4章
105
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その日の夜、マリは宛てがわれた部屋で静かに寝息を立てていた。
ベッドの足元にはジアンが寝そべり、頭元にはエンが丸くなって共に寝ている。
ぐにゃりとした浮遊感がマリを襲い、うっすらと目を開くと、そこは元いた世界の図書室だった。
この世界にきてから何度となく見た夢。
これもまた夢だろうと、ぼんやりと窓から外を眺める。
眼下には下校途中だろうか、3人の男女が楽しげに笑いながら歩いていた。
(なんで…。)
「なんで、彼らはああも笑っていられるんだろうね…?」
自分の心の声を言葉にされ、ビクリと跳ねるように振り返る。
そこには、銀色の髪を後ろに撫でつけ、赤に近い橙色の瞳を悲しげに伏せた壮年の男性が立っていた。
白を基調にした細やかな刺繍が美しい神官服を纏った彼は、ほんの数時間前に見たばかりの人だった。
「ヨーグ、法皇陛下…?」
大きく目を見開き、呟くように呼んだマリに、にこりと笑いかける。
そのまま静かに歩み寄り、彼女の隣に立って眼下を見下ろす。
相変わらず楽しげに笑う3人を見下ろす瞳は、先程とは打って変わった憎悪さえ伺えるほどの冷めた視線だった。
ぞくり、と背筋が粟立つ。
マリは震えそうになる足を叱咤して僅かに距離を取った。
「マリ。あなたが何故この図書室の夢を見るのか。何故、彼ら3人と共にこの星に来たのか。教えて差し上げましょう。ただし、1人で、私の部屋に来てください。かの竜王や狼、あとはサラマンダーの幼生も、連れてきてはいけないよ?もし、その意思があるのならば、ルミルに言付けなさい。」
彼らから視線を引き剥がし、優しく微笑んでそう言った法皇は、そのまま霧のように消えていった。
シン、と静まり返った図書室で、マリの思考は彼の言ったことを反芻する。
この星に来た時、何故、帰れないではなく、帰らなくていい、と思ったのか。
何故、それに安堵したのか。
何故、元いた世界の記憶が、ここしかないのか。
何故、チェザーレが言った言葉が気になるのか。
疑問は尽きない。
やがて彼女は蹲り、混乱する思考の中でぽたりと涙を零す。
頬を伝い、顔を埋めた腕を濡らした涙は、そのまま足元へと落ちる。
とめどなく流れるそれを止めるすべが無いまま、混乱したマリの脳裏を描くかのように、図書室の中を本が飛び交い出す。開いたページからはその本の中で描かれていたであろう生き物たちが半身を現し、口々にマリに問う。
何故?何故?と。
元より小柄な少女は、その身体をより一層小さくしてぎゅっと耳を塞ぐ。
それでも聞こえる声に、息を吸うのも恐ろしくなって、
「チェザーレ…、怖いよぉ…。」
ほんの小さな声で、そう呟いた瞬間。
彼女に執拗に問いかけていた本の生き物たちが燃え始める。
真っ赤な炎に包まれ、声もなく燃え尽きていく生き物たちを、涙で濡れてぼやけた視界で見ていると、がしっと、何かに肩を掴まれた。
「マリ!!」
急速に図書室が遠のき、温かいものに包まれていると実感した直後に、意識がハッキリとした。
瞬きを繰り返し、ぼやける視界の向こうで、夜の闇にも負けない真っ赤な髪と、心配そうに眇られた薄い紫の瞳。細いながらにもしっかりと鍛えられた身体に身を預け、ぽけっとして名を呼んだ声の主、チェザーレを見上げるマリ。
「あ、れ…?チェザーレ…?なんで…?」
「それはこっちの台詞だ…!急に心臓を締め付ける様な痛みと、脳裏にお前が蹲って泣いている姿が浮かんで…、来てみたら…。」
寝入っているはずのマリはぽろぽろと涙を零し、小さな体を丸めて震えていた。
咄嗟に抱き起こして名を呼んだ結果が、今の格好という。
ぐい、と指先で頬の涙を拭われ、ぽんぽんと背中を優しく叩かれる。
