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竜とリュートの異世界冒険  作者: 浅田浅彦
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1.天の声さん

 目が覚めると、そこは森だった。

 陳腐な文句になってしまったが本当なのだから仕方がない。トンネルを抜けるとそこは雪国だった、みたいな出だしで始まる有名な小説があったような気がしたが、何というタイトルだったろうか? 

 どうでもいいことではあるが、靄がかかったように思い出せない。思い出せないこと自体に引っ掛かりを覚えた。他にも何か大切なことを忘れている気がするが、思い出せない。

 木は高く高く空を覆っているが、枝と枝の隙間から柔らかな光がこぼれている。風に葉が揺れて光の通り道が変遷する度に、眩しい光の点も位置を変える。優しいスパンコールみたいだと思った。

 見上げてもいないのに、そんな景色が見えるということは、自分は今仰向けで寝転んでいるのだろう。

 不思議なことだがそう意識したとたんに、背中にチクチクする草の感触を覚えた。それからゆっくり、ゆっくり四肢の隅々までに意識がいきわたっていく。

 まるで仰向けでいることを自覚した瞬間に自分の体が存在を得たかのような感覚だった。

 そっと手を閉じたり開いたりして指が動くのを確認すると、僕は思い切って上体を起こした。

 うまく頭は働かないが、何かおかしな状況に置かれていることは分かる。不思議と焦りはないが、このままじっとしているのは良くない気がした。

 どうしよう? まずは何をすべきだろうか? そうだ、まずは状況把握だ。ここがどこかを把握しないと。

 この段になって、ようやく僕は辺りを見回した。


「ここ、どこ?」


 見覚えのない風景だ。全く。


『見覚えのない顔だなぁ』


 不意に声が聞こえた。驚いて振り向くが、そこには何もいない。気のせいだったのだろうか、と思って首をかしげた時だった。

 すぐ目の前の茂みからがさがさと音がして、再び驚いて腰を浮かせる。

 丈の低い草から顔を覗かせていたのは、一匹の大きなトカゲだった。ちょっと大きいだけの単なるトカゲなのだが……。


「……赤い?」


 そのトカゲは見えている部分全てが燃えるような赤だったのだ。頭に妙なとげのような部位が発達しているのも変だ。聞いたこともないようなトカゲだった。僕は思わず再び首をかしげる。

 すると目の前の見たことのない生き物も、その真っ赤な顔を90度回転させた。

 なんか、可愛いなぁ、と顔をほころばせるとともに僕は腰を下ろした。赤トカゲはじっと僕を見ている。神経質に反応してしまった自分が恥ずかしい。

 しばらくして僕は、まさかね、と小さな声でつぶやいた。さっき聞こえた声は、この赤いトカゲのような何かが発したものではないか。

 そんなバカげた考えが浮かんだのだ。

 打ち消すように頭を振ると、突然赤いトカゲが動き出した。


「な? え? ちょっ……!」


 流石に生理的な恐怖を覚えて逃げようとしたが、四つん這いのその生き物は予想以上に俊敏だった。

慌てふためく僕に一気に詰め寄り、その小さいが鋭そうな爪を振り上げて……。


「わ、こら、止めろ! あはは、くすぐったい、こら!」


 振り上げた爪を服に食い込ませて僕の体をよじ登り始めた。すぐに首まで到達して、僕の手から逃げるように肩や背中を這い回る。びっくりした。襲われるかと思った。

 ひとしきり、赤いトカゲと戯れながら、そういえば昔から動物は嫌いじゃなかったな、と振り返る。

 昔? 昔から動物が嫌いじゃなかったという、それ自体は分かるのに、具体的な記憶が何一つ浮かんでこなかった。

 胸がちくりと痛んだ気がしたが、何故かもわからない。らしくないくらい真剣な顔をして考え込む。

 あれ? そもそも僕の『らしい』ってどんなだっただろうか?

 ふと横を見ると、不思議そうに頭をかしげている赤トカゲの顔が間近にある。

 その頭を指で撫でていると、なんだかふっと気持ちが軽くなった。不思議と心が安らぐ。こうしていることが至極当然で、必然であるかのように、僕の心に平穏をもたらしてくれた。


