8.ボクと喋る能力
「それにしてもあれは言い過ぎでしょう、アイ」
暗い洞窟を慎重に進みながら、弓兵のトーシャは呆れたように前方に声をかけた。
洞窟内は湿った空気で満たされているのに、声はよく反響した。その響きは空虚に消えていく。常人なら冷や汗の1つもかくような環境であろうが、4人の傭兵たちは涼しい顔だ。
斥候のアイは時々足を止め地面や壁にこびりついた糸を松明で燃やしながら慎重に進む。
足音は普通に鳴らしている。アイはスニーキングを習得しているが、どうせ重装備の仲間が立てるガチャガチャという音で台無しになる。
気にしない方が無駄なエネルギーを使わずに済むというものだ。
洞窟内をくまなく覆っている薄い糸の層を燃やすのは、気まぐれや、生理的嫌悪が理由ではない。
アサシンスパイダーは糸の振動で敵や獲物を察知する。そして火を嫌う。
要は挑発をしながら、敵の感覚網を潰しているのだ。
苦言を呈したトーシャに、アイは振り返らずに答えた。“勇者”の少年の話だろう。
「うるせぇ。あぁいう、うじうじしたやつ、大っ嫌いなんだよ、あたしは」
「そんな風に心の狭いことを言うからあなたには友達が少ないんですよ?」
「うっせぇっつの。ほっとけ」
「男もできませんし」
「うっせぇ、ほっとけ」
「胸も小さいですし」
「うっせぇ、ほっ……っておぃ! そりゃ関係ねーだろうが!!」
「ありますよ! ガットを見なさい。あふれ出る優しさのおかげであなたの何倍も胸に厚みが」
「あれは胸筋だぁ!! 筋トレ馬鹿と比べんな!!」
遂に我慢できず振り返ったアイがトーシャに掴みかかったが、ガットが間に入った。
「2人とも、じゃれるのもその辺にしろ。それからアイ、筋トレを馬鹿にするな。筋トレは大事だぞ」
「あたしが馬鹿にしてんのは筋トレじゃなくて、あんただ、ガット!」
「なっ……!?」
「くくく。クリーンヒットですね」
まさかのとばっちりを食らい、崩れ落ちる重戦士ガットを見て、トーシャが腹を抑えて笑いをこらえる。
という振りをして、実は聞こえるようにわざと笑い声を漏らした。その時。
「きたきたきたれ! きたれ? 北の? きたの!! ジャーキーン!」
わけのわからない言葉とオノマトペと共に、ババが背中の刀を抜き放った。
ふざけまくっていた他3人がはっとしたように、身構えた。それぞれが得物に手をかけて、背中を合わせる。そこには先ほどまでの緩み切った空気はみじんも存在しなかった。
ピリピリした空気のまま、どれだけの時間が過ぎただろうか。
「上だ!!」
アイが叫びながら前方に身体を投げ出した。次の瞬間、4人の頭上からおびただしい数の黒い塊が落下した。
シギャァァァァァァァ!!! とおぞましい鳴き声が洞窟内にあふれる。
トーシャはアイと反対方向、つなぎのような黒い衣装に身を包んだババの方へと跳んだ。
黒い濁流をまともに受けたのはガットだった。やがて彼は巨大グモに埋もれて見えなくなる……。
「だぁらららららい!!」
その直前に気合と共に数匹のクモを一度に弾き飛ばし、その姿を再び現した。
身にまとっている完全防御のメイルが身を守ったのだ。
クモを吹き飛ばしたのは戦技だ。左腕と盾は、薄い光を放っている。
「やっと来たか、アサシンスパイダー! アイ、トーシャ、ババ、無事か?」
「あんたが今吹き飛ばしたクモとやりあってるよ!」
「こっちはババが引き受けてくれています! 大丈夫です」
「脚に触れるなよ!」
