2章
31
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マリが城から旅立つ2日前の夜、迎賓館の自室でレイナは1人、ソファに座ったままオーブを見つめて考えていた。
正直、扱いに困っていたのだ。
このオーブに封じられた魔物はドッペルゲンガーという魔物であるらしきことは、特徴を言ったらトオルが教えてくれた。
その上でこれをどう使うか…、思案に暮れていると、外から窓を叩く音がしてそちらへと向かう。
そこには先日寝た兵士がレイナに嬉しそうに微笑んでいた。
「まだ任務の途中だから部屋には行けないけれど、君が面白い話はないか?と聞いていただろう?数日後に、南都マグニルの領主の跡取りが恋人をお披露目するのに盛大にお祭りをやるそうだよ。」
その話を聞いて、レイナの琴線に引っかかるものがあった。
ありがとう、と綺麗に微笑んで窓から身を乗り出し、兵士の頬に軽く口付ける。
そうして上機嫌で去っていった兵士を見送り、再びソファへと身を沈めた。
「問題は…移動手段ね…ねぇ、いるのでしょう…?でてきなさいよ。」
細い指を顎に当て、暫し悩んだ後に自分が座るソファの向かいのソファに視線をやってそう言う。
そこには誰もいなかった。
居なかったが、レイナの声に応じるようにモヤが渦を巻き、やがてローブ姿の長身の男がソファに腰掛けた状態で姿を現した。
「そろそろ呼ぶ頃合いだと思っていたが…我になにを求める?」
口ぶりからレイナがなにをしたいのかを察しているようで、楽しげに笑っている。
ローブから覗く浅黒い肌に、癖のある金髪と先日見た時は闇色の瞳だったが、今は金の瞳だった。恐らくこちらが本来の色なのだろう、チェザーレほどではないが、この男の容姿もまた、人外めいて整っていた。
「移動手段よ。南都に行きたいわ。それも、誰にもバレずに、マリたちより早く。」
「あの小娘たちが南都にいくという保証はあるのか?」
「あるわ。行くかどうか分からないんじゃない、行かせるようにすればいいだけの事よ。」
なんでもない事だとばかりに言ってのけるレイナにくつくつと押し殺した声で笑って答える男。
「良いだろう、我が運んでやろうとも。それから…我はナイアーとでも呼べ。」
そういって立ち上がり、場所を決めて魔法を行使すべく纏っていたモヤを体内に取り込む。金の瞳が闇色に染まった。
「ちょ、ちょっとまって…!こんな所で魔法なんか使ったらバレちゃうわ!」
慌ててオーブを抱えたレイナが立ち上がり、ナイアーへと駆け寄る。
「問題ない。先日と違い、今日はお前が、我を喚んだ。つまり招き入れたのだ。城の防衛機能が反応することはない。」
その言葉にぞくりとしたものを感じたが、レイナは言葉に出来ずに押し黙った。それを了承とみなしたのか、ナイアーの浅黒い腕がレイナの肩を抱き、ふわりと足元から魔力の風が立ち登る。
ナイアーの金髪とレイナのブラウンの髪が風に舞う。薄く目を開けて指先で空に何かを書くように動かせるナイアー。
『空を駆ける風の流れを止めるものよ、数多の時を冠する王よ、この場この時と南都マグニルを繋ぎ、我らをかの地へと誘え。タイムテレポート』
詠唱が完了した時、ナイアーとレイナの身体にふわりとした浮遊感が襲う。それに眉を寄せて思わず寄り添うナイアーにしがみつくレイナ。
ナイアーもまた、レイナの肩をしっかりと抱き、固定する。
僅かの間の後に空気の変化を感じて目を開けると、そこは夜の庭園だった。
城とは趣が違い、小ぢんまりとした貴族の屋敷も見える。
「誰かいらっしゃるの…?」
その庭の隅に転移したようだと理解した瞬間に声をかけられて硬直するレイナ。
サクサクと芝生を踏み分けて姿を見せたのは金髪に黒い瞳が美しい女性だった。
咄嗟にナイアーを見上げるレイナ。
その意図を汲んでか知らずか、ナイアーが即座に動く。その女性の背後に回り、頚椎にバチっと紫電が走ったかと思えば、かくりと力が抜けて倒れ込む女性。それを片腕で抱えてレイナの方を見やる。
「丁度良かったな、この娘が領主の息子の婚約者だ。」
そう告げると、そのまま女性を芝生へと落とす。彼女を跨ぎ越えてレイナの元に戻り、あとはお前がやれと言わんばかりに顎をしゃくる。
「そのオーブに願え、お前がなにを望むかを。なにをそいつにさせたいのかを。」
そういって背中を押される。