「まあ、いいか。よいしょ」


 折角なついてくれたらしい相棒、現在唯一見つかっている僕以外の動物を肩から落とさないように気を付けて、立ち上がる。

 不自然なことだらけで不安だが、こういう時に焦って動いても良いことはない。深呼吸で大自然を肺に取り込んでから、僕は状況整理を始めた。


「とりあえず、ここがどこかを知らないと。それから近くに人がいないかどうかを」


『とりあえず、ここはエゾフの森っていう場所だよ。人間たちは魔の森とも呼ぶね』


「へー、そっか、なんかおっかな……え?」


 独り言にまさかの返事が返ってきて、僕は硬直する。次の瞬間、弾かれたような勢いで、辺りを見回すが誰もいない。

 間違いない、さっき聞こえた声と同じものだ。姿が見えないのに聞こえる声がさらに続ける。


『この辺りに人間はいないと思うなぁ。ふもとまで歩いて行かないとダメなんじゃないかな?』


 戦慄が走った。

 見知らぬ場所、曖昧な記憶、見たことのない動物、どう見てもここにはそいつと僕しかいない。それなのに聞こえてくる実体を持たない声。

 こ、これはまさか。


「まさか、ここは異世界!」


『……え?』


「そして、あなたは天の声!? 僕を導くためにこうして語りかけてくれているんですよね!?」


『うーん……うん、そうだよ。何言ってるかよくわかんないけど』


「え? うそ? 本当に?」


 適当に妄想をぶちまけてしまったのだが、肯定されてしまった。そんな、僕を実体無き声――改め、天の声さんが生温かく見守っている気がした。

 発想と言うか妄想が飛躍しすぎだ、とよく言われてきた気がするが、天の声さんが認めるんだからきっと僕の妄想が正しいのだろう。そう思うと、興奮を抑えられなくなった。


「え、すごい! ここが異世界、すごい! それで、ここからどうすればいいんですか? 天の声さん!」


『え? 知らないよ』


「え? えぇ!?」


 こうしてガイド役の天の声さんが職務放棄をすることにより、僕の異世界生活はいきなり挫折を迎えた。



***


 導いてくれると思った天の声さんにすげなく『知らない』宣言をされてから、既に1時間は歩いている気がする。

 その場で立ち止まっていても仕方がないと思った僕は当初の考え通り、村まで行くことにしたのだ。

 幸いなことに、天の声さんは村までの道案内を快く受け入れてくれた。


「僕の名前は……竜登。牧島竜登です」


 天の声さんに『そう言えば、名前は? 人間って一人一人名前があるんでしょ?』と言われて、遅まきながら自己紹介をした。

 幸い名前は憶えている。竜登という名前は当たり前のように僕の口から出てきてくれた。


『良い響きの名前だね。リュートかぁ。ちなみにどんな意味なの?』


「ドラゴンが天に昇る、って意味、かな?」


『全然良くない名前だね。いや、ホントになってないよ』


「急に根拠もなくディスられた!?」


 天の声さんは一転して僕の名前を一刀両断すると、冷たく吐き捨てるように続けた。


『何にもかっこよくないし、ダメダメな生き物だよ、ドラゴンなんて。鼻つまみ者で、厄介者で、邪険にされて。天に昇るどころかド底辺だね。つまらない存在NO.1だね』


「えー。割と期待してたのになー、ドラゴン」


『残念。夢が無い生き物なんだよ、ドラゴン』


 ファンタジーで好きなモンスターを聞かれれば十中八九、ドラゴンと答える僕としては、非常に残念なお知らせだ。

 まあでも、天の声さんの口ぶりからすると居ることは居るらしいから、それで良しとしようか。

 僕はそう思いながら、肩の上のレド――さっき拾った赤いトカゲに勝手に命名した――を撫でた。


「ところで天の声さん、村にはあとどれくらいで着きますか?」


『うーん、あと20分くらいかな?」


「あれ? さっきより増えてない?」


『うん、だってリュート、歩くのすっごく遅いんだもん』


「そんなスマホの地図機能みたいな……確かにナビ使うと所要時間がどんどん増えていくタイプだったけど」


 スマホやナビと言うものが何なのか、はっきりと思い出せはしない。それでも確か便利で手離しがたい物であったはずだと何となく思いながら、僕はため息をついた。

 肩のレドが首をかしげている。

 軽く呼吸を乱しながら、そういえば体力には全然自信がない方だった、と思い出す。勉強があまり得意でないのも含めて、僕の三大コンプレックスの1つだ。

 運動、勉強、女の子。


「そういえば、天の声さんって、性別とかあるんですか?」


『うん? 生殖する上での生理的な役割ってこと?』


「せ、生殖!?」


『それとも、いわゆるジェンダーのこと?』


「ジェンダー……。て、天の声さん、やっぱり物知りなんですね」


『ふふん。まあねー』


 またもやコンプレックスを抉られながらも、動揺をごまかせてほっとする。

 生殖、という単語にどきり、としてしまったのだ。高校二年生にもなって情けないとは思う。

 どうでもいいけど、何故か顔の横のレドが尻尾を激しく振って、痛い。


「って、あれ? 高校二年生?」


『どうしたんだい?』


「あ、いや、何でもないです。さっきから記憶が曖昧なことがちょっと気になるだけで」


『へー、それは大変だね』


「そんな他人事みたいに」


 そう突っ込みながら、少しだけ考えを巡らせる。記憶が曖昧なことが気になると言ったが、正確には逆だ。今、高校二年生という単語をすんなり理解できてしまったことに驚いたのだ。

