中編
コンコン、と執事がお見合いの場所である部屋の扉をノックをしている。
ふぅ、流石に少し緊張してきましたわね。私も案外噂を聞いて怖がっているのかもしれないわ。
「ナリア=サーザンド男爵令嬢をお連れ致しました」
「入れ」
侯爵様のお声が聞こえると、執事が扉の取っ手に手をかけ、カチャリと扉を開き始めた、その先に見える侯爵様のお姿は―――
頭部が真っ黒で目が一つという、誰がどう見ても化物と言えるものでした。
「ひゃーーーーーーーっ!! 」
……はっ!! 恐怖を感じ過ぎて一瞬意識が飛んでしまいましたわ。ここはまだ侯爵様がおられる部屋よね?
ふぅ、どうにか持ち堪えられたみたいだわ。
侯爵様があの一つ目でジッとこちらを見ていらっしゃる。中々の恐怖ですわね。
しかしそれはそれこれはこれ、先程の悲鳴を謝罪しなければ。
「初めまして、ランドグラッセル侯爵様。
私はサーザンド男爵家次女のナリア=サーザンドと申します。先程は無礼を致しまして申し訳ありません」
「…いや、問題ない」
良かった、お咎めは無さそうだわ。
ほっと胸を撫で下ろし、これからお見合いが始まるのよね?と周りを確認するも、皆さま一様に無言で私をみているのですが、私は一体どうすれば良いのでしょう? 座ってもよろしいのでしょうか?
「お嬢様、どうぞこちらの椅子へお掛けくださいませ」
私が困っていると執事がそう言ってくれました。良かった。
失礼します、と執事に勧められた椅子へと座りる。当たり前ですが対面側には侯爵様がおられます。
しかし私を見て微動だにいたしません。どうされたのかしら?
うーん、それにしても近くで見てもやはり中々の化物ですわね。あの頭部は一体どうなっているのかしら?
とにかく頭部全部が黒く、本来髪の毛がある場所にはウネウネと触手の様なものが蠢いています。
しかし、しかしよく見れば質感はヌルヌルではなくフサフサ! 頭部全体に長くはない黒い毛がサラサラとなびいているのです! これは本当に良かったわ。
私、ヌルヌルしたものがとても苦手なのよ。
そしてあの顔?の上半分いっぱいに存在する紅の色をした一つだけの目。目だけで見ればとても綺麗だと思うのだけれど、全体的に見てしまうとやはり不気味ですわね。
それでも先程からずっと侯爵様と目が合っているのですが、特に今のところ地獄にも落ちていませんし、深淵にも引き摺り込まれていません。その辺りは所詮噂という事かしらね。
だけど鼻と口はまだよく分かりませんわ。言葉は発していたので口はきっとあるのでしょう。
体の方はと言いますと、なんと頭部はアレでも体は普通の人の形に見えるのです。
しかも格好が良くとても洗練された大人の男性の雰囲気を醸し出しています。
まぁ、脱いだらどうなっているのか分かりませんが。やはり黒い毛で覆われているのかしら?でも質感が頭部と同じでサラサラならそれもそれで気持ち良さそうね。
それとも普通の人のような体かしら? どちらにしても良い体には違いないわ。うふふ、やだわ、私ったらはしたない事を考えてしまったわ。
「…此方こそ初めまして、サーザンド嬢。私がランドグラッセル家の当主であるハーヴェイ=ランドグラッセルだ」
あら、ようやく侯爵様が動き出しましたわね。
「サーザンド嬢は… 」
…………
…な、何かしら? また動かなくなってしまわれたわ。
「ハーヴェイ様、お嬢様がお困りになっていらっしゃいますよ」
「分かっている… サーザンド嬢」
「はい」
「貴女は、私と結婚し…夫婦になる事ができるのだろうか」
「えっ?」
意味がわかった瞬間、かぁぁぁぁっと顔が熱くなるのが分かります。
まぁまぁまぁ! 侯爵様ったら何をおっしゃるかと思えば! そんな、まだ会ったばかりだというのに。
もしかして、私の侯爵様が脱いだらと言う妄想が悟られてしまったのかしら。恥ずかしいわ!
「赤くなるだと…」「ハーヴェイ様、これはもしや…」何やら侯爵様と執事達の呟きが聞こえますが私はそれどころではありません。
しかしよく考えればお見合いとはこういうものなのかもしれませんわ。
しかも今回侯爵様の場合は大人数ですし、手早く進行されなければ後のご令嬢が待ちくたびれてしまいますものね。
「い、いや、すまない。私の見た目はご覧の通り化物だ。このまま何事もなく見合いが進むと貴女は私と結婚しなければならなくなる」
「えっと、結婚をする為に今回お見合いをされているのではないのですか?」
「だが強制はしない」
成る程、要するに侯爵様は自分が化物であるために、私に自分の元に嫁ぐのは恐ろしいでしょ?辛いでしょ?大丈夫、身分関係なく其方から断っても何のお咎めもないよ!だから無理しないで!と仰ってくれているのね。
なんだ、侯爵様ってとても優しい化物なのね。
お話ししている時に見える口が怖いだなんて思ってしまってごめんなさい。
凄いのよ、侯爵様の口。顔の上半分が目なら下半分は口ね。パカっと開いてとても大きいの。その分歯も普通の人の倍はあるのではないかしら。
でも色も白くて歯並びもとても綺麗。清潔感があるのは大事よね。
「貴女は部屋に入ってきて私を見た時に悲鳴を上げただろう? 人間の貴女には私が恐ろしいのではないか? 」
少し思考が飛んでいたため会話に返事がない私を、本当は嫌だと言いたいけれど侯爵様との身分上言い淀んでいるのでは、と誤解されたようで、
「気にしなくてもいい、正直に言ってもらって構わない」
と仰って下さいます。
うーん、それではわたしの今の正直な気待ちををお話しした方がよろしいかしらね?
「ええっと、はい。恐ろしいと思います」
「やはり…」
「しかし侯爵様とは今日初めてお会いしましたし、私も周りのお話を聞いて覚悟は致しておりましたが、やはり初めて実物を見てしまうと…何度か拝見すれば慣れるのではと思いますが、やはり初めてでは… 」
そうです、やはり慣れだと思うのです。
「大変申し訳ないのですが、流石に侯爵様の頭部を初めて見て恐怖しない人間は少ないと思いますし、私も所詮良くいる人間の貴族の女ですし。
なのでこれはもう仕方のない事ではないでしょうか? 」
「仕方がない? 」
「はい、侯爵様に恐怖するという点は仕方がない事だと。しかし人間慣れというものがありますわ。現に侯爵様の執事やメイドや護衛にも人間が働いてますでしょう? みな侯爵様に恐怖を感じている雰囲気がありません。むしろ侯爵様を心配し、気にかけておられるように見えます。
これはきっと大丈夫、という事だと思うのです」
「大丈夫? 」
「はい! 侯爵様は良い化物だと! 」
あっ! 化物って言っちゃった!