よろけるように芝生に倒れ込む女性の前に歩みでるレイナ。抱えていたオーブをしっかりと胸元に寄せ、愛されるべきは自分であると、マリなどではない、私であると、その為にこの女性に代わり、マリを害せよ、と強く願う。
オーブの中にいた魔物はその感情を受け取り、どろりとそのモヤを蠢かせた。
そうして、レイナはオーブを芝生へと叩きつける。
途端に広がるどす黒いモヤに、びくりと後ずさるが、モヤは芝生に倒れ込んだ女性へとまとわりつき、その姿を包み込んだ。
そうして、ゆっくりとモヤが動く。
倒れていた女性と寸分の違いない姿で起き上がり、ニタリと裂けるように笑った。
ナイアーの転移の力で迎賓館へと戻り、そのままベッドに倒れ込むレイナ。
先程見た光景はとても衝撃的で、とても魅力的だった。なぜなら自らの手を一切汚さないままに目的が達成されるかもしれないのだ。
過去、現代日本にいた頃は足がつくのが怖くて色々と出来なかったことが、いま、ここでは出来る。
チラリとベッドの傍らに立つナイアーを見やるレイナ。
先程まで闇色だった瞳は美しい金色に戻り、冷たい光を発するようにレイナに向けられている。
そのまま細く白い手をナイアーに向けて差し出すと、それを浅黒い男の手が絡めとる。
絡んだ手をぐいっと引き寄せれば、ベッドへと上がってくるナイアー。
金の髪へと手を滑らせ、誘うように微笑んで間近で金の瞳を見つめ返す。
感情の昂りをそのままに縺れるようにベッドへと沈む。
(他愛ない…人間など、所詮は浅い知恵の生き物でしかない…)
深夜、むくりとベッドから身体を起こしたナイアーはレイナの寝顔を見ながらそう思う。
この娘が好みそうな顔に作り替えた甲斐があったという結果が今の状況だが、これで一層この娘はナイアーの思うように動くことだろう。
ふと窓の外を見ると、綺麗に輝く月が覗いていた。
それを目を眇めて見遣り、月から己を隠すようにカーテンを閉める。
その振動が伝わったのだろう、レイナが目を覚まし、するりと背に抱きついてくる。
可愛がるように艶のある柔らかな髪を撫でて体の向きを変え、レイナを押し倒すように再びベッドへと身を沈めた。
(…っ、ふふ…こんなに夢中になってくれるなんて…これでもっと、沢山の事が可能になるわ…そうすれば、きっとあの方も…)
ナイアーの思惑など知らず、レイナもまた打算に満ちた気持ちでいた。
身体を許し、大切そうに扱われることで昂った感情と自尊心が満たされていく。
そしてこの男は魔法が使える。多くの事も知っているだろう。何より、レイナの好みの顔をしていた。
眠るまでの僅かな時を、レイナは楽しげに笑っていた。
脳裏には赤毛の男を思い浮かべて。
パキン、と黒い宝石が割れる音が静かな部屋に響いた。
その音に読んでいた絵本から顔を上げたレイナ。
黒い宝石はナイアーが置いていったものだ。ドッペルゲンガーのコアと繋がっているらしく、これが割れたという事はドッペルゲンガーは失敗したという事。
パタン、と絵本を閉じて割れた宝石を見ながら思考を巡らせるレイナ。
(思ったより使えなかったわね…あまり期待していなかったけど…まぁでも、チェザーレ様も、マリといると魔物が襲ってくるって分かったでしょうし…)
人知れず、笑みが零れた。
そう、魔物が、襲うのだ。私ではない。私はこの城から一切動かずともいいのだと改めて認識し、宝石を手に取り、くずかごへと投げ捨てた。そのタイミングでノックされ、はい、と答えると、
「レイナ、君が探していたこの国の伝承をいくつか持ってきたよ。」
トオルだった。何冊かの本を抱えていて、それを受け取る。
それじゃあ、とまだ調べたいことがあるらしく、そそくさと出ていく。
「今は機嫌がいいから何かしてもよかったのに、ねぇ?」
その背を見送って呟けば、いつの間にかソファに座っていたナイアーを振り返る。
「誰もお前みたいに奔放ではないだろうさ。」
レイナが先程まで読んでいた絵本を手に取って捲りながらそういえば、次の手はどうする?と楽しげに笑う。
「これは、どうかしら…?」
そういって抱えた本の1番上に置かれた絵本を指す。
美しい青い海を背にし、蒼い竜と少女がお互いを抱いている表紙の絵本だった。
「なるほどな…ならばこれが良いだろう。」
そういってナイアーの手元の闇が蠢き、凝視しなければ見えないほどに小さな蟲が手の甲に止まっていた。
それの使い方を聞いたレイナはまた楽しそうに笑う。
きっと、多くの命が失われる。マリの命もまた…。




