4章
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「10年前、時の精霊王マクスウェルと契約した私は、時を歪めることで、10年の猶予を作りました。この世界で、あなたが生きられるように、と。人や、獣人の里を巡って、あなたの魂の器に相応しい入れ物を探しましたが、これというものに巡り会えず、結果、我が息子の肉体を作り替え、空っぽにして時の狭間に封じることにした。息子の魂はとある獣人の中に眠り、あなたがこの世界に来た時、魂を器にいれた。魂の記憶が、あなたの生前の外見を作り、いまのあなたになった。」
そこまでを話してから、法皇は紅茶のカップを手にして、中身をこくんと嚥下する。
「…っ、うぅ…っ」
嗚咽にも似たマリの呻くような声を聞き、コトリとカップを置く。
「準備の整った私たちは、あなたの手を引き、こちらに喚んだ。ここで誤算だったのがこの星とあの星の間にある時空の渦でした。まさか、あの3人まで巻き込む羽目になるとは思わず…。この世界に降り立つまでの僅かな時間しか、私たちにはなかった。ですので、苦渋でしたがあなた諸共、記憶を封じこみました。この世界に降り立ったあなたを、私たちの部下が迎えに行ったのですが…あまり情報を渡さなかった為に、暴走してしまった事は、お詫び致します…。ですが、結果として…」
「私を死に追い込んだ3人に復讐という形がとれ、た…。」
「ええ。残るはあと1人。」
うっそりと顔を上げたマリが、法皇の言葉を繋ぎ、法皇は頷く。
マリの瞳は昏く濁り、法皇の方を向いてはいるが見てはいなかった。
この世界に来る前の、地縛霊だった頃の瞳だと、法皇はかすかに目を眇める。
「あなたたちの王様は、私の肉体を乗っ取るのが目的だと思っていました。」
マリの呟くような声に、法皇は心外だといわんばかりに首を振った。
「厳密にはそうではありません。元いた星であなたの存在というエネルギーを私たちは貰いました。ですが、それをすぐには使えなかった。ですのであなたが今使っているその体に記憶とともに封じこんだのですが、それを返していただきたい。竜王めに掠め取られる前に。」
ぐっと眉を寄せた法皇の言葉に、今度はマリが瞳を眇めて首を傾げた。
「竜王…?チェザーレがなんで…?」
ここにきて出てきた名前に、困惑するマリ。
その反応に、やはり何も知らされていないのだと嘆くように言う法皇。
「この世界の竜の強さというのは、護るものに比例するのです。例えば星竜ジルヴァーナ。かの竜はこの星に生きる全ての生き物を護る守護竜。故に最も強い。次に海竜アーカイドは、海そのものを護る。だから海ではほぼ無敵の強さを誇ります。次いで氷結竜アウローラ。彼女は星竜王国の民を守る守護竜。かの国では彼女が最も強い。では当代の竜王は…?彼は、竜王に即位してからずっと星竜の神殿に引きこもっていました。ですので護るものが無いんですよ。だから、竜族としてはかなり力が弱かった。まぁそれでも並の生き物は敵いませんが…。ですが竜として、王としては欠陥なのですよ。」
法皇の言葉に呆然とするマリ。
彼女の知る竜王は、何時だって自信に溢れ、強大な火の力を有し、沢山の敵をねじ伏せてきたからだ。
「信じられませんか?ですが、事実です。この星にきて、マリは竜王と出会い、彼と共に旅を始めた時、私たちはとても焦りました…。力なき竜に先に目をつけられた、と。ですが、恐らく彼自身まだ薄らとしか気づいていなさそうですね。あなたに手を出していないのがいい証拠です。」
「…っ!」
法皇に言われた事にびくりと震え、顔が熱くなるのを感じるマリ。
咄嗟に手で覆って隠したが、彼の押し殺した笑い声が耳に入り、指の隙間から睨む。
「フフ…。ですが、あなたの体に眠るエネルギーはあなたから私たちが頂いたもの。お渡しする訳にはいきません。彼は力を欲しているが故に気づくのも時間の問題でしょう。かの竜がどんなに甘い言葉を囁こうとも、決してその力を渡さないでくださいね。」
