へと肉薄し、鋭い爪をもってどろりとした身体を引き裂くが、べちゃっと黒い物が飛び散るだけでダメージは伺えない。
軽く舌打ちし、至近距離で吼えて氷のブレスを吐きつける。
ブレスが当たったところは白く凍り始め、そこを狙って再び爪を振るう。
今度はバキッという音ともに、剥がれて崩れ落ちたが、如何せん異形は巨大で、崩れ落ちたのもごく一部だった。
そして、崩れ落ちた箇所に再びモヤがまとわりつき、じわじわと体積を戻していっている。
『これは…チェザーレ!一気にやんねぇとラチがあかねぇぞ!』
ジアンの存在を鬱陶しいと思い始めたのか、伸びてくる手を掻い潜りながらチェザーレへと声をかけると、ジアンの目前にあった手が炎に包まれ、怯んで止まる。
その隙に空へと駆け上がり、チェザーレに並ぶジアン。
異形は届かないその位置の2人へと手を伸ばし、掴もうともがいている。
『多分あのレイナって娘は腹の真ん中ぐらいにいると思う、匂いが遠いというか、薄い。』
気にしていないかもしれないが、念の為そう言うと、異形の動きを目で追うチェザーレがこくりと頷いた。
『爆炎魔法で吹き飛ばす。あれに何が出来るとは思えないが、一応注意を払っておいてくれ。吹き飛ばしたあとに、腹の中に何があったら、咥えて取ってこい。』
まるで犬にでも命令するかのような言い方だが、王の威厳のようにも感じられ、ぞくりと笑うジアン。
任せな、とそう言うや否や、氷を纏って異形の周囲を駆け巡る。
『大地の底にて眠る爆炎の主よ。我が身を依代に力を貸せ!ブラストエクスプロージョン!』
詠唱と共にチェザーレの炎のたてがみが燃え広がり、白く熱を上げていく。
周囲はその熱によりぐにゃりと景色が歪み、息苦しいほどの暑さをもたらす。
ジアンの中で力を貸しているセルシウスが嫌そうな意志をジアンに伝え。
真っ白な炎のたてがみが爆音をもって魔法の行使を知らせると同時に、大急ぎで距離を取った。
異形の、手、顔、腹、形のない下半身。
おおよそ真っ黒の全身の中から、オレンジの光が漏れ出す。次いでくぐもった爆音。
そして、手先から、顔から、横腹から、べちゃべちゃと体の一部を撒き散らしながら連鎖していく爆発。
かつて、アーカイドの血管を沸騰させた魔法をより凶悪にしたようなその魔法は、爆炎魔法の禁呪だった。
連鎖する爆発の中、腹の付近へと目を凝らすジアン。
おおよそ形らしい形を失った異形が崩れ落ちる寸前に、キラリと光を跳ね返す丸いなにかを見つけ、飛び込む。
ガキリ、と思いのほか硬かった丸いものを咥え、そのまま砦の無事な辺りに降り立ってそっと置く。
そしてチェザーレを見上げれば、白いたてがみがゆっくりと赤い炎へと戻っていく中で、じっと空の一点を睨んでいる。
視線の先には何も無く、ジアンの鼻にも何も嗅ぎ取れない。
しかし、かすかにこの場にマリの匂いが残っていた。
しかし姿は見えない。あのイラつく金の瞳の男もだ。
ならば、チェザーレが見ているのはそこなんだろう。
ジアンは何時でも割って入れるようにチェザーレの動きを見つめる。その足元で、丸い何かに僅かにヒビが入っていた。
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「爆炎魔法の禁呪までも使いこなすか…さすがと言うべきか…」
空の高いところで見物を決め込んでいたナイアーは顎に指をやって僅かに驚いたように呟く。
傍らで見ていたマリは、丸いものを咥えたジアンを目にし、きっとあの中にレイナがいると思い、そっと胸を撫で下ろした。
そして、チェザーレの紫の瞳がじっとこちらを見て居ることに気がついた。
ナイアーも勿論気が付き、ちらりとマリを見やる。
「そうか、あの小さな騎士。あれの気配を察したか。」
呟くナイアーに思わず胸元に手をやるマリ。
恐らくはエンのことを言っているのだろう。
やれやれと大袈裟に息を吐き、隠蔽の魔法を解くナイアー。
ふわりと近くまで飛んでくるチェザーレに、慇懃に礼をし、
「初めましてだな、我が名はナイアーラトテップ。外界の王に使えし使徒の一翼。」
そう言ってマリの腕を引き、ぐっと抱き寄せてから挑戦的にチェザーレへと金の瞳を向ける。
『外界の…?なぜマリを狙う?』
「この星を我が王のものにするため。この娘は、その為に喚ばれたのだ。」
そう話して聞かせながら指先でマリの顎をぞろりと撫でる。嫌そうに顔を顰めて背けるマリに嗤い、撫でていた腕を払って自身の周囲に黒いモヤを纏い、それがチェザーレを阻むように蠢く。
『聞きたいことが余計に増えたな。半分ぐらい残っていれば喋れるか?エン!顕現しろ!』
チェザーレが冗談めいて言った後に、鋭く命じる。
それに応えたエンは素早く顕現し、マリを抱くナイアーの手を焼き払う。
普段は小さな炎ぐらいしか吐けないが、チェザーレから力を与えられたエンは彼の言葉に従うことで一時的に炎の力を増していた。
腕を焼かれた事で咄嗟に力が緩み、マリから手を話すナイアー。
手を離されたマリは当然、ナイアーの力の範疇から逃れ、重力に従う存在となる。
つまりは、落ちる。
「え、え?っきゃああああぁぁ!」
悲鳴を残しながら落下するマリ。泡を食ったように追おうとするナイアーの行く先に紅い巨体が割って入ることで遮る。
「っ、!いいのか?あの娘が真っ赤な花になって死ぬぞ。」
眉を寄せて言うナイアーに、牙を見せて嗤うチェザーレ。
『あいにくと、取ってこいが得意な番犬がいるのでな。お前は精々口がなめらかになる魔法でも唱えておいてくれ。』
喉の奥で低く唸りながら言うチェザーレに、ナイアーの金の瞳が煌めく。
周囲のモヤを取り込み、金だった瞳が闇色に染まり、バキバキと音を立てて肘から先が黒く太い腕へと変じ、鋭い爪に変化する。
ミシミシと音を立てて顔に黒い鱗が走り、太い尾が生える。
さながら黒い竜人のような姿になったナイアーに不愉快そうに紫の瞳を眇めるチェザーレ。
そして、自身も炎に包まれ、ナイアー同様の竜人の姿になることで対等を表した。
「面白い真似をしてくれる…。」
黒いモヤと、赤い炎が、2人の周囲を踊り舞うように広がり、空を染め上げる。




