2章
42
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翌朝、日が登り出す頃に眠い目を擦りながらテントから出てきたマリに、伸びをしながら挨拶するジアンとチェザーレ。
手早く身支度し、パンと炙った干し肉で朝食を済ませてからテントを畳む。
中の調度品ごと畳んでしまえる凄さにあっけに取られるマリだった。
街道へと戻り、道に沿って歩き出す。時折荷馬車や乗合馬車とすれ違ったり、追い越されたりしながら日が沈む前には逸れて野営をする、という日を3日ほど繰り返した。
相変わらずマリは獣を捌くことは出来なかったが…。
そんなマリたちの前に、昨日まで見ていたものと違うものが映っていた。
昨日までは街道と、少しの林だったり広がる草原だったが、マリ達の視線の先には深い緑に包まれた、大きな森が見える。
この森を通らなければいけない、などという訳ではなく、街道はこの森をぐるりと迂回して続いている。
当然マリ達も迂回しようとしたが、ジアンとチェザーレが森の方をじっと睨んでいる。
「どうしたの?」
キョトンとしたマリが問いかけると、森から視線を外し、いや、と首を振るチェザーレ。
「この森、幻覚魔法の匂いがするぜ…それと、血の匂いだ。」
空へと鼻先を向けたジアンがそう呟き、マリの顔に緊張が走る。
一生懸命森を見るが、マリには沢山の木々しか映らない。
「幻覚魔法に関しては妖精でも居るんだろうが…血の匂いか。気にはなるな。俺が見てくる、お前たちは少しだけ待っていてくれ。」
難しい顔をしたままのチェザーレがそう言い、ジアンとマリはすぐ近くの拓けた場所を休憩地と決めてチェザーレを待つことにした。
マリたちを残し、森に入ったチェザーレ。
入った瞬間に彼を襲ったのは強烈な違和感だった。
これだけの規模の森なのに、何故か静かで、そして緊張を孕んでいる。
周囲を見渡し、探るように歩を進める。
しかし、いくら歩いてみても、明確な異常は分からない。ただただ妙な違和感だけが付きまとう。
不快気に眉を寄せ、切り上げようとした時に、背に刺さる強烈な殺気を感じて振り返った。
しかし、そこにはなんの生物も居らず、殺気も振り返った瞬間に幻だったのかのように霧散する。
募る違和感に苛立たしげに周囲を伺うが、それ以降、チェザーレの周囲には何も起こらず、マリ達の所へと戻った。
森から出てきたチェザーレが見たのは、小柄な老夫婦とにこにこと話すマリだった。
傍らで寝そべるジアンが警戒していないということは害は無いのだろうと踏んで歩み寄る。
「あ、おかえり!」
チェザーレに気がついたマリはそう出迎える。それに頷いて答え、ちらりと老夫婦に視線をやって、チェザーレがびしりと固まった。
顔にはありありと驚愕が見て取れる。
ジアンも気づいていたのか、だよな、としたり顔で頷く。
マリだけがどうしたの?と問いかけてくるがチェザーレの中ではそれどころでは無い、どうするか判断に迷っていると、
「おお、これは強そうなお兄さんだ…!もし冒険者の方ならば、頼みを聞いちゃくれんかの…。」
マリと話していた男性の方が振り返り、人の良さそうな笑みを浮かべて言う。
女性の方も振り返り、ぺこりと頭を下げた。
「頼み…?」
眉を寄せたチェザーレに、うむ。と頷く老人。
手にしていたカップに残るお茶を見つめた後に森の方へと視線をやる。
「お兄さんは今しがたあの森から戻ってきたな?どうじゃった?違和感を、感じなんだか?」
その問いに座りかけたチェザーレが止まる。
老人に鋭い視線を向けながら、こくりと頷いて、そのままマリの隣に腰を下ろした。
手早くお茶を入れてくれたマリに礼を言って受け取り、老人の言葉の先を促す。
