1章
21
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結局、その日は力尽きたマリと、ジアン、チェザーレの3人でのんびり午後を過ごし、マリの持っていた小さなポーチがマジックバッグと聞いてマリと同じように壊れ物を扱うような仕草をするジアンに、自分と同じ感覚を持っていると確信して喜ぶマリだった。
翌日、天気もよく、絶好の読書日和と感じたマリは、本を持ってジアンを連れて花々が美しい中庭へと来ていた。
大きな木の根元に座り、本を開くマリ。その傍らに寝そべり、そよぐ風と本をめくる音に耳を傾けるジアン。
チェザーレは騎士団の稽古に付き合うと言ってそばを離れていた。
最初に気づいたのは人よりずっと嗅覚の優れたジアンだった。
ぴくりと鼻を動かせ、のそりと立ち上がる。
何事かと本から顔をあげたマリの前に行き、低く唸り出す。
「見えねぇけどなんかいやがる…腐った肉の匂いがする…」
その言葉に周囲を見渡すマリ。目には見えなくても闇の気配は分かるかもしれないと思ったからだ。
だが、周囲にそれらしきものは見えなかった。
腐った肉…ゾンビの類だろうか?と前世界の本で読んだ知識を思い浮かべる。そのまま数分が過ぎ、ジアンが鼻を鳴らして再び傍らに寝そべった。
「どっか行きやがったぜ。くせぇ匂いはもうしねぇ。」
何をしに来たのかも分からないままだったが、去ったのなら追う術も無いので仕方ないと思う。
読書を再開する気にもなれず、ジアンを伴って部屋に戻るマリ。
チェザーレに話しておいた方がいいと思ったが、生憎といまだ戻ってきてはいなかった。
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マリが座っていた木の根元に立つ男がいた。真っ黒なフード付きのローブを纏い、目元を仮面で隠した浅黒い肌の背の高い男だった。
その口元が、にたりと弧を描く。
「見つけましたぞ…我が主よ…」
呟くようにそう言って、天を仰ぐ。遥かな虚空にいる主人を思うその様は歓喜に溢れていた。
声なく嗤いながらその姿がどろりと溶ける。そのまま地面に吸い込まれるように消えた。
周囲に腐った肉の匂いを残して。
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イツキたち3人には貴族たちをもてなす為にある迎賓館の1つを与えられていた。
各々広い個室と、生活に困らないキッチンや風呂なども備わった館である。
その迎賓館の一室、広い部屋のベッドからむくりと起き上がったのはレイナだった。
裸の身体を隠すことなく起こし、隣で眠る男を見つめる。
この迎賓館を警護する兵士の一人で、そこそこ見目のいい若い兵士だった。
館の中は静かで、人の気配もしない。イツキは騎士団の稽古に混ぜてもらって、魔法と基礎体力を増やすと言っていた。
トオルは図書室へと調べ物に行っているようだ。知らないことを知ることから始める、などと言っていた。
レイナは、何もしていなかった。昨日の今日でなぜそこまで前向きに動けるのかも分からなかったし、何より昨日あったチェザーレという男の事を知りたかった。
なので、警備をする兵士に声を掛けたのだ。
不安そうに涙目で怖がる娘を演じれば、元は気のいい兵士だったのだろう、この男はころりと堕ちた。
身体を許す代わりに聞けることを聞いたのだが…
「思ったよりも知らないのね…」
ぽつりと呟くと、ベッドを出るレイナ。宛てがわれたワンピースに袖を通し、髪を梳かしているとベッドの兵士が目を覚ます。
そのまま甘えるようにレイナを抱きしめて、何事か呟いているのを聞き流し、あまり持ち場を不在にしていたら怒られるということをそれとなく話せば、渋々服を来て出ていった。
「マリじゃなくて、私を護ってほしいのに…」
「ならばマリとやらを殺せばよかろう…?貧相な小娘など、先程の兵士ならば簡単に始末できよう…」
誰とはなしに呟いた言葉に、答えるのは低い男の声。
思わず振り返り、広い部屋の中を見回すレイナ。
優雅にソファに腰掛け、楽しそうに口元を弧を浮かべたローブの男が、深い闇色の瞳でレイナを見ていた。
「誰…?どうやって入ったの…?」
「そのような些事に答える義務などない。我の力を貸してやろう…そうすればあの赤毛の男はお前に振り向くだろうさ…」
不遜な態度でそう言う男の顔をじっと見つめるレイナ。
「そんな怪しい言葉になんか騙されないわ、人を呼ぶわよ、出ていって!」
得体の知れない男からの提案に僅かにぐらついたが、どう見ても怪しい。甘い言葉に乗って引き返せないようになるのは目に見えていた。
「知恵のない小娘と思ったが…なかなかの気概だな…まぁいい。これを貴様に貸してやろう。」
そう言ってテーブルに置いたのは片手に収まるサイズの黒いオーブだった。
オーブの中に黒いモヤが封じ込められており、それが出せと言わんばかりにオーブの中で渦巻いている。
「このオーブには姿を真似ることが出来る魔物を封じこんである。使い方は貴様に任せるが、効果は1回限りだ。上手く使うといい。ではな…。」
そういって、モヤと共に掻き消える男。後には冷えた空気と、微かに肉の腐った様な匂いと、オーブが残されていた。