アイが体術と、抜き放ったナイフ、そして松明を駆使してアサシンスパイダーを数匹受け持ち、ババが奇声を上げながら、狭い空間で器用に長い刀を振り回している。
その背後からトーシャが短弓で矢を放ち、2人を援護している。
振り回されるアイの松明しか光源が無いにも関わらず、トーシャの矢は的確に敵に吸い込まれる。
ガットたちは見慣れているが、初見の、しかも敵としてそれを食らう立場の巨大グモたちには脅威だろう。それでいて、派手に暴れるババにはかすりもしない。
その様子を一瞬で見て取ったガットは、再び盾と剣を振り回して、まとわりついてくる敵を打ち払った。攻勢が少し弱まった隙に、アイがいる方向に向かって雄叫びを上げる。
「ぁあああああああああああああ!!」
ウォーシャウト。
敵の注意を引き付ける戦技だ。
ガットの目論見通り、かわるがわるアイにとびかかっていたアサシンスパイダーたちが、数瞬その場でたたらを踏んだ。
その隙をアイは逃さない。
掻き消えるように、気配を殺すと、何の予備動作もなく、一匹のアサシンスパイダーにナイフを振り下ろした。戦技、ステルスからのリーザルスタブ。
耳をつんざく悲鳴が反響したが、アイはその時には既に別のクモにナイフを刺している。
いける。そうガットは確信した。油断はしていない。相手は多数、こちらは寡兵だ。油断なんて論外だ。
しかし、相手の奇襲は失敗。こちらのペースに持ち込みつつある。
トーシャの援護射撃を得て、ババは縦横無尽に暴れまわっている。大きなミスをせず、何事もなければ、殲滅できる。
もう一息だ! ガットが仲間を鼓舞しようとした時だった。
「っいぃ……!」
奇妙な悲鳴を上げてトーシャが倒れた。トーシャ? 何故? 彼は入り口の方、敵がいないところに陣取っていたはずだ。
驚いたガットはババの後ろを見やって、更なる驚愕に包まれた。
アイが震える声をこぼした。
「ガ、ガット……、あ、ありゃぁ……」
「なん、だ……?」
ガットは答える言葉を持たなかった。
***
壁を伝って慎重に歩を進める。
入り口からはまっすぐに見えたが、実際の洞窟内は緩やかなカーブを描いている気がした。
どれくらい進んだかはわからないが、果てが全く見えない。怖いし、何度も引き返そうと思ったが、外の光が届かなくなった辺りからその気も消え失せていた。
右手を腰の剣にかけたまま、左手で壁を触り、一歩、一歩、進む。とりあえず巨大グモが出てきたら剣を振り回す。それだけを考えて、ただ進む。
足音はあまり立てないように気を付けていたが、身にまとった鎖帷子が金属の擦れる音を立てる。自分がここにいる、と敵に教えてしまっているような気がして、心臓が擦り減る思いだ。
壁にはところどころクモの糸がついている。地面や壁面は湿っていて足を滑らせそうになる。
とてもここで快適に暮らせるとは思えないのだが、アサシンスパイダーはどうしてこんなところに住んでいるのだろう。
『きもいなぁ、よくこんなところに住めるよ』
声がしてびくり、としたが何のことはない。天の声さんだ。一緒に付いてきてくれていたらしい。何も喋らないから存在を忘れていた。
「本当ですよね」
天の声と違って自分の声は洞窟内に反響した。静かだ。気分を変えようと思って、僕は別にどうでもいいことを問いかけてみる。
「そう言えば、天の声さんはどんなところに住んでいるんですか?」
『う~ん、いろいろかなぁ。転々としてる』
「へぇ。定住してないんですね」
天界に豪邸みたいなものがあるのを想像していたので、なんか拍子抜けだ。
それか、天の声さんは天界であぶれ者なんじゃないだろうか?
