2章
28
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「隊長、本当にこの街に魔物が侵入してるんですかね…。」
誰もが寝静まるような夜更けに、6人連れ立って街の中を歩く。
若い騎士にそう尋ねられた隊長と呼ばれた壮年の男がそちらを振り返る。
「ガレン様の婚約者を狙う魔物が娘の姿に変じている、か…。まぁ普通に考えれば馬鹿らしいが…シンシア様の家の者が見たのでは、1度確認しても良かろう…しかし…」
そう、歯切れ悪く言葉を切って目前に迫る宿屋を見る隊長。
(なぜこんな夜中に…これではまるで夜襲ではないか…いくら魔物を逃がさんが為とはいえ…)
声に出さずにそう思いながら、魔物ではなくただの娘であればいいと願って宿のドアに手をかけた。
「開いてる…」
玄関の大きなドアは開いていた。
不用心にも程がある、と思う反面、この街の中でも大きな部類に入るこの宿でそれは有り得ないと思い返す、即座に振り返り、
「お前たち!さが…!」
「待ってたぜぇ…そう逃げんなよ。こんな時間の客人なんだ、護衛の狼に食われても文句いえねぇよなぁ?」
のそりとうっすらと開いたドアから姿を現したのは、闇を跳ね返す金の瞳を輝かせた、灰黒色の大柄な狼だった。
「影狼だと…!聞いていないぞ…!」
ジアンから後ずさりながらうわ言のように先頭にいた、隊長格なのか、ほかより少しだけいい装備の壮年の男が呟く。
それを見ながら庭先まで出てきたジアンは緊張感でいっぱいの騎士たちの前でお座りをした。
彼らの匂いは緊張による汗と、自分に対する恐怖が殆どで、魔物に操られているように感じなかった。
「お前ら、何しにここに来た?お前らの後ろから来てる奴らが魔物だって知ってるのか?」
「しゃ、しゃべった…だと…!」
一々驚かれる事に若干の苛立ちを覚えつつ、質問に答えろとばかりに低く唸る。
途端に全員に一層の緊張感が増し、汗の匂いが濃くなる。
これ以上は恐慌をきたしかねないと、唸るのをやめてじっと見据えるジアン。
「こ、この宿に泊まっている黒髪の娘に用があるのだ…貴殿に関係のない娘ならば、道を譲って頂きたい…」
恐怖を抑えるように上擦った声で隊長格の男が答える。
きっと、他の宿泊客のペットだと思った、いや思いたいのだろう。
彼らがここまで恐怖するには訳がある。
影狼とは、文字通り影に潜み、闇討ちを得意とするモンスターで、群れをなさず、単体で動くという狼には稀な特性を持っている。
故に集団行動で真価を発揮する一般的な狼よりも数段高位の狼だった。
また、彼らは知らないことだが、ジアンは人狼とのハーフである。
人狼としての高い戦闘力と魔力も受け継ぎ、姿こそ影狼だが、能力的には狼種最上位の月狼に迫るものがある。
「黒髪なぁ…多分そりゃオレのご主人だなぁ…なら、道は譲れねぇわ。」
正確には護衛対象であって主人ではないが、バカ正直に言うことでもないか、と主人と言い換えた。
行儀よく座っていた腰を上げ、頭を下げて威嚇するように再び唸り出すジアン。
その様に、ぐっと奥歯を噛み締めて剣を抜く隊長。
それに続いてほかの騎士たちも剣や槍を構え出す。
「安心しろ、うっかりでもない限り、殺さないようにしてやる。お前らのご主人が誰に喧嘩売ったか思い知らさねーとな!」
笑うように口元を歪めてそう言えば、闇夜に消えるように身体の輪郭を溶かし、騎士たちが驚く隙に1番殿にいた騎士の背後へと駆け抜け、鎧ごと腕に噛み付いて振り回した。
大人1人、しかも鎧に包まれたかなりの重量を首をめぐらせるだけで振り回し、そのまま投げ捨てて残りの5人をまるで玩具でも見るように見つめるジアン。
腕を噛まれ、強かに地面に全身を打ち付けた兵士は蹲って呻いている。
血の匂いはしないため、命に別状はなさそうだが、逃げ道を塞がれた形の騎士たちに冷や汗が増す。
やがて、隊長格の1人が1歩前に踏み出てきた。剣を構え、ジアンを睨めつける。
「お、俺が時間を稼ぐ…お前らは逃げろ…!」
狩人たる狼の前で逃げろとは…などと目の前の必死な様子を眺めるジアン。
殺すつもりはないが、そこまで壮絶に怯えられてもこちらが逆に引くな…などと思いながらやり取りが終わるのをぼけっと待ってやっていた。
「ぐっ…!いけぇ!!俺はいいから!!」
涙声で部下を叱咤する隊長。
ジアンは耳の後ろが痒くなり、お座りをしてカッカッと後足で掻きながらそれを聞いていた。
悲壮感を漂わせながら部下たちが踵を返して宿屋の庭から出ていこうとするのはさすがに見過ごせないとばかりにのそりと立ち上がった。
「茶番ぐらいは見逃してやってもいいが、逃げるのは許可してねぇぞ?」
闇から這い出すように部下らの前に現れるジアン。
竦んだように立ち止まってしまった騎士たち4人に向かって猛然と駆け抜け、1人を足蹴にして空へと駆け上がる。
『彼方の乙女たち、闇より来たりて漆黒の抱擁を与えよ。シャドウ・メイデン』
