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織姫と彦星  作者: 京衛武百十
10/10

さよなら。そしてありがとう

たぶん、勘のいい人なら気付いてたと思う。私の<語り>が、自分以外の人の気持ちとか心の動きとかに殆ど触れてなかったことに。触れてるように見せかけても実は上辺をなぞってるだけだったことに。


織姫のことをあんなに好きだ好きだと言ってたのに、彼女について本当はぜんぜん詳しく触れてなかったりとかね。


結局は、そういうことだったんだな……


私の問題は、<外>にはなかったんだ。原因やきっかけは確かに私の外にあったけど、家庭環境や両親との関係が私をこんな人間に作り上げたのかもしれないけど、でもそれは決定的な問題じゃなかった。


私がこうなってしまった一番の問題は、私自身だったんだ。


きっと、世間の人は私みたいのを<メンヘラ>とか呼んで馬鹿にするんだろうな。


だけど、実はそれが最も適切だったのかもねって、今なら自分でもそう思う。


私は自分で、自分の抱えてる問題を拗らせてしまってただけなんだ。


今の私があの頃の私と会ったら、思わず言っちゃいそうだ。


「あんた、本当にバカだよね」


ってさ……




あの日、踏切の中で立ち尽くしてた私を掴んで引きずり出してくれたのは、先輩だった。その踏切は、先輩が家に帰る時に通る場所で、ちょうど家に帰る途中の先輩が私を見付けてくれたのだった。


でも、もしかすると、私は心のどこかでそれを期待してたのかなとも思ったりする。


だって私、先輩がこの時間にこの踏切を通ることを知ってたから。しかも、踏切に入るのが早すぎて、踏切内のセンサーが私のことを捉えてすぐに電車がブレーキを掛けてたって。ゆっくり近づいてきてるように見えたのは、死の間際に何もかもがスローモーションに見えるっていうあれじゃなくて、本当に電車がスピードを落としてたからなんだって。


そう、私がしたことは、ただのくだらない迷惑行為だったんだ。


だけど、あの時の私は本気で死ぬつもりだった。死ねば何もかも終わりにできると間違いなく思ってた。けれど、電車が止まりかけてることにさえ気付かないくらい、頭がおかしくなってたんだろうな。


「彦星! お前、何やってんだ!?」


先輩はそう言って私を叱った。先輩もその時は私が死んじゃうって思って必死で助けてくれたんだ。それは、私の知らない先輩の姿だった。それなりの時間付き合ってきてたはずなのに、私は先輩のそんな姿を見たことがなかった。彼はいつだって優しくて穏やかで声を荒げるなんてなかったから。


先輩に怒鳴られて、自分が死に損なったことに気付いて、私はその場にヘナヘナと座り込んでた。


正直、大きな声を上げて怒鳴る男性なんて大嫌いだった。だけどそれは、ただ単に自分がムカついたからってことで他人に八つ当たりするだけの器の小さな男が嫌いだっただけで、自分にとって大切なものを守る為についっていうのは当てはまらないんだってその時知った。


彼は、私のことを大切に想ってくれてたんだ……


死に損なったと気付いた瞬間には体中が震えて腰が抜けてしまったけど、彼に支えられて何とか立ち上がって、彼が私の思っていた以上に力があって私よりは体つきもがっしりしてることに気付いた時にはそれがすごく頼りがいがあるように感じられてホッとしてしまったのが分かった。


そしたら急に、胸がドキドキしてしまって……


もしかしたらそれも、死に損なったことで恐怖が湧き上がっていてそれでドキドキしてしまった、いわゆる<吊り橋効果>ってやつだったのかもしれないけど、でももうそんなのはどっちでもいいの。


彼が私を助けてくれて、大切に想ってくれてることが分かったから。




あれからもう十八年。


私は今、三人目を妊娠中だ。


あの頃のことは何だか夢の中でのことみたいに曖昧になってしまってる。私がどれだけ内向きになってしまってて周りが見えてなかったのかを思い知らされる気分だ。


織姫のことは今でも好き。だけど、それももう<いい思い出>ってやつかな。


彼女とは別の大学に進んだけど、在学中に妊娠が発覚。別にやりたいことがあって行った大学じゃなかったこともあってそのまま中退し、彼と、先輩と結婚した。今では普通のパートのオバサン。


でも、後悔はしてない。だって幸せだもの。


そして、織姫も、幸せだって。結婚して、赤ちゃんが生まれたって手紙が届いた。


ずっと彼女に対しては負い目を感じてきたけれど、これでやっと、それからも解放された。


ごめん…


本当にごめん……


なんて、面と向かって謝ったら、彼女はきっと言うだろうな。


『どうして謝るの?』


ってさ。彼女はそういう人だから。






織姫と彦星。


そんな名前の奇縁に囚われて自分でおかしな物語を作り上げてしまって、私はその中で延々と茶番劇を演じてきた。でももうそれもお終い。彼女と私は、物語の中の登場人物じゃないから。


だからさよなら。


そして、ありがとう。



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