2章
27
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マリの静かな寝息が聞こえる夜中とも呼べる時間。
ソファで目を閉じていたチェザーレがすっと目を開けた。
同時にジアンものそりと起き上がる。虚空へと鼻先を向けて視線を周囲に走らせる。
金色の瞳が獲物を狩れると歓喜するように輝く。
「12…か?こんな夜中に招待した覚えはねぇなぁ…ミースの奴になんかあったか?」
「いや、15だ。空に3いる。恐らく昼間のアレをドッペルゲンガー側のものに見られたのだろう。用心深い事だな…。」
匂いと足音で判断したジアンに、魔力の波長でさらに正確に答えたチェザーレ。
そっとマリを伺い、気持ちよさそうに寝ているのを確認してゆっくりと窓を開けて縁に足をかけつつジアンを振り返った。
「空の3と後ろの半分は俺がやろう。残りは任せた。恐らく人間はそちらの方にいる。手加減してやってくれ。聞きたいこともあるしな。」
「りょーかい、任された。」
手短に話してから空へと舞い上がるチェザーレを見送り、ジアんも器用にドアを開けて部屋の外に出る。シン…と静まった宿の中を音を立てずに歩き、正面入口の前で行儀よくお座りをして、まもなく来るであろう侵入者を待つことにした。
「さて…出てきてやったんだ、こそこそしてないでお前たちも出てこい。」
深紅の翼を広げ、魔力と精霊の力で空を飛ぶチェザーレ。翼は方向転換やブレーキの役割に過ぎないので羽ばたくことも少ない。
幻影魔法も解いており、燃えるような赤毛が闇を仄かに照らす。
誰もいなさそうに見える虚空に向かって話し、居るであろう相手の出方を伺う。
「ギギ…コドモ、クエル…」
チェザーレの声に応じるように、フクロウのような鳥型のモンスターが闇から顔を覗かせた。
大人ほどもある大きな鳥の身体に人のような下半身と、それと同じぐらい大きな2対4枚の翼、忙しなく羽ばたいているにもかかわらず、ほとんど羽音はしない。
顔にはギョロリとした目玉が3つ、あちこちをぐるぐると見回して、視点が定まることがない。
ひび割れた嘴からは呻くように声が漏れ、聞いている者を不快にさせる。
「オウルマンか…哀れな…。いま楽にしてやるからな。」
憐れむように呟き、虚空を踏むようにふわりと高度を上げ、瞬きの間で肉薄すると、無造作にオウルマンの胸元を貫手で貫く。
抵抗らしい抵抗を許されないまま背中まで突き抜けた腕をぎょろぎょろと動く目で見下ろすオウルマンに、
「燃えろ。」
そう、静かに呟けば腕が生えた胸元から炎が吹き上がり、あっという間にオウルマンの全身を包み込んで燃やし尽くす。
そっと腕を降ろしながら塵となって風に舞うオウルマンだったものを見送り、未だ近くで様子を伺っている残りの2匹を探すように視線を巡らせ…、
「フレイムビュート」
人差し指と中指、揃えた2本の指先から炎の鞭を生み出し、手首のスナップで振るう。
勢いよく飛んでいった鞭の先は隠れていたオウルマンの1匹を捉え、人型の足へとぐるりと巻き付く。
肉の焼ける痛みに暴れ回り、鞭を外そうとするオウルマンに、ぶつりと指先から鞭を切り離し、意志を持つかのように鞭がしなってオウルマンの身体に絡みつく。
そのまま全身を炎に巻かれ、1匹目と同じように塵となって虚空に散る。
燃やすものの無くなった鞭もまた、名残惜しげにチリ、と僅かな音を残して消えた。
「後がつかえてるからな、手短に行かせてもらう。」
コキリ、と首を傾げるようにして骨の鳴る音を残して空を駆ける。
逃げようとしていた最後のオウルマンに追いつき、大きな翼に手をかけ、力任せに自分側へと引っ張った。
当然、進む方と反対に引かれたオウルマンの体は反り、ギュア!と声を上げたが、それが最後の声だった。背中から胸に向かって1本の腕が生えていた。1匹目とおなじ、貫手での一撃。そのまま静かに傷口が燃え始め、血の1滴も落とすことなく燃え尽きた。
「あとは下にいるドッペルゲンガーたちか。」
そう呟いて闇の中を見下ろす。夜目が働き、昼間と大差なく見渡せるその瞳が、宿屋から通り2つほど離れた道をゆらゆらとおぼつかない足取りで歩く6人の人間たちを見つけた。
そこへ向かって静かに降下していく。
人間の姿をしたドッペルゲンガーの前に降り立つチェザーレ。
マリでなくともそれは分かるほどに闇の気配を孕み、どろりとしたモヤを纏っていた。
目の前に降り立ったチェザーレに、光のない闇色の目を向ける6人。
命令はこの先にある宿屋にいる少女と、それを始末したであろう人間たちの排除だった。