「チェザーレは、そんな真似は…!」
「しないと言いきれますか?その力を欲さんがために、あなたを言いくるめるぐらい、出来ると思いますよ?その力を、我が王以外に渡した時、あなたのその肉体も、返してもらいます。魂の帰るべきあの星のあなたという存在はもうありません。あなたは、永遠に果てのない宙を彷徨うことになります。」
笑っていた顔から一変し、表情を落としたように平坦な声でそう告げられ、マリは震える。
ぎゅっと腕を抱き、視線を目の前にあるティーカップへと落とす。
「竜という生き物は、契約をもって護る力とします。彼と何が契約をしましたか?」
法皇の問いかけに、揺れる水面を見ていたマリの脳裏に、この星に来てかの竜に言われたことを思い出した。
「必ず護る。魔力を乗せてそう言われました…。」
マリの答えに大きく肩を落とし、ため息をつく法皇。
「なるほど。擬似的に守護すると契約することであなたを護るための力を得たのでしょう。それに返事は?」
「して、ない…。」
脳裏に思い出しながら答えたマリによろしい、と頷く。
マリの僅かに首を傾げた反応に、ふっと息を吐く法皇。
「もし、その場で頷いていれば契約が成立し、あなたはその場で消滅していました…。」
法皇の言葉に、ゾッとするマリ。
震えが止まったばかりの体の、腕に走る鳥肌を撫でさする。
「あなたからエネルギーを頂くのは、最後の一人に我々からの復讐を終えてから。それまで、その力を誰にも知られてはいけませんよ。もし何かの拍子で知られたとしても、渡してはいけません。いいですね?」
噛んで言い含めるような法皇の言葉に、僅かに頭を揺らして頷くマリ。
それを確認して満足そうに笑った彼は、カップに残った紅茶をゆっくりと飲み干して立ち上がる。
「さて、私はこれから聖騎士任命の式典に出向かなければなりません。申し訳ありませんが、あなたはもう少しここに居てください。式典が終わり次第、お返し致しますので。」
そういって慇懃に礼をし、執務机からいくつかの書類を手にして出ていく。
しん、と静まり返った部屋で、マリはソファにころりと寝そべる。
物凄く座り心地のいいこのソファはさぞや高級品なのだろうと思うが、同時にこの国のトップが使っているのだから当然か、と思い直し、かすかに笑いが零れた。
「囚われのお姫様にしては、余裕だね?」
不意に聞こえた声に飛び起きて周囲を見渡す。
先程まで誰もいなかった部屋の隅に、少年が佇んでいた。
見知った顔の、見知らぬ少年。
「イェブ…。」
やぁ、と気さくに手を上げて返事をしたイェブは、そのままマリの向かいに座る。
警戒心を露わに、身を引くマリに、
「心配しなくても何もしないよ。僕は君の見張り役。それにその体は元々は僕のなんだ、傷つけるのは流石に嫌だよ。」
ひらひらと手を振ってそう言われるが、それでも警戒するなという方がおかしい。
ぎゅっとソファの背もたれを掴み、逃げれるように足を床に下ろす。
その仕草に大仰に手を上げて首を振るイェブ。
「君には何もしてないどころか、身体まであげてるのに、その扱いは酷くない?ああ、この顔が原因?君を死なせた顔だもんね…?」
ぺたりと自分の頬を撫でて言うイェブに、どっちも、と答えたくなるのを堪えて静かに見つめるマリ。
その反応が面白くなかったのか、頬から手を話したイェブはつまらなそうにマリを眺める。
彼の中には体を乗っ取った際に得たイツキの記憶がある。当然、封じこんでいた元の星の記憶もあった。
凄惨という他ない所業の数々を思い出し、自然とイェブの眉間に皺が寄る。
それは向かいにいたマリにも見え、何に対して怒っているのかわからず、彼女の喉が小さく鳴った時、外から沢山の人の声が聞こえてきた。
怒号とも歓声ともつかないおおきな声に、思わず窓を見るマリ。
「おっと、パーティーが始まったようだ。」
この騒ぎが式典のそれとは思えず、パーティーと評したイェブを見るが彼は肩を竦めて言う気は無いようで。
何事かと確認しようと窓へ歩き出したマリの目を、強烈な閃光が焼いたのだった。