「ホームレスナビゲーター?」
『なんだい?』
「いえ、なんでも!」
ナビゲートとしてはポンコツだが、折角付いてきてくれているのだ。わざわざ見放されるようなことを言う必要はない。
レドが、くわぁ、と小さく鳴き声を上げる。とても心強いとは言い難いが、尻尾をしっかりと僕の首に巻き付けて離れないようにしてくれている。それだけで勇気をもらえる気がした。顎の下を撫でてやる。
「あれは……」
前方に明かりのようなものが見えた気がした。遠くにあるからだろうか? それはちらちらと瞬いて、今にも消えそうに見える。
僕は一度ごくり、と唾を飲んでから、柄にかけた右手に込める力を強めた。そして、今までよりも更にゆっくりとしたペースで歩を前に進める。
果てしないようにも割とすぐだったようにも感じた焦れるような時間の末、その光源に到達した。それは松明だった。アイさんが持って行ったものと同一に見える。
きゅぅっと胃がよじれる様な心地だった。
やっぱり後から入っていった超巨大アサシンスパイダーのせいで、何かあったのだ。火が付いたままの松明が落ちているなんて、他に説明がつかない。
もっと奥に行かないと。覚悟を決めて、松明を拾った直後だった。
ガサッ。後ろの方で何かが動いた気がした。
「!! 天の声さん! 今なんか音しなかった?」
『したねぇ』
「したねぇ……って」
そんな呑気な。さっき僕らより先に入っていった超巨大グモのようなやつが、あとを追っかけてきてたらどうしよう。どうしようもない。もうまじでどうしようもない。
そこで僕はあることを思いついた。
「ねぇ、天の声さん?」
『何だい?』
「僕、特殊能力を持ってるはずなんだけど、天の声さん、それがどんな能力かわかったりしない?」
『うん、わかるよ』
「え!? ほんと!? どんな能力か教えて早く今すぐ早く!!」
『それはね……』
「それは……?」
『ボクと喋る能力!!』
「……わーい……」
本当にどうしようもない。今自分は死んだ魚のような虚ろな眼窩に暗い光をたたえて世紀末な目をしているだろう。
自分の能力さえわかれば、敵に対して有効な手を打てるかもしれないと思ったのだ。曲がりなりにもナビゲーターなんだからそれくらい教えてくれるだろう、と。
それがポンコツなナビゲーターご本人と話す能力とか。どうすればいいというんだ。
本当にどうしようもない。
もうこうなったら一か八かでこのくそ重い剣を両手で振り回すしか……。
剣を抜いておこうと思った瞬間、頭上から叫び声が聞こえて、僕は押し倒された。
『わりゃ、このぉ!!』
『死にさらせぇ!!』
『クソ侵入者がぁ!!』
「ふぎっ!! うわああああああ!!」
うつ伏せになった顔のすぐ両脇にずん、と質量感のある物体が振り下ろされる。
背中の上に形容しがたい触感で重しをされる。それはどんどんと重なっていき、既に身動きなどできない。剣はまだ持っているが腕が持ち上がらない。
顔の脇にあるのが、毛むくじゃらで大きな虫の脚であると気が付いて、パニックに陥った。
「ひっ! ぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!! ごめんなさい許して許して許してぇぇ!!」
『われぇ! 誰が許すか、ぼけぇ!!』
『往生せいやぁ!!』
『噛み殺したる!』
「やめてやめてやめてお願いやめてぇ!」
言ってもやめてくれるわけないよなぁ。あぁ、短い人生だったなぁ。
毛むくじゃらの脚にもみくちゃにされながら、そんな風に冷めた思考を頭のどこかでしていると。
意外なことに、僕の嘆願は聞き届けられることになった。
背中や後頭部を叩く恐ろしい脚の攻勢がいつの間にか止んでいる。
『あん?』
「あれ?」
アサシンスパイダーのいぶかしげな声と、僕の困惑したうめき声が重なる。
……って、え? アサシンスパイダーの『声』??
『おめぇ、もしかして……』
「あれ? もしかして……」
僕は頭だけ半分振り返って巨大グモたちを見上げた。
3匹のクモが僕にのしかかっている。それは恐ろしい光景であったが、どこか気の抜ける様な雰囲気が漂っている。
アサシンスパイダーがシギュっと短く息を飲んだ気がした。
事態を少しずつ飲み込み始めて、僕も愕然とする。
『ワシらの言葉がわかんるんか!?』
「僕の言ってること、わかるの!?」
違う言葉で同じ意味を叫んだ僕らの声が洞窟内に木霊した。