 高校は義務教育を終えた後に、更に勉強をしたい人が通う学校だ。自分はその二年生で、17歳という年齢を考えれば順当に進学した方ではある。

 はっきりした記憶があると分かったのは嬉しいのだが、何故高校や名前のことは憶えているのだろう? 

 昔の出来事やスマホ、ナビはしっかり思い出せないのに。

 ま、答えは出ないのだろう。歩き出す前に記憶について考えた時とは違い、僕はあっさりと答えを諦めた。自分で考えるにしても、情報や具体例が足りなすぎる。しばらくしたら、はっきりするような気もする。


『さ、そろそろ着くよー』


「え? 本当ですか!?」


 考え事をしていると時間が早く感じられる。ついでに歩くスピードも速くなっていたのかもしれない。

 とりあえず、誰かにここがどこなのかを聞いて、今後の指針を立てよう。

 僕みたいに記憶があやふやな状態で突然現れたような人間に心当たりはないか、尋ねるのも良いかもしれない。

 この(おそらく)異世界に来ている先輩に出会えば事態が進展するかもしれないし。そこまで、うまくいかないにしろ、とにかく人に会いたい。

 久しぶりに人に会えるというのは、こんなに嬉しいものなのか。僕は踊る心を抑えられず、レドを落とさない程度に足を速めた。




『とうちゃーく!』


「……え?」


 天の声さんが僕を導いたのは、洞穴――というか明らかに奥深くまで続いている洞窟の入り口だった。


『さ、早く中に入ろうよ』


「は、はい」


 僕は困惑しながらも、洞窟に足を踏み入れる。暗い。ていうか、怖い。天井から落ちてくる水滴の音に意識を奪われながら、僕は恐怖を押し殺しつつ天の声さんにその困惑をぶつけたようと思った。


「あ、あの、天の声さん?」


『うん? なに?』


 ちゃんと返事が返ってきたことに安心しつつ、入り口の明かりが届くところで足を止めて僕は質問をする。


「こんなところに、本当に村が?」


『うん、だってキミ、村に案内してくれって言ったじゃないか』


「それはそうなんですけど、こんなところに本当に人が住めるのかな? って思ったり思わなかったり」


『人? 住んでないよ』


「……は?」


 僕が間抜けた声を漏らしたのと、シギャアアアアア! という甲高い金属音のような声が洞窟に響いたのはほぼ同時だった。

 思わず小さな悲鳴を上げてびくりとすると、肩の上のレドが抗議するように鳴き声を上げた。いやいや、誰だってびっくりするでしょ、明らかに人の声じゃなかったし。

 眼前、闇にうごめく気配に戦慄を覚えながら、僕は震える声を絞り出す。


「あ、あの、天の声さん?」


『さっきからどうしたんだい?』


「この、この先にある村って、に、人間の村じゃないんじゃ……」


『うん、そうだけど?』


 恐れていた答えは、無情に、さも当たり前のように僕を貫いた。体の震えが強くなる。

 聞きたくない、と思いつつも、お化け屋敷に入る前のような場違いな好奇心が心の片隅に湧いて出るのを感じる。それが勇気に置き換わって僕は口を開いた。


「あの、この村って“何の”村なんですか?」


『“アサシンスパイダー”だよ』


さっきよりも近くで、さっきよりも多くの金切り声が響くより先に、僕は体を反転させていた。


『シギャアアアアアアアアアア!!!!』


「ぎゃあああああああああああ!!!!」


『シギャアアアアアアアアアア!!!!』


 金属音の絶叫に負けないぐらいの叫び声を上げて僕は駆け出した。もう肩の上のレドに構っている余裕もなかった。


 逃げる途中、『侵入者だ!』とか『おんどりゃあ!』とかそんな声が聞こえた気がした。

 幻聴か空耳だとは思いつつ、後ろのアサシンスパイダーなるものの心の声かもしれない、と考えた僕は、夢中で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」と大声で唱えながら走り続けたのだった。

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