狼の口から放たれる闇の魔法と輝く金の瞳に目を奪われているうちに騎士たちは闇から現れた漆黒の乙女たちの腕に囚われた。
乙女たちは一人に一人、獲物を決めたようで、細い腕をするりと騎士たちに絡ませる。
そうして、すっぽりと闇色のドームに包まれると、中から各々叫び声、呻き声、悲鳴のような泣き声がくぐもって聞こえ始めた。
足音無く地上に降り立ったジアンはそれをちらりと見てから残った隊長に顔を向けた。
「あ…あぁ…」
構えていた剣を胸に抱くように抱きしめ、膝から崩れ落ちる隊長。そのまま尻もちをつき、顔中を濡らしながらガクガクと震えて声にならない呻き声を上げる。
「おい、やりすぎだろう…なんだこの状況…」
不意にジアンの背後から声が掛かる。
ドッペルゲンガーたちを始末してきたチェザーレが立っていた。
庭の端の方では4つの黒いドーム。
玄関付近には腕を押さえて蹲り、何も見ないように目をつぶって震える若い騎士。
極めつけは明らかに戦意のない顔中を汚した壮年の騎士に対峙するジアン。
「なんだ、そっちはもう終わったのか。じゃあもういいか。」
くるりとチェザーレを振り返り、そう言うと4つのドームがずるんと消えて乙女たちはジアンに手を振って闇に消えた。
チェザーレもまた、ジアンの横を通り過ぎて座り込んだ隊長の元へ向かう。
視線を合わせるように膝を折り、意識をこちらに向けさせるように軽く耳を引っ張る。
頬を叩こうとしたが手が汚れそうだったので耳にしたのだ。
「おい、しっかりしろ。聞きたいことがある。素直に答えてくれたらこのまま帰してやるから。」
チェザーレの声と耳の痛みに我に返る隊長。しかし、チェザーレに並ぶように歩いてきたジアンを見て再び固まる。
溜息をつき、ジアンの頭をぐしぐしと乱暴に撫で回し、お座り。と命じる。
目の前の騎士に見せるためにやっているのだと気づいたジアンは大人しくそれに従う。それらしく尻尾も振ってみた。
撫でられるならマリの方がいいな、などと思いつつ。
「お前たちをここに向かわせたのは誰だ?」
チェザーレの声にジアンから恐る恐る視線を外し、ゴクリと息を飲んでから目の前にいる人外かと思うほどに整った赤毛の男へと向き直る。騎士として主人の事は話せないとばかりに口を噤む。恐怖はあったが、騎士の誇りも忘れてはいない顔つきだった。
その顔を見て僅かに笑みを浮かべるチェザーレ。
いい騎士だと褒めたくなる。だがこのままでは話が聞けない。
「まぁ、検討はついてる。領主か、その息子の婚約者あたりか…?お前たちの他に魔物がこの宿に向かっていた。恐らく口封じのためにな。お前らも、領主の息子も、婚約者だったものに騙されてる。」
彼の口から紡がれる言葉は到底現実とは思えなかった。だが、騙されていると聞いて眉を顰める。
「こんな、夜中に夜襲のように娘を襲えと言われるのは、おかしいと思ったのだ…我らの後から来ていたのはシンシア様の屋敷で雇われていたもの達だ…我らにこの命を下したガレン様はどこかおかしかったのだ…このようなこと、あの方は今まで命じたことなどないのに…」
「そうか…領主の息子の婚約者は魔物だ。なぜあの娘に成り代わっているかは俺たちもまだ分からない。だが、闇に堕ちた魔物を、俺は救ってやりたい。」
真っ直ぐな薄い紫の瞳を向けられ、真摯に告げられる。
ぐっと言いたいことを飲み込んで頭を下げる隊長。長年仕えてきた主人を売るのは騎士道に反するとわかっていても、彼らに託そうと思える、そう思わせる瞳だったからだ。
(幼い頃に見た竜王と同じ、紫の瞳…)
彼が幼い頃、この空を飛んだ竜王。美しい紅い鱗と、輝く紫の瞳が印象的な巨大な竜。それを思い出し、ぶるりと身体が震える。
人として顕現したらきっと目の前にいるような青年なのだろうと。
「とりあえず、夜が明けたらお前たちは帰れ。そして主人に言え。自分たちの後ろから来ていた魔物たちが襲ってきた、と。」
そういって笑うチェザーレは少し悪い顔をしていたが、悲壮な決意に満ちた隊長は気づいていない。
夜明けまでまだ僅かにある、庭で休んでいけ、と言い残してジアンを伴って宿の中へと消えていく。
その背を見送り、痛めつけられた騎士たちに歩み寄る。
闇の乙女たちに囚われていた騎士たちは皆一様に鎧は凹み、ボロボロだったが、生身はほとんど傷がなかった。
鎧の性能がよかった、などとは到底思えず、手加減されたことに息をつく。
そのまま夜が明けきり、人々が起き出してくる前に宿屋を後にしたのだった。
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今日で連載開始から1ヶ月です!
頑張って続けられているのも読んでくださる方々のおかげ!
という事で本日20時に閑話を1話追加投稿します!
ちょっと重たい話ですがぜひ読んでくださいませ!
感想、評価、ブクマお待ちしております!




