1章
16
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串を食べて満足そうに髪の中に消えるエンをなんとも言えない視線で見送ってからチェザーレを伴って本屋に入ろうと踵を返した瞬間、ぼすんっと何かフサフサしたものにぶつかった。
「うおぉ!なんだ、お嬢ちゃんすまねぇな!前見てなかった!」
上から降ってくる明るい声にもふもふとしたものから顔を上げ、こちらも前方不注意を謝罪しようとするマリ。
「いえ…私も急に振り返ってしまっ…!」
見上げた先にいたのは灰黒色の狼の顔だった。
獣人、と呼ばれる種族だと言うのはわかったが、初めて見るそれにじっと見上げてしまうマリ。
それを受けて狼の獣人の目が不快そうに細められた。
「なんだぁ?お嬢ちゃんも汚ぇ獣人が往路を歩いてんじゃねぇってクチの人間様かぁ!?」
「え、あ…ちが…あの、見たことなくて…すみませ…」
突然の吼えるような威嚇に似た声音にびくりと身体が震え、謝罪を口にしかけるマリに狼の筋肉に覆われた腕が伸びる。
咄嗟に身を竦めたマリだったが、その腕がマリに届く前に、細くともしなやかに筋肉がついた腕が攫うようにマリを抱き抱え、自身の方へと引き寄せた。
「すまないな、こいつは病弱でほとんど屋敷から出たことが無くてな。おとぎ話に出てくる勇敢な戦士を間近で見て驚いたのさ。今も狼戦士の物語を買いたいってそこの本屋に行くようせがまれててな…」
肩を竦めながらいけしゃあしゃあとそう言い張るチェザーレ。
これ幸いとばかりにマリも頷き、精一杯キラキラしたような顔を意識して狼人を見上げた。
「なんだぁ!そりゃ悪かったな!狼の戦士なら英雄トライドの本がオススメだぜ!獣人奴隷解放の大英雄だ!」
チェザーレの言い分に気を良くし、ふさふさの尻尾をブンブンと元気に振って教えてくれる狼人。
そのままじゃーな!と手を振って去っていった。
「…俺よりもマリの方がトラブルを呼んでるような気がするんだが…?」
小柄な身体を腕に閉じ込めたまま見下ろして言えば、そんなことは無いと即座に否定された。
腕を掻い潜るように抜けられ、今度こそとばかりに本屋へと足を踏み入れるマリとチェザーレ。
「…この、紙とインクの匂い…ドキドキする…」
いつになく頬を紅潮させ、店内を見回すマリ。
そういえばこちらに来たきっかけも図書室の本棚だと言っていたこと、こちらに来てすぐに図書館へ行きたがたこと、あてがった部屋でも遅くまで本を読んでいたことを思い出し、マリの後を追いながら筋金入りだな、と苦笑するチェザーレ。
「チェザーレ、さっきのオオカミさんが言ってた英雄トライドの本はどこにあるの?」
くるりとチェザーレを振り返って尋ねてくるマリに、ざっと店内を見渡して物語が多く置かれた区画へと連れていく。
「これだ、英雄トライドの解放宣言。獣王国トライドの先代国王の話さ。」
一冊の本を手に取り、マリに渡しながら言うチェザーレ。
本を受け取り、表紙に書かれた金色の狼の絵を指でなぞりながらそれを聞くマリ。
「まぁ本物のトライドは泣き虫で怖がりの奴だったけどな…」
ぽつりと呟いたチェザーレの言葉に、聞き返そうと顔を上げるも、本を取り上げられ、他にないのか?と話題を変えられてしまう。
気になったものの、目の前にある沢山の本の誘惑に勝てず、本棚を物色し出すマリ。
チェザーレもまた、見るとはなしに本のタイトルを目で追っていた。
《竜王の系譜~始まりの竜から現在の竜王について~》
というタイトルの本を目にし、そっとマリの視線に入らないように本棚の上の奥の方にしまい込むのも忘れなかった。
結局、マリは見るだけでいいと遠慮したが英雄トライドの解放宣言と他に2冊の本を買った。
どうせアウローラの金だしな。と気軽に購入するチェザーレ。
本は結構高価らしく、1冊銀貨5枚ほどした。
値段を聞いて再び遠慮するマリに、知識は旅に必要な事だ、と押し通したチェザーレ。
そのまま魔法道具を売る店を見つけて入る。
店内にはマリの見たこともない道具で溢れかえっていた。
あれこれ興味深そうに眺めつつ、カウンターに迷いなく歩み寄っていくチェザーレを目で追うマリ。
「おい、店主はいるか?ちょっと交渉がしたいんだが。」
暇そうに店番をしていた薄いピンクのロングヘアが可愛らしい少女にそう話しかけるチェザーレ。
店番の少女は胡散臭そうにチェザーレを見上げる。
「てんちょーは今制作に忙しくてでてこれませぇん。アポ無しは取り次ぐなっていわれてまぁす。」
間延びした声でそう言われ、ごそごそとポケットから小さな白い何かを取り出し、少女の前に置くチェザーレ。
なんなのか気になったマリも歩み寄ってきた。遠くから見た時は白かったが近くで見るとそれは薄い水色をした楕円形の何かだった。
「…っ!!!て、店長呼んでくるので奥の応接室で待っててください!!」
その水色の何かを見た少女の変化は劇的だった。
わなわなと震える手で水色のものを手にし、大慌てで奥へのドアを指してカウンター奥に消えていった。
「チェザーレ、何渡したの?」
「アウローラの鱗。」
さらりとそう述べられた。
なんでも小袋に入っていたらしい。
一般人が見たら唯の硬いなにかだが、見る人が見れば高位の氷雪竜の鱗だと分かるらしい。
応接室とやらに向かいながら面倒な交渉も手間が省けたと喜ぶチェザーレと、この男の常識は絶対一般的じゃない、と確信したマリだった。