目の前にいるこの男は標的ではないが、邪魔をするなら消して構わないだろうと、溶けた思考で思案し、各々腰に穿いた粗末な剣や背負った槍を構え出す。
最後尾にいた1人は魔術師なのか、ぶつぶつと何やら詠唱を始めた。
チェザーレは普段、武器を使うことはほとんど無い。
竜の体はそれ自体が武器であり、また強靭な鎧でもあるからだ。
おまけに火の精霊に愛された彼は意志1つで自在に炎を操れる。
言うなれば全身が武器である。
そんなチェザーレだが、武器が全く使えないという訳では無い。
模擬戦で近衛騎士を圧倒出来るぐらいには嗜んでおり、扱える武器も多い。
中でも剣は得意と言っていい。剣の達人、剣聖と呼ばれる人間にも遅れを取らない腕前を誇り、持ち前の竜の力と感覚でもって振るう剣は圧倒的と言っていいほどだった。
(さすがに素手で6人は面倒臭いな…マリの方も気になる…)
出方を伺うようにじりじりと間合いを詰めてくるドッペルゲンガー達を見ながらそう考え、徐ろにそっと手を前へと差し出した。
手のひらを下にして開いた手元を中心にぶわりと炎が真横に一直線に伸びる。その炎は直ぐに消えて、後からは美しい剣が顕現する。
開いた手でそれを握り、軽く振るう。
剣は片刃のやや反り身で幅は20cm程の太さ、長さは1m程だろうか。
所謂シャムシールと呼ばれる刀剣に分類される剣である。
根元は黒く、刃先に向かうほどに黒、赤、オレンジとグラデーションになっている。
柄の先には綺麗な金の組紐が巻かれ、留め具は赤い宝玉だった。
チェザーレ自身の牙を使って作ったその武器は銘こそ無いものの、強力な火の力でもって切り裂く逸品だった。
「世界へと還れ。」
一言そう呟くと、軽い足取りで駆け出す。僅かの間合いまで詰められていたため、直ぐにドッペルゲンガー達の目前まで近づき、無造作にシャムシールを振るう。
ドッペルゲンガーの1人が持っていた粗末な剣ごと胴体を横薙に分断し、切り口から炎が上がる。それを後目に槍を構えていた1人へと歩み寄り、突き出してくる穂先を掴み、勢いよく押し込んでたたらを踏ませ、そのまま袈裟斬りに切りつけ、燃えあがるのを待たずに次の相手へと視線を向けた。
顔を巡らせたその死角とも呼べる位置から鈍色のナイフがチェザーレの頬をかすめ、僅かに髪の毛を持っていかれる。
それに驚くこともなく、伸びきった腕を掻い潜ってシャムシールを振るう。
3人目が燃え上がる。
残り3人のうち2人は立ち上る炎に怯えるように距離をとってチェザーレの出方を伺っている。
「どうした、闇に堕ちても恐怖は残るのか?こちらも待ってやれるほど時間があるわけじゃないんでな。」
炎に照らされて薄い紫の瞳孔が縦に割れて輝やかせながら、そう言って駆け出す。
踏み込みが見えたのは長剣を構えるドッペルゲンガーだけだった。
咄嗟に剣を正面に掲げ、防御する。
だがその剣は、チェザーレのシャムシールを受け止めることも出来ず、小さな音を立てて真っ二つに折れた。その奥にあったドッペルゲンガーの身体ごと。
受け止めようとしたせいで勢いがあったのか、2、3歩後ずさりながら、真っ赤になる視界で見たのは、怯えが限界に達した1人が逃げようとするのに追い縋り、背中に剣を突き立てるチェザーレだった。
「ウグッ…!オノ、レ!…『ポイズンパドル!』」
残った最後の1人は詠唱が完了したのか、チェザーレの足元を指さして魔法を発動させた。
発動とともにチェザーレの足元にはブクブクと粘着質な泡を吹き上がらせるどろりとした黒い水たまりが現れる。
毒の水たまりで身体の自由を奪おうとしていると気づくも、動くこともせずに足元を僅かに見た後に逃げ腰のドッペルゲンガーへと視線を向けた。
「竜の鱗にこんな初級魔法が届くものか。」
そう片付け、ばちゃりと水たまりを抜けて、ゆっくりとドッペルゲンガーへ歩み寄るチェザーレ。
最後の一匹になって、ようやく目の前の青年が自分より遥かに高位の存在だと理解したドッペルゲンガー。しかし、理解した瞬間、その個体は世界へと還る。ドサリと崩れ落ちる身体を受け止め、哀れみの瞳を向けるチェザーレ。
「すぐに生まれ変わる…次は、堕ちるなよ…」
炎に包まれて浄化され、塵となって風に舞う彼らを見送り、剣を手放すと、地面に落ちる前に炎を纏って消えた。
シン、と静寂が蘇り、周囲に不穏な気配を感じないと判断し、くるりと踵を返す。
宿屋の方へ視線を向け、
「あっちもそろそろ終わるか…さて、糸を引く不届き者はどんな奴だろうな…」
そう呟いて歩き出した。