まるで子供のような扱いに何か言おうとしたが、足元で心配そうに見上げてくるジアンと、マリに感化されたのか、少しだけ小さくなったエンがぺたりと寝巻き越しに頭を擦り寄せて来るのを目にし、押し黙る。
そして脳裏に浮かぶ法皇の言葉。
それに伴う、数々の疑問。
それを、知らなければならないと思った。
ぐっと唇を噛んでその意志を固め、目の前にあるがっしりとした肩に置いた手をそのまま首に回してぐっと抱きつく。
胸元に寄せた頬と耳が、温かな体温と少し早い鼓動を聞き、ほっと身体の力を抜く。
「どうした、珍しく甘えてくるな…?大丈夫だ、俺がここにいる限り、お前が怖い思いをすることはない。」
胸元で顔を隠す少女に、務めて優しく言葉をかけながら背中をゆっくりと撫でる。
ここに駆けつけた時に感じた言いようのない不安を、その手で払うように撫でるが、どうしても不安が消えなかった。
掛布を手繰り寄せ、マリを包みながら、
「どこへも行くなよ。頼むから、目の届く所に居てくれ。」
低くそう呟くと、ぴくりとマリの身体が震える。
その震えが、肯定か否定か分からないまま、静かな寝息が聞こえ始めた。
チェザーレはベッドへと上がり、壁に背を預けてマリを抱え直す。
胸元で眠る少女が、今度は怖い夢を見ないように、と静かに祈りながら。
――――
「…っ、ふふ…。マリ、待っているよ。」
宮殿の最上階、執務室の更に奥にある私室でベッドに横たわっていたヨーグは、はね起きてから静かに笑う。
思った以上に、彼女の均衡が崩れ始めていることにほくそ笑みながら。
静かにベッドから降り、備え付けの戸棚を開けてはちみつ色の液体が入った瓶とグラスを取り出す。
簡素ながらもしっかりした机の前にある椅子を引き、腰を下ろしてからグラスに液体を注ぐ。
半ばほどまで注いでからグラスを手にし、鼻腔を擽る芳醇な酒の香りを楽しんでから少しづつ舐めるように嚥下していく。
体内を巡る強い酒精に自然と頬が緩み、ふっと虚空を見上げてから、
「お前も飲むかい?」
「遠慮しておくよ、僕自身はともかく、この体は酒に馴染みがないんだから。」
ふわりと闇の隙間から現れた少年に声をかける。
返ってきた言葉に苦笑しながら、今しがた夢で会ってきた、と話した。
それを聞いた少年は柔らかく微笑みながら傍らにいた異形の犬を撫でる。
その犬は、目がなく、耳も鼻もない。
ただ唯一、大きく開いた口からは鋭い牙と、不自然なまでに長い舌がだらりと垂れていた。
全身に毛はなく、灰色の肌に黒い血管が走るのが目視できる。尾は長く鞭のようにしなっており、がっしりとした四肢で体を支えていた。
「随分手こずったけど、やっと捕まえれたよ。まぁでも、先にあっちかな…。僕はこいつをもう少し手なずけておくね。」
そう言い残し、少年は再び闇の中に消えた。
微かな腐臭を嗅ぎ取り、ヨーグは顔を顰めたが、この部屋は防犯の関係上窓がはめ殺しになっている為、開けられない。
仕方なくお気に入りの香水をハンカチに垂らし、彼らがいた辺りに置いて紛らわせる。
そしてゆっくりと酒杯を傾けながら、ごそりと胸元を探る。
彼の胸元には、精霊教のシンボルたる、時の精霊王マクスウェルを表す時計を象ったシンボルが着いたネックレスと、もう一つ。
銀の鎖に嵌められているのは小さな黒い玉。
飾り気も何もない玉が1つだけ、中央に鎖が通る穴を開けてぶら下がっている。
その玉を優しく指先でなぞりながら、
「王よ、もう少しです…。」
その言葉に答えるように、真っ黒な玉が微かに震えた。
しゃらりと鎖の音を鳴らし、机に置いてからまた静かに酒を舐める。
少しづつ減っていく酒を楽しみつつ、夜を明かした。
評価ポイントふえたああああ!
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めっちゃ!めっちゃ頑張ります!!