「わしらはあの森に住んでおるんじゃが、つい先日から森全体があの様な違和感を発するようになってな…。夜になるとなにか大きなものが森をうろうろと動いておるんじゃ…。わしらは魔除のお守りのお陰でそれにはまだ見つかっておらんが、時間の問題じゃろう…それで北の都に助けを求めに出てきたんじゃ。」
恐怖を思い出したのか、老人の隣に座っていた老婆の顔色が悪い。
老人の訴えに僅かに思案するチェザーレ。
マリの方を伺うと、ぱちりと黒い目とかち合った。
「チェザーレの思うようにしていいよ。」
はっきりとそう口にするマリ。
ジアンを伺うとぱたぱたと適当に尻尾を振られた。任せるとの事なのだろう。
再びマリに視線を戻し、こくりと頷いた。
「通りかかった縁という事にしておいてくれ。」
苦笑混じりにそう言うと、それでいいよ、とマリも笑う。
ほんの少ししか話していない老人たちだったが、不思議とマリにはとても優しく感じられた。自分は恐らく役には立たないだろうけど、チェザーレとジアンがいるのだ、不安などなかった。
「その話、俺たちで確認してみよう。俺たちで駄目なら北の都に助けを求めに行こう。」
マリから視線を外し、老人に向かって力強く告げた。
「おお…よかった…。ならばとりあえず夜までは我が家へお越しくだされ。」
老人の提案に頷き、座っていた腰を上げて、出発する一行。
意外としゃんと歩く老人たちに驚きつつも森へと足を踏み入れた。
チェザーレと老夫婦にとっては何度目かの違和感、ジアンとマリにとっては初めてのそれに、思い切り顔をしかめる二人。
「なんだろう、何もわかんないけどなんか気持ち悪い。なんか、そう…見張られてる?感じがする…」
強烈な違和感に対してマリが感じたのは視線に似ているという事だった。
それに関しては一同同じようで、沈黙と頷きで返す。
森の半ばにあるという老夫婦の家まで、チェザーレはしきりに周囲を伺い、ジアンも頻繁に空へと鼻先を向けていた。
そうして2時間ほど歩いただろうか。
下草の生い茂る森の中、しかも警戒しながらというのもあり、歩みはいつもより遅く、拓けた場所に出た時にはほっとしたマリだった。
その拓けた場所の中心には見上げて有り余るほどの巨大な木が生えていた。
老人曰く、この木は大きな岩を抱えて成長したらしく、根元が大きく膨らんでいた。
そして長い時のいつか、その岩を取り除いた者がいたらしい。
老人たちがここに来た時にはこの木は、根元に大きな空洞を開けたままだったという。
そこを改造し、住処とした、と笑っていた。
天然のログハウスにぽかんとするしかないマリだったが、この周囲には、あの強烈な違和感がないことに気づく。
「この辺りには昔貰った魔除のお守りが埋まっておてな。森の異変を食い止めてくれておるんじゃよ。」
ログハウスへと案内しながらそう言う老人。
木のドアを開けて、どうぞ、と室内へと促される。
天井や壁の一部が木そのものでできており、思ったよりもずっと広い。
小ぢんまりしたテーブルと椅子、仕切りの向こうはキッチンだろうか。
窓のような隙間の傍には揺れる椅子と編みかけの編み物が置いてあり、奥にはドアが見える。
寝室のようなものかもしれないと、ざっと見回して思う。
「何分二人暮しだからのぅ、狭くてすまんね。」
そういう老人はよっこいせ、という声とともに椅子に腰掛けた。
老婆はお茶をいれてくるわね、と衝立の向こうへと姿を消す。
適当な床に寝そべるジアンと、窓際に背を預けて立つチェザーレ。
マリはどこに座ろうかと視線をさ迷わせ、ジアンがぱたぱたと尻尾で床を叩く音に振り返り、その傍らへと腰を下ろす。
「客用の椅子なぞ無いもんで…申し訳ない…。お、そうじゃまだ名乗っておらなんだ。わしはオーべ、妻はティーナという。」
ぺこりと頭をさげるオーべ。マリ達も名乗りを返し、ティーナからお茶を受け取って詳しい話を聞こうと促